帝都にて⑤

 情けない限りだ。ベッドに寝かされているレンは、自分のひ弱さに嘆息した。


 生まれついて病弱ではない。風邪や発熱は幾度かあったが、頻繁というわけではなく、大病もしたことがなかった。


 レンの感じるひ弱さとは自分の精神のことであった。総本山エメランスへ向かう道中、まるで行くことを拒むかのように風邪を引いてしまった。それはやはり心のうちでエメランスに行くことを拒否しているからだろう。そう思うとレンは堪らなく情けなくなった。


 旅の仲間にも迷惑をかけてしまった。結果的には帝都で一週間ほど足止めすることになったし、特にガレッドは付きっ切りで看病をしてくれている。申し訳ないやら、恥ずかしいやら、情けないやら、いろんな負の感情がレンの体内をぐるぐると回り、風邪の治りを遅くしているような気がした。


 ふと窓の外に目を転じると、新年を祝う人達がちらほら散見された。酒瓶片手に大声で歌う男がいれば、何かの縁起物だろうか、派手な装飾のついた木の枝を振り回している子供もいた。そういえばシード達も街中に繰り出しているらしい。


 『私もガレッドと一緒に街を練り歩いてみたかったな……』


 そう思うと、体が急速に熱くなってきた。それが風邪による熱ではないことをレンは十分に承知していた。


 当のガレッドは、部屋の片隅で椅子にもたれかかるようにして寝息を立てていた。レンはそっとベッドから出て、ガレッドの前に立った。


 ややしまりのない寝顔をしているガレッド。年齢的には親子といってもおかしくはなかった。事実、レンに接するガレッドの態度は、父親あるいは兄のようであった。


 しかし、レンは違っていた。ガレッドのことを父とも兄とも思えず、ただひとりの男であると意識していた。その感情が恋とか愛とか呼ばれるものであることをレンは承知していた。


 『ガレッド……』


 レンは背伸びしてガレッドの頬に触れた。硬い頬であった。しかし、温かみがあってずっと触れておきたかった。


 「お嬢ちゃん、随分と大胆だなぁ」


 背後から不意に声がした。飛び上がって振り向くと、ニタニタと笑っているマ・ジュドーがぷかぷかと浮いていた。


 「マ、マ・ジュドーさん!」


 「どうした?ほら?接吻でもすれば……」


 マ・ジュドーの口を封じるように抱きかかえたレンは、そのままベッドの中に戻った。


 「もがもが……くるちい……」


 「な、なんてことを言うんですが!」


 レンは潰れんばかりの勢いでマ・ジュドーを抱きすくめた。もがもがと本当に苦しそうだったので、レンはしばらくしてマ・ジュドーを解放した。


 「お嬢ちゃん……結構馬鹿力だな」


 「マさんが悪いんですよ」


 レンは顔を出した。ガレッドは騒動に気がついていないのか、ぐっすりと眠っていた。


 「照れることねえじゃねえか。うちのお嬢はもっと積極的だぜ」


 「そんなんじゃありません」


 と言いながら、シードに対して積極的なエルマが時々羨ましく思っていたのは事実であった。


 「最近、お嬢ちゃんの元気がないと思っていたが、恋煩いとはねぇ」


 「だから、違いますって!」


 隠さなくてもいいぜ、と言うマ・ジュドー。レンのことをからかいながらも、どうやら元気がないことを心配していたらしい。そもそもエルマの使い魔ながら、彼女から離れてこんなところにいるということは、レンのことを気遣っているのだろう。心優しい使い魔である。


 だが、レンが元気なかったのは恋煩いではなかった。もっと別の深刻な悩みに直面していた。


 「何でい?顔色優れねえな。何だったら本当に二人っきりにしてやってもいいぜ?」


 「だから、違うんですって!」


 違わないのだ。本当はガレッドと二人きれになれれば嬉しいし、もっと心落ち着くはずなのだ。でも、それでは根本的な解決にはならないし、何よりも今レンが直面している悩みをガレッドには言えなかったのだ。


 「マさんは、自分の生まれ育ったところへ帰りたくないって思ったことありますか?」


 「お?人生相談かい?いいね、いいね。おじさんに聞かせてごらん」


 黒い球体がぷかぷかと近づいてきたので、レンは手を伸ばして再び腕に抱いた。今度は優しく。


 「そうさなぁ。俺はお嬢の使い魔だからよ。お嬢が帰ると言えば帰るし、帰らねえと言えば帰らねえよ……って、そんな答えを聞きたいわけじゃないよな」


 レンは黙って頷いた。


 「でもよ。俺にとっては故郷ってのはその程度なんだ。特別帰りたいとは思わないし、帰ることになっても、ああそうかって思う程度だ。俺の戻れる場所ってのは場所じゃねえんだ。お嬢っていう悪魔なんだよ」


 お嬢には言うなよ照れるから、とマ・ジュドーは念を押した。レンは承知したが、おそらく照れるのはエルマも同じであろうと思った。


 「戻る故郷が場所ではなく人か……」


 よい言葉だとレンは思った。今のレンにとって戻る故郷は、きっとガレッドなのだろう。そうだとすれば、レンは場所である自分の故郷に行ってはっきりと決別すべきではないかと思った。


 できればあの忌まわしき場所としての故郷には戻りたくなかった。だが、ガレッドという新しい故郷を得るには、あの故郷からの呪縛から解放されるという行為がどうしても必要であるように思えてきたのだ。


 「やはり戻らなければなりませんね、総本山エメランスに」


 そう決意すると、今まで悩んでいたレンの心が晴れていくような気がした。

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