エスティナ湖の戦い③

 エストブルクを奪取し、支配下に置く。サラサは、第一段階の最終目的をそう設定していた。帝国の交通の要所で、商業的にも豊かなエストブルクを得ねば、ジギアスの支配から独立し、天下に割拠することは不可能であるとサラサは考えていた。


 『しかし、簡単にはいくまい……』


 サラサの頭脳は冷静に回転していた。諜報活動の結果、エスティナ湖近辺に駐留しているガローリー率いる軍は、エストブルクからの援軍を得て六千名近くに膨らんでいるという。一方でサラサが動員できるのは最大で二千五百名があった。


 「もうちょっとどうにかならんのか?」


 執務室にテナルを呼んだサラサは、もう少し兵力を増員できないものかと相談していた。


 「難しいでしょう。徴兵に応じてくる若者は少なくありませんが、ジロン様やジン様の話によれば、調練不足で兵として一人前になるにはまだ時間が必要とのことです。それにこれ以上軍事に人員を割けば、社会機構の活動に支障が出てきます」


 「う~ん……。千人とは言わん。あと五百でもあれば……」


 「難しいでしょう」


 テナルはにべもなかった。サラサが軟禁されている時のテナルはもっと優柔不断でおどおどとしていたのに、今のテナルは表情こそ変わらないが、毅然としていた。


 「テナル、変わったな。以前のお前なら私に意見することなんてなかったのにな」


 「……申し訳ありません。ですが、今後の領土の維持を考えますと……」


 「そんな顔をするな。褒めているんだ」


 「恐縮です」


 「兵力の件は分かった。ひとまずは現状で作戦を立案する。だが、兵力の増員は急がせてくれ。今後は一戦二戦で決着とはいかないだろうし、いずれはジギアスとも事を構えることになるだろうからな」


 「承知しました」


 テナルは一礼して退出していった。


 「そうは言ったものの、寡兵で多数の敵を打ち破るなんて簡単なことじゃないんだな……」


 思わず愚痴がこぼれてしまった。サラサが戦術の天才で、寡兵をもって圧倒的多数の敵を撃破する作戦を容易く思いついていると周囲からは思われているのだが、サラサにしてみればこれほど至難なことはなかった。思いつくまではいいが、それを実施して成功する保証などどこにもなく、謂わばいつも賭けをしている状態なのである。


 「まったくレオンナルド帝が羨ましい。かの偉人は皇帝の一族であったから、蜂起するや否や各諸侯がこぞって参集してきたからな」


 サラサのビーロス家も血を辿っていくとそのレオンナルド帝に達する。しかし、その血統は臣籍に降下することで神通力を失っていった。サラサも堂々と皇帝の一族であると名乗れれば、これほど苦労はしなかっただろう。


 「まぁ、私は皇帝になるわけではないからな」


 サラサの使命は、エストヘブン領の領民を皇帝の圧政から解放することになる。そのためにはまずエスティナ湖の敵を撃滅せねばならなかった。




 日輪の月五日。サラサは二千名の兵を率いてカランブルを出撃した。実はその前日、ジロンが二百騎の騎兵を率いて密かに出撃していた。秘密裏にエスティナ湖を迂回し、敵の後背を脅かすのが目的である。


 『敵の背後をかく乱しつつ、いざ決戦の時は本隊と連携して挟み撃ちを行うことになる』


 サラサは作戦会議でそう説明した。


 『作戦の格子は分かりましたが、ジロン殿は野戦軍の総司令官である以上、他の方にお任せした方がいいのではありませんか?』


 と疑問を呈したのはミラであった。


 『確かにそうかもしれんが、この騎兵部隊は、その場の状況で的確な判断が必要とされる。それには戦場の嗅覚に優れたジロンが適任だ。やってくれるか、ジロン』


 『ご命令とあれば』


 ジロンは嬉しそうに畏まって承った。


 余談ながら、騎兵を集団で編成し、その快速を利用して後方かく乱や奇襲に使用するのはサラサの常套手段であった。通常騎兵は他の兵科と付随して使われることが多く、騎兵単独で集団運用するのは困難といわれてきた。


 この騎兵の集団運用はサラサの独創ではない。歴史的に見えれば、レオンナルド帝もそれに近い形の運用をしていた形跡があった。また現皇帝ジギアスも不徹底ながら騎兵を密集させた戦術を多用していた。しかし、明確な形で騎兵の集団運用を行い、その特性を存分に活かしたのはサラサがはじめてであった。




 サラサ軍の先陣はジンが指揮する第一軍。それにネグサスの第二軍が続く。サラサが身を置く司令部はその両軍の中間に位置していた。


 軍容としては稚拙であるとしか言いようがなかった。軍旗こそ至急で誂えさせたが、兵卒の装備には統一感がなく、見た目は寄せ集めの雑軍という感じでしかなかった。


 しかし、兵卒の士気は非常に高かった。権力者の圧政に対する抵抗ほど民心を奮い立たせるものはないらしく、それに加えて戦争の天才と名高いサラサが指揮を取るとなれば、士気は否が応でも高まるというものであった。


 「こうしてエストヘブンの地に戻り、大軍を擁している行軍するなんて、半年前までは考えられませんでした」


 軍旗が隆々と靡くのを見て、ミラが考え深げに呟いた。


 「私もだよ。メトスの田舎でテナルをいびりながら、ミラを相手に遠乗りして憂さを晴らしていた我が身が嘘のようだよ」


 少なくとも一年前まではそのような生活をしていて、未来永劫それほど変わらぬ生活を送るものとばかり思っていたが、今や地上の絶対的権力者と相対しようとしている。


 「やはりサラサ様は、こうしておられるのが相応しいかと思います」


 「そうか……。他人から見て相応しい私と、私自身が相応しいと思っている自分の姿は随分と違うものだな」


 「サラサ様は、今のご自分の姿は自分では相応しくないと?」


 「どうだろうな。自分でもよく分からんようになってきた。まぁ、相応しくないことはないだろう」


 サラサ・ビーロスとしては相応しくないかもしれない。だが、ビーロス家の者としては相応しいかもしれない。サラサはそんなことを思うようになっていた。

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