来るべき決戦②

 一方の皇帝ジギアスは、ソーリンドル領での内紛が終結を見たので帝都ガイラス・ジンに帰還していた。


 ソーリンドル領内紛の顛末は、ジギアスにとって愉快なものではなかった。ソーリンドル領の若き領主の叔父であるベルツハイマーに手を貸していたジギアスは、若き領主の頑強な抵抗に遭いながらも、これをようやく討ち滅ぼすことができた。これで新たにベルツハイマーが新しい領主となったわけだが、その見返りにジギアスは彼の娘を欲した。一瞬、ベルツハイマーに嫌悪の色が刺したが、表面上は喜びながら娘を皇帝に差し出した。


 早速ジギアスは娘を閨に呼びつけ、若く瑞々しい肉体を堪能した。


 『これは寵姫の列に加えねばなるまい』


 ベルツハイマーの娘の四肢は、若さに溢れているだけではなく、豊潤で男を喜ばす術を自然に身につけていた。一夜のことであったが、ジギアスは完全に娘の肉体の虜となった。当然、ジギアスはこの娘を帝都に連れて帰るつもりでいた。


 しかし、ジギアスが愛した翌日、娘は井戸に身を投げ命を絶った。ジギアスの所業に対する抵抗であることは明白であった。


 馬鹿にされた気がしたジギアスは、一層のことベルツハイマーから領主の座を剥奪してやろうと思ったのだが、娘を失い失意しながらも、皇帝に対して一切抗弁しないベルツハイマーの姿を見ていると息苦しくなり、早々に帝都へと帰還したのであった。


 バーンズがエストヘブン領で敗北し、帝都に逃げ帰ってきたという知らせがジギアスに届けられたのは、ソーリンドル領でのことを忘れるかのようにカヌレアとの情事に耽っていた時であった。


 『大将軍が負けた?』


 俄かに信じられぬことであった。ジギアスにしてみれば、自分の次に戦争巧者であるバーンズがそうそう負けるとは思えなかった。しかも相手は小娘を旗頭にした反乱軍でしかない。バーンズが負けるような相手ではないと思っていたのだが……。


 『大将軍ほどの男を負かす奴がいる!』


 そんな敵と戦場で向き合い、徹底的に粉砕したい。その欲望は性欲以上にジギアスを高揚させた。


 「大将軍は生きているのだな!」


 ジギアスはカヌレアの上で動きながらも、扉の外で控えている侍従長ゼバンに叫んだ。はい、という声がかすかに聞こえた。


 「すぐ会う」


 ジギアスの興味は、自分の下で嬌声を上げているカヌレアからまだ見ぬ敵とへと移った。


 「陛下……無体な……」


 行為を途中で止められたカヌレアは、恨めしくジギアスに抗議した。


 「うるさい!」


 ジギアスは乱暴な動作でカヌレアから離れた。




 広間で引見したバーンズは帯刀しておらず、深々と土下座していた。帯刀をしていないというのは、いかなる処罰をも受けるという意思表示であり、武人の場合のそれは死罪を意味していた。だが、ジギアスはバーンズを処罰するつもりはなかった。


 「お前ほどの武人であっても百戦百勝というわけにもいくまい。顔を上げて剣を腰に帯びよ。そして大将軍の職務を全うせよ」


 家臣の失敗や怠惰に厳しいジギアスであったが、武人の敗北には事のほか寛容であった。尤も、全身全霊を投げ打っての結果であることが前提条件であったが。


 「ひとまず詳細を聞こう」


 ジギアスが促すと、バーンズはぽつりぽつりとレンベルク要塞攻防の詳細を語り始めた。


 終始黙って聞いていたジギアスは、バーンズが相手をしていた人物が只者ではないと察していた。


 「只者ならぬ相手だったな。サラサ・ビーロスは担ぎ出されただけとして、相当の戦術家が敵陣営にいる。心当たりはあるのか?」


 バーンズが話し終えると、ジギアスは早速に質問を浴びせた。


 「分かりませぬ。ただ、戦略戦術をサラサ・ビーロス本人が考えているという噂もございますし、敵陣にかのジロン・リンドブルを見たと言う兵士もおりました」


 「ジロン・リンドブル?あの『雷神』か?」


 「あくまでも噂でございます……」


 「ジロン・リンドブルならば戦上手であろう。小娘が戦争をやっていると考えるよりも得心はいくが……」


 あまり信じたくないことであった。神託戦争において『雷神』の異名をもって恐れられた男が敵として存在するのだ。


 だが、それでもジギアスは自分が戦場に立って相対すれば、敵は自分に畏怖するであろう。たとえそれが『雷神』であったとしても。それが皇帝であるという自負がジギアスにはあった。


 「とにかく大将軍はしばらく体を休めろ。後は俺に任せておけ」


 ジギアスは体の高揚を抑えきれなかった。ソーリンドル領ではつまらぬ経験をしたが、その鬱憤を晴らしてくれそうな敵が現われたのだった。

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