寒波去らず⑦
教会から使者が来た時、皇帝軍は総本山エメランスの麓付近にまで来ていた。ジギアスは全軍に停止を命じ、使者に謁見を許した。
実はこの時、今後の戦争の進め方について、ジギアスは苦慮していた。先の戦いで僧兵どもを壊滅させたといえ、山岳地帯のエメランスに篭城されれば、いらぬ苦戦をしてしまう可能性があった。
またエメランスには天使も多い。彼らに戦火が及ぶのも、客観的に見れば望ましくなかった。さらに言えば、兵糧も乏しくなってきている。帝都より補給を受けているが、兵站線も長くなっているので、次第に追いつかなくなってきている。だからと言って近隣領主から巻き上げるような真似は皇帝としての矜持が許さなかった。
この点、大将軍であるバーンズとも意見が一致していた。もはや大規模な戦闘はないであろうと判断したジギアスは、兵糧の消費を軽減させるために一部兵力をバーンズに率いさせて帝都へと帰していた。
『ここらで手打ちだ』
と思っていたジギアスにとって、この使者はまさに渡りに舟であった。
だが、ジギアスが積極的に和平を受け入れたと言うのも面白くなかった。それもまた皇帝としての矜持が許さなかった。だからひとまず使者に会うことにしたのだ。
使者として来たのはスーランという若者であった。彼はアルスマーン派であったらしく、今回の教王の火遊びには一切組していないという。だから、使者に選ばれたのだろう。
使者が差し出した書状を一読したジギアスは、まずバドリオが僧兵総長によって殺されたことに失望した。
『俺自らがあいつの顔に唾を吐きかけ、首を切ってやろうと思っていたのに!』
ジギアスは悔しさのあまり、危うく書状を握りつぶしてしまいそうであった。心を落ち着かせて読み進めていく。
内容は以下のようなものであった。今回の騒動は、教王バドリオが独断で行ったことで、教会の総意ではないこと。僧兵総長、及びバドリオ派司祭達の処分については皇帝に一任するから、教会そのものについての処分は行わないで欲しいというものであった。そして最後にはいくつかの司祭の名前が連名で書かれていた。そこにレン・キレイスという見慣れぬ名前があった。
「このレン・キレイスというのは誰か?」
「元はレレン・セントラスと申します」
「神託の巫女か……」
「はい。教会より追放された身ではございますが、今回の一番の功労者なので、陛下のお目を汚すことになるかと存じましたが、名を載せさせていただきました」
スーランは淀みなく答えた。きっとそう言われるであろうことを想定していたのだろう。
「ふむ。俺は神託の巫女に対してはいかなる感情を持っていない。寧ろ同情しているぐらいだ。司祭達と名を連ねても不愉快ではない。今後、このような気遣いは無用である」
それはジギアスの本心であった。全ては神託を利用した教王バドリオが悪いのだ。
「畏れ入ります」
「現状は把握した。俺も亡きミサリオ総司祭長の意思を汲んでやりたいとは思う。しかし、簡単に鞘に収めるようでは俺につき従った連中にも申し訳がたたん」
我ながら馬鹿げた発言であるとジギアスは思った。ジギアスは独裁者である。教会との和平もジギアスの独断で決めることができた。しかし、あえて諸領主と協議するとしたのは、他人に口から和平を結ぶべしと言わせたいがためであった。
「返答は今夜する。それまでは我が陣営でゆるりとされよ」
ジギアスはスーランを下がらせると、付き従っている諸領主を陣営に招集させた。
陣営に集まったのは八名。いずれもジギアスに従順な者ばかりである。約一名アルベルト・シュベールを除いて。
「貴殿達に集まってもらったのは他ではない。教会より和平の使者が来た。用件は以下のとおりである」
ジギアスは、教会からの書状を回覧させた。
「そこで貴殿らの意見を聞きたい。遠慮なく申せ」
諸領主は一斉に顔を伏せた。誰も何も言いたくないという雰囲気であった。ただひとり、アルベルトだけが顔を伏せず、だからといってジギアスと目を合わせることもなかった。
「シュベール公、何か言いたそうだな。申せ」
癪ではあったが、こういう場所で遠慮せずに発言できるのはアルベルトしかいなかった。
「これは異なことを申される。我らは陛下の勅命に従ってこうして馳せ参じた者ばかり。和平の件も、我らの愚見などに耳を貸さず、陛下の胸中おひとつで決されればよろしいだけのこと。我らは謹んでその決断に従うだけでありましょう」
ジギアスは内心舌打ちした。この男、こういう時に限って優等生のような正論を吐いてくる。
「俺は貴殿らの意見を聞いているのだ」
「下々の我らにも意見させていただけるとは光栄の限りでありますな」
いちいち嫌味な奴である。しかし、ジギアスは自分でも驚くぐらい珍しくぐっと堪えた。
「どうでありましょう、お歴々の皆さん。陛下よりお許しが出たことでもありますし、自由に意見を出されてはいかがでありましょう?」
アルベルトが立ち上がり、一同を見渡した。ジギアスは苛々としていた。芝居がかったことをせずとも、アルベルトが和平と言えばそれでいいのだ。
しかし、アルベルトが促しても意見する者はいなかった。ちらちらとお互いの様子を伺いながらも、伺うだけで声を発することはなかった。
「情けなや。陛下の勅命に従い馳せ参じた勇者ばかりかと思っていたが、この期に及び意見せぬとは……」
「ならばシュベール公。貴殿がまずは意見せよ」
ジギアスはここぞとばかりに促した。
「然らば申し上げます。この度の戦、陛下には一分の非もなく、すべては教会の横暴にあります。なれば、教会が全面的に降伏するまで戦の一字あるのみでありましょう。この後の及んで条件をつけて陛下の温情にすがるなど言語道断!」
戦の一字である、とアルベルトは繰り返した。ジギアスは奥歯をかみ締めた。きっと鬼の形相になっていることだろう。
そもそもジギアスには甘いというか、楽観的な所があった。自分が思っていることは、みんなも思っているに違いないという独善的な人間にありがちな考えに捕らわれていた。だからアルベルトも和平を受け入れるべきだと発言するだろうと信じて疑っていなかったのだ。
もしジギアスが腹芸のできる男であるなら、事前に誰かに自分の意を言い含めておいて発言されるということもできたであろう。しかし、ジギアスはそのような男ではなかった。
「お歴々、いかがでありましょう」
アルベルトは芝居がかった口調で意見を求めた。誰でもいい。か細い声でも和平と呟けばいいのだ。だが、ジギアスの祈りもむなしく、誰の唇も微動だにしなかった。
「お歴々は私の意見に賛成と見受けられる。陛下におかれましてはいかがでありましょう?」
ジギアスは観念するより他なかった。ここでアルベルトの言葉に乗って戦争を継続すれば、やがて無様な目に遭うのは確実であった。そのような不名誉を被るぐらいなら、自らの口で和平を受け入れる旨を告げたほうが数千倍ましであった。
「俺としては和平を受け入れる。それだけだ」
「御意にございます」
自分の意見が受け入れらなかったにも関わらず、アルベルトは実に得意げな笑顔であった。
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