風雲児⑥
アルベルト・シュベールは奇妙な男であった。奇妙と言うのはやや好意的な見方であり、彼に批判的な人物からすれば、単なる阿呆でしかなかった。
まずは格好からして奇妙であった。彼は服装に赤を好み、普段から平民と変わらぬ平服で過ごしていた。しかも戦時においても赤い平服で、決して鎧を着ようとはしなかった。
『戦地で俺が死ぬような事態になれば、もうその軍隊は壊滅している。鎧を着ていても無意味さ』
と言うのがアルベルトの主張であった。
言動もおよそ貴人らしくなかった。暇さえあれば酒瓶片手に街へと繰り出し、酒場でそこらの酔漢相手に飲んだくれ、時として喧嘩に及ぶこともあった。
この街へ繰り出す癖は幼少の頃からあった。家庭教師や侍従の股間を蹴り上げて失神させ、屋敷から逃げ出すことも少なくなかった。街へ出たアルベルト少年は、街の悪童達の大将となって、大人を困らせるような悪戯ばかりして遊んでいた。この頃からすでにアルベルトは世間から阿呆呼ばわりされていた。
実はアルベルトはシュベール家の三男で、本来なら跡を継ぐ身分になかった。しかし、神託戦争終了後、教会の尽力によって助命されたアドリアンは、領主の座を降りることを皇帝ジギアスから迫られた。しかもその後継を阿呆として名高いアルベルトを指名してきたのである。ジギアスは、阿呆が領主になることでシュベール家は早々に駄目になるだろうと考えたのだろう。アドリアンはそれを飲むしかなく、アルベルトは二人の兄を差し置いて領主となったのである。
しかし、領主の座に着いたアルベルトは見違えるほどに賢明であった。街に繰り出す癖や服装こそ従来のままであったが、神託戦争以後の混乱した領内の治安、経済を瞬く間に立て直し、その非凡な才能を天下に見せ付けたのであった。それを知ったジギアスは終日歯軋りして悔しがったという。
余談ながら、後世の歴史家達はこぞって『サラサ・ビーロスがいなければ、アルベルト・シュベールこそ天下の主になっていただろう』と書きたてたが、本人にはまるでそのような野心はなかった。
後にサラサが皇帝となった時に、ある者から同じようなことを言われたことがあった。その時アルベルトは、
『俺は皇帝の器かもしれんが、サラサ陛下は天下の器だ』
と言ったという。この言葉の真意について、アルベルトは解説を加えることはなかったが、晩年にはこうも言っている。
『俺と陛下が初めて出会った時、俺は二十二歳で陛下は十四歳の少女であった。その時すでに陛下は全てにおいて俺の上を行っていた。これはとても敵わんと思った』
おそらくはこちらの方がアルベルトの本心であったろう。だが、この二人の初対面は、後世の歴史家が情熱を持って書き立てるほど劇的なものではなく、まだお互いにその才能を認め合ってはいなかった。
シュベール軍は実に迅速に夜営地の設営を行った。その素早さと仕事の確かさから、この軍隊の質が推し量られた。きっと戦闘をさせても精強なことであろう。そんなことを考えているうちにサラサ達はアルベルトの天幕に呼ばれ、お互いの情報を交換し合った。そこでサラサは初めて自分の身分を明かした。
「俺は自分で神経が図太いと思っていたが、今日ばかりは驚きばかりだな。総司祭長様は殺され、ゼナルド・ビーロスの娘に会うとはな」
「こっちも驚きだ。まさか御領主様直々にご出馬とは」
サラサはあえて敬語を使わなかった。この手の人物は下手に謙ると飲み込まれてしまうし、何よりも下手に出るのがしゃくであった。ジロンは目を丸くしていたが、当のアルベルトはまるで気にしていない様子で、手にした酒瓶に口をつけた。よく見てみると、アルベルトは床机の上にだらしなく胡坐をかき、傍には二三種類の酒瓶が無造作に転がっていた。サラサもお行儀は良い方ではないが、アルベルトはその上をいっていた。噂どおりの奇妙な男である。
「我らの皇帝陛下のお呼び出しだからな。行かざるを得んのだよ」
おどけた風に言うアルベルト。どうやら彼もサラサと同類で皇帝の権威など微塵も畏れていないらしい。その点は好感を持てる男であった。
「まぁ、皇帝陛下は二の次だ。実は総司祭長様の副官であるスーランという男が俺の所に来てな。皇帝陛下と教会の仲裁を依頼された」
「スーランが?」
「ああそうだ。彼は別行動を取ってエメランスに帰っていったが、これは呼び戻したほうがいいだろうな。それに総司祭長様が殺され、教王が暴走したとなれば、これは仲裁どころではなくなるぞ」
それはサラサも同感であった。アルベルトについてはあまり良い噂を聞いていたなかったが、まずまず頼れそうな男であった。
「ともかくあなた方の御身はこのアルベルトが責任もってお守りする。今夜はゆるりと休まれよ」
アルベルトはどんと胸をたたいた。
「その点については不安はないが、どうするつもりなのだ。スーランの頼みを実行するのか、勅命に従うか。現在のシュベール家の立場を考えれば難しい選択だと思うが……」
「言っただろう。皇帝陛下など二の次だ」
アルベルトは二の次二の次と楽しそうに連呼した。そしていきなり、
「俺はジギアスが嫌いだ」
と明瞭に言った。これにはサラサも驚かされた。シュベール家の立場の微妙さを考えれば、たとえ本心であったとしても公言するのは憚るところである。それなのに初対面のサラサにそこまでさらけ出すとは、本当にジギアスのことが嫌いであり、それなりにサラサ達のことを信頼しているということなのだろうか。あるいはサラサ達を試そうとしているのかもしれないし、大した思慮のない発言なのかもしれない。サラサには判断がつきかねた。
「生理的に受け付けない奴っているだろう?あれはそれだ!」
アルベルトはそう言って酒瓶に口をつけた。が、中身がなかったのだろう。地面に転がり落とすと、従卒に新しい酒瓶を持ってこさせた。
『どんだけ酒好きなんだ』
サラサは半ば呆れてしまった。要するにこの男はただ酔っているだけなのだ。だが、酔っているということはおそらくそれはアルベルトの本音であろう。そう考えると、この男の酔っ払っている姿がなにやら楽しくなってきた。
「しかし、俺も大人だ。嫌いな奴だからと言って端から喧嘩するつもりはない」
「ほう。それでどうするつもりなんだ?」
「なんとか戦争しないで済むようにする。それが皇帝陛下にも教会にとっても最良の選択だ」
すっとアルベルトから酔いが消えたような気がした。なるほど。酔っていても意識はまともであるらしい。
「その交渉をあなたがまとめるのか?」
「俺以外にまとめられると思うか?」
「あなた以外にできそうもないな」
「だろ?まぁ、任せておきたまえ」
アルベルトはにやっと笑ってもう一口酒をあおった。
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