風雲児⑤
思わぬ襲撃に遭遇したサラサ達は、エルマとエシリアが大暴れしている隙に無事大聖堂を脱出することができた。襲撃してきた僧兵達は大聖堂を囲んでいるようであったが、裏口付近は無人になっていて、ジロンが剣を抜いて戦うこともなかった。
「これはエメランス自体から離れたほうがよさそうですな」
「そうだな……」
雪で覆われた山道を降りながら、サラサはちょいちょい振り返っては追っ手が来ないか確認した。敵が追って来る様子はなさそうだった。
「雪が降ってなくて幸いだったな。しかし、私の人生は逃げてばかりだ」
サラサは、エストブルクから脱出した時のことを思い出していた。本当に逃げてばかりだと笑いたくなってきた。
「大事を成そうとする者に艱難辛苦は付き物でようですな。うん?シード君、大丈夫かね?」
ジロンが少し遅れているジードに声をかけた。シードは雪まみれになっていた。何度か転んだのだろう。
「だ、大丈夫です。雪に慣れていなくて……」
と言いながらシードは盛大に転んだ。全然大丈夫ではなさそうだった。
「おいおい。しっかりしてくれよ」
サラサは呆れながらも、シードのそういうところに愛嬌を感じていた。少なくともサラサを取り巻いてきた男性達の中では明らかに異質であった。
そもそも天使であるかもしれないという時点で異質である。しかし、そういうことを抜きにしても、興味をそそられる存在であった。
『私の周りには武骨な奴らばかりだからな。一人ぐらい優男がいてもいいだろう』
サラサにとってシードという少年はまだその程度の認識であった。
「どうしますかな?このまま当て所なく逃げていても仕方ありません。エルマ殿たちと合流するにしても、どこかで落ち着きませんと」
「当てねぇ……。私はここら辺は不案内だ。ジロンには当てはあるのか?」
「ないでもありませんが……」
「珍しく歯切れ悪いな。言ってみろ」
「シュベール公爵の領地が近くにあります」
なるほど、ジロンの歯切れが悪いわけだと思った。シュベール家は神託戦争における反皇帝派の首魁である。同じ反皇帝派に属しながらも、アドリアン・シュベールは生きながらえ、サラサの父は刑死している。以前は父を死なせた張本人と思っていたので、サラサにとってはあまり愉快な相手ではなかった。
「勿論他の領主の所へ行くという選択肢もありますが……」
「いや、ジロン。とにかく身を落ち着けることの方が先だ」
「サラサ様がそう仰るなら……」
「それにアドリアンはもう隠居しているのだろう?後を継いだのは確か……」
「アルベルト殿ですな」
「そうそう。いささか風変わりな男だと聞くが、ビーロス名を出せば邪険にはしないだろう」
「承知しました。シード君もそれでよろしいかな?」
「お任せします。僕もこの辺の地理には暗いですから……うわっ!」
シードがまたしても盛大にこけ、雪の上に人型を作っていた。
「どうしようもない奴だな……」
そう言いながらもサラサは、雪まみれになったシードの姿を好ましく思った。
ジロンの道案内に従い、サラサ達はシュベール家の領地クワンガ領を目指した。
総本山エメランスに近いといっても、隣接しているわけではないので、どこかで一泊しなければならないだろうと覚悟していた。しかし、サラサ達は運がよかった。夕暮れに差し掛かる頃、川縁で休憩していると、ジロンが遠くにシュベール家の軍旗を発見したのであった。
「間違いないのか?」
サラサは木の上に登っているジロンを見上げて言った。
「間違いありません。しかし、結構な数の軍勢のようですな」
「まだクワンガ領ではないだろう?まさか皇帝の手先になってエメランスに進軍しているんじゃないだろうな?」
「さてそこまでは……。それほど行軍速度が速くありませんから、先回りして接触しましょう。そうすればおのずと分かるでありましょう」
「そうだな。行くか」
気になる状況ではあったが、とにかく身を落ち着ける場所を確保するのが先決であった。サラサ達はシュベール軍の進行方向と行軍の速度を計算し、先回りした。森の中に設けられた街道の四辻で待っていると、計算どおりシュベール軍が見えてきた。
「ここは私が」
と言ってジロンが先頭を行く騎馬の前に立ちふさがった。
「何奴!」
当然のことながら、騎馬に乗った騎士は剣を抜いて身構えた。
「行軍中畏れ入る。私はジロン・リンドブルム。故あって貴軍に助けを求めたい。部隊長に会わせていただきたい」
「ら、雷神だと……」
流石にジロンの名を知っているようであった。騎士からはさっきまでの猛々しさが消え、怯えの色さえも見受けられた。
「しばし待たれよ」
と言って一騎の騎馬が後方へと下がっていった。そして間を置かずして、その騎馬が別の騎馬を伴って戻ってきた。
「何だ何だ?折角の物見遊山の最中なのに、爺さんの戯言に付き合っている暇はないぞ」
その騎馬に乗っている男は物憂げに吐き捨てた。
『何だあいつは?』
その男は妙な格好をしていた。まず騎馬騎士のはずなのに、鎧を着ていなかった。黒い平服に真っ赤な裾の長い羽織を羽織り、まるで山賊のように剣を背中に背負っていた。年の頃は皇帝ジギアスとそう変わらぬであろう。
「久しぶりですな、アルベルト公爵。相変わらずですな」
ジロンが親しげに話しかけた。
『こいつがアルベルトか……』
噂どおり奇妙な男であった。しかし、ジロンの姿を認めると、だらしない態度を改め、下馬した。
「本当に雷神であったか……。いや、失礼。まさかこんな所にいるとは思わなかったので、法螺かと思ってしまった」
「はは。無理からぬこと。領地を拝領して以来のことですから、二年ぶりですかな。しかし、御領主自らこのような所で何を?」
「それはこちらの台詞だが……そちらは?」
アルベルトがサラサとシードをちらりと見た。
「少々込み入ったことが」
「ふむ。お互いにそうらしいな。落ち着いて話しましょう。行軍停止!今夜はここで夜営する!」
アルベルトはよく通る声で命令した。兎も角もこれで一息つけるのだとサラサは安堵した。
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