寒波去らず⑧
ジギアスの口から和平という言葉を言わしめる。それはサラサがアルベルトに提案したことであった。
『あの皇帝のことだ。自分の口から和平と言わない限り、その約束を反古にするかもしれない。綸言汗の如し、というのをあの皇帝に分からせる必要がある』
その提案について、アルベルトは全面的に賛意を示した。
『しかし、好戦的なあの皇帝にどう言わすんだ?俺の口から断酒の二文字が出るのと同じぐらい困難だぞ』
サラサは苦笑しながらも、アルベルトに言った。
『簡単な話だ。あなたが只管強硬路線を貫けばいいんだ。あなたにいい感情を持っていない皇帝は必ず反対のことを言い出すだろう』
このサラサの助言は半ば本気で半ば冗談であった。だから、まさか本当にアルベルトが強硬路線を貫く芝居をするとは思っていなかったし、ジギアスが簡単に折れるとも思っていなかったのだ。
「はっはっは!久しぶりに愉快だったぞ。あの皇帝が苦悶に表情を浮かべる姿なんぞ始めて見たわ。俺が戦の一字だと叫んだ時の皇帝の顔、サラサ殿にも見せてやりたかった」
アルベルトは、豪快に笑って事の一部始終を話してくれた。
現在サラサは、アルベルトに帯同してエメランスに向かっていた。アルベルトの軍は、皇帝に先行してエメランスに駐屯し、治安維持活動を行うことになっていたのだ。
「アルベルト殿には損な役回りとなったな」
「なんのなんの、それで和平となれば安いものだ。これでしばらくは皇帝と教会の間は穏やかになりましょう」
「そうだといいのだが……」
今回の騒動で教王に組した連中は間違いなく処分される。死罪か、軽くても教会からの追放が考えられる。それについて教会側に遺恨が残るのは避けられないだろうし、やむを得ないことであった。しかし、サラサの懸念はもっと別にあった。
「サラサ殿にはまだ不安ごとがおありか?」
「皇帝と教会の間は一時的に穏やかになるだろう。しかし、私が懸念するのは、これまで違った形の騒乱が起こってしまうかもしれないということだ」
「ほう?」
「今までの騒乱は領主同士の跡目争いとか領地争いだった。しかし、今回のダルファシルの蜂起と一時的な占領状態により、民衆の反乱が起きるかもしれない。そういうことだ」
「ふむ。なるほどな。肝に銘じておかないとな」
民衆の反乱となればアルベルトとしても他人事ではないだろう。尤も、この男の領地の民衆が背くとは思えなかったが。
「ともあれ、これでひと段落だが、サラサ殿はこれから先どうするつもりだ?」
「しばらくは総本山に留まるつもりだ。友人の手伝いをしてやりたいし、あそこにある蔵書も魅力的だからな」
友人―レンはきっと今後の教会で重きを成すであろう。わずかばかりでもその役に立てればとサラサは思っていた。
「それは残念だ。ぜひとも我が領地に来ていただければと考えていたのだが……。親父も会いたがっただろうに」
「アドリアン殿が?」
サラサは怪訝な顔をした。アドリアンがどう思っているか知らないが、サラサとしてはどちらかというと会いたくない相手であった。
「あれでも俺の親父は繊細でな。色々と悔やんでいる」
アルベルトは短い付き合いの中で見たことのない真面目な表情をした。どうやら本当にアドリアンは悔いている様子で、サラサに会いたがっているのかもしれない。アルベルトも本気で父親とサラサを対面させたいのだろう。だが、サラサとしてはやはり会うのには躊躇いがあった。
「いずれな……」
サラサは建前としてそう言うしかなかった。
「いずれ必ず。シュベール家はサラサ殿を全力でお助け申し上げます」
歴史的に見て何やら劇的な言葉であったが、この時はまだアルベルトはサラサの待望を知らぬし、サラサの方もシュベール家を頼りにすることなどまったく考えていなかった。それどころか、もうアルベルトと会うこともないだろうと思っていた。
しかし、半年も経たずしてサラサはアルベルトと再会することになるのであった。
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