エスティナ湖の戦い②

 カランブルに戻ったサラサは、ある難問にぶち当たっていた。


 「我らはエストヘブン領西部とコーラルヘブン領は、皇帝に対して反旗を翻しましたが、呼称をどういたしましょう?」


 と言ってきたのはテナルであった。彼にはすでに行政上の処理を一任していた。


 「呼称?」


 「左様です。支配下に置いた地域以外にも、エストヘブン領の残った地域や他の領にも様々な布告やらを出さねばなりません。それにあたっては私どもの呼称が必要です。それと、誰の名を持って出すか、ということもです」


 「面倒くさいな……」


 正直なところ、サラサはそんなことを考えたこともなかった。考える暇などなかったのだが、確かに必要であろう。


 「誰の名か、ということであれば、サラサ様しかおりますまい」


 と口を差し挟んだのはジロンであった。


 どうしてそうなる、と言いかけたが、サラサは唇をかんで我慢した。もはやサラサが指導的立場になったというのは疑いようのない事実であり、それを今になって隠すのは部隊の士気にも影響する。それが分かるからこそサラサは我慢したのだった。


 「単純にエストヘブンコーラルヘブン両領でいいんじゃないか?」


 「長すぎませんか?」


 「じゃあ、ミラは何がいいんだよ」


 「そう言われましても……」


 「反乱軍でいいんじゃありませんか?」


 唐突に言ったのはネグサスであった。当然冗談であろうと思ったのだが、ネグサスは涼しげな顔で平然としていた。


 「……冗談だよな?」


 「勿論です」


 ネグサスは一瞬だけ笑みを浮かべた。本当によく分からない奴だ。


 「このまま考えても埒が明かんな。ひとまずコーラルヘブンならびにエストヘブン西部領としておこう。私の立場も領民代表でいい」


 「領民代表ですか?もっとしっかりとした立場の方がよろしくはありませんか?」


 「これでいいんだ、ジロン。今回、反乱を起こしたのは、皇帝による圧政のためであり、皇帝が圧政を改めるのであれば、再び帝国の政治秩序に帰属する余地があることを示しておきたいんだ。我々が十数年いや数十年、帝国の政治から独立して生き残れるはずもないのだからな」


 サラサがそう言うと、ジロンは不満げに口を曲げた。


 「不満かね?」


 「いえ。全然」


 ジロンは澄ました顔をした。


 呼称も決まったところで、サラサはいくつかの政治的な処置を行った。まずは支配下に置いた地域の領民達には、租税を従来の率に戻し、他の法律についても皇帝直轄地以前に戻すことを布告した。また広く徴兵も行い、徴兵に応じた世帯には租税率をさらに軽減するようにした。テナルが上手くやっているとはいえ、サラサ達の台所事情はそれほど豊かではない。税収をさげるような真似はあまりしたくなかったのだが、反乱を起こした事情を考えればやむを得なかった。


 また他の地域にも布告を出した。サラサ達が反乱を起こした趣旨を説明し、味方をするか、味方しないまでも皇帝に協力するのは控えて欲しい、というような内容のものであった。


 そして一応、ジギアス宛にも書状を作成した。反乱を起こした趣旨に加え、ジギアスの政治の誤りを痛烈な言葉で糾弾した。しかし、もしそれについてジギアスが改めるのであれば反乱を止めるという項目を付け加えておいた。


 『まぁ読んだ瞬間破り捨てるだろうがな……』


 サラサはそう予期しつつも、わずかばかりに残っているかもしれないジギアスの理性に期待した。ジギアスに理性があるならば、戦わずして反乱を収められる道を選ぶであろう。もしそうなれば、サラサはひとり罪科を背負うつもりでいるのだが、これは杞憂で終わった。この書状自体、ジギアスの手に届くことがなかった。おそらくはどこかの段階で握りつぶされたのだろう。


 もうひとつ、サラサが行ったことがあった。それはバスクチに埋葬されているアズナブールの遺骨をカランブルに移すことであった。サラサ自らバスクチに赴き、厳かな葬列をもってアズナブールの遺骨をカランブルまで運び、カランブルの広場に墓を作って埋葬した。これほどカランブルの市民を感動させたことはなかった。多少芝居がかったことであったが、サラサとしてはアズナブールに最大限の敬意を払った結果であった。


 また、組織制度も明確にした。サラサは領民代表となると同時に軍の総司令官となった。政治的決定はサラサの独断ではなく衆議制にする一方、行政面ではテナルを長官として官僚組織の構築を急がした。軍事面ではジロンをして野戦軍の総指揮官とし、第一軍司令官にジン、第二軍司令官にネグサス、コーラルヘブン領防衛司令官にバロードを置いた。ミラはサラサの秘書官兼警護長となった。


 簡略ながら陣容を整えたサラサの視線は早くもエストブルクに向けられていた。

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