名もなき旗のもとに
名もなき旗のもとに①
帝暦一二二四年天臨の月に勃発した皇帝と教会の争いは、皇帝が教会から出された和平を受け入れると言う形で一応の終結をみた。
皇帝の教会に対する処分は峻烈を極めた。僧兵総長をはじめ教王に組した司祭は悉く死罪となり打ち首となった。すでに亡くなっていた教王すらも死体のまま打ち首にされ、僧兵総長らと共にその首は帝都に晒されることになった。さらにはしばらくの間は教王を空位とし、帝都から派遣された弁務官をしてその職責を代行されることにした。要するに皇帝の傀儡が教会の頂点に立つことになったのだった。
これらの処置はまだまだ序の口であった。ジギアスの腹案ではさらに制裁を加えるつもりでいたのだが、それどころではない事態が次々と発生した。サラサが予期したとおり、各地で民衆による一揆が多発したのである。
主なものをあげていくと……
同年桜花の月、シャロット領で租税率に不満を抱く民衆による一揆が発生し、一時領都が無法地帯となる。
同年同月、ワグネール教会領で皇帝の教会に対する処置に不満を持った司祭、僧兵達が帝国軍の駐屯地を襲撃。すぐに鎮圧されるが、参加した司祭、僧兵はすべて戦死あるいは自害する。
同年若葉の月、ベランバネル領の在野の学者ハランマが皇帝の独裁を否定し、議会制度を設けるべきという論文を発表し、逮捕される。これに怒ったハランマを支持する民衆が監獄を襲撃する。(後にこの騒動も鎮圧され、ハランマを含む二十名が死罪となった)
これらはあくまでも主な事件であり、小さな者も合わせれば十件近くに及び、ジギアスはそれらを鎮圧、処置するために東奔西走する羽目になり、教会どころではなくなったのだった。
そして、帝暦一二二四年恵水の月、ついにその時が訪れた。エストヘブン領カランブルの民衆が武装蜂起したのである。
カランブル蜂起の知らせに接するまでの間、サラサの日常は実に平穏なものであった。総本山エメランスに居座り、司祭となったレンを手助けする一方で、大聖堂にある図書室に籠もり書見する毎日であった。
その日もサラサは、司祭の新しい行動規律を作成しているレンに意見を求められ、その草案に目を通したていた。草案の中にサラサの分からない語句がいくつかあったので、それを調べるために図書室に向ったのだが、ついつい他の書物を読むのに没頭してしまっていた。
「サラサ様!大変です!」
ようやく図書室にきた本来の目的を思い出したサラサが手にしていた本を棚に戻していると、血相を変えたジロンが飛び込んできた。
「ジロン、うるさいぞ。ここは図書室だぞ」
「サラサ様。カランブルが蜂起しました」
ジロンはサラサの忠告など無視し続けた。
「カランブルとはあのカランブルか?武装蜂起だと?」
サラサは本を広げたまま落としてしまった。あまりにも唐突な知らせに、その意味をすぐに理解できなかった。
「ジン殿から早馬が参りました。こちらの居場所を伝えておいて正解でしたな。ああ、詳細はこのとおりです」
ジロンは書状を差し出した。概要は以下のとおりであった。
エストヘブン領内乱以後、主を失った同領地に派遣されてきたのはルーティエ・ノブールというジギアス子飼の文官であった。一時期はジギアスの秘書官を務めたこともあり、同時の情人だったのではと噂された女性官僚で、それだけにエストヘブン領を完全に我が物にしようとするジギアスの意図がはっきりと見えた人事であった。
ジギアスがエストヘブン領を直轄地にした意図は明確であった。帝国のちょうど中央に位置するエストヘブン領は交通の要所なので、関所から得られる交通税は無視できないほど膨大であった。
これまでエストハウス家が同地を治めていた時は、関所の数は極めて少なく、交通税自体も小額であった。これは歴代領主が商業に疎かったせいであるが、ルーティエはその関所の数を一気に五倍に増やした。しかも交通税も三倍にし、税収の拡大を図った。これにより帝国国庫は充実したが、当然ながらエストヘブン領の経済は急速に滞った。
これにより物価はうなぎのぼりで高騰し、エストヘブン領民の一般的な収入ではとてもではないが生活できない水準にまで達した。領民の生活が困窮を極め、その怨嗟は必然的にジギアスとその子飼ルーティエに集中し、日に日に反皇帝の機運がエストヘブン領に拡散していったのだった。
「こいつはひどいな……。しかし、エストブルクではなく、どうしてカランブルだったんだ?」
ようやく冷静になってきたサラサはその点が気になった。今後サラサがエストヘブン領で戦っていくにあたり、領都であるエストブルクとの連携は必須である。そのエストブルクに反乱の機運が乏しければ、以後の戦略も見直さなければならない。
「先をお読みください」
ジロンが促したので、サラサはさらに先を読んだ。
カランブルにも新しく統治者が派遣されてきた。名はガローリーと言い、ルーティエの部下であった。上には媚び諂い、下には居丈高に振舞う型の人間で、自分よりも年若いルーティエに取り入って出世してきた男である。官僚としての才能は無能としか言いようがなく、どうして怜悧なルーティエがわざわざこの無能な男をカランブルに派遣したのか、後世の歴史家が常に疑問を呈し、いくつもの仮説を打ち立てることになるのであった。
ガローリーはカランブルに派遣されてきて早々、己の権威を示したかったのか、それまでカランブルで行政を担当していた役人を全て馘首し、自らが連れてきた者達をそれらに代わらせたのであった。それだけではなく、既存の役所を取り壊して自分専用の庁舎を建設したり、その費用をまかなうためにカランブルの商人から恐喝まがいの行為で資金を出させたりとまさにやりたい放題であった。カランブルの民衆が爆発したのは寧ろ自然である、とジンは付け加えていた。
「なるほど納得した。これはとんでもない奴だな。我々としてはやり易いが、こんな早々に事を荒立てられるとはな」
ジンからの書状は蜂起してすぐに出されたのか、とりあえず蜂起したとしか書かれておらず、とにかくサラサに戻ってきてほしいとだけ記されていていた。
「サラサ様……」
「戻らざるを得ないだろう。まずはレン達に会おう。皆を集めてくれ」
承知しました、と言って去っていくジロンを見送ったサラサの頭脳は、すでにカランブルでの戦争のために回転を始めていた。
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