帝都にて④

 新年を迎えた。まさか帝都で年を越すことになろうとは、一年の前のサラサの境遇を考えれば信じられないことであった。


 昨日は帝都にある図書館にこもり、帝国に係わるあらゆる書物を読み漁り、頭の中に叩き込んだ。大晦日ということもあり、図書館には人は疎らで集中して読むことができた。


 当面の目標は総本山エメランスに向かうとしながらも、最終的にはエストヘブン領に戻り、コーラルヘブン領と合わせて皇帝の支配から脱する戦をせねばならない。そのための準備も怠るわけにはいかなかった。


 『現皇帝の支配体制が緩み、今以上の混乱が現出するには早くても二年はかかる』


 とサラサは考えていた。早くても二年。その間、できうる限り帝国のあらゆる情報を得ておく必要があった。帝国の財政。帝国軍の軍制。これまでのジギアスの戦いぶり。帝国の地理、歴史。帝国中枢の人間関係。どんなに些末な情報であっても、サラサの血肉となり、忙しく旋回する少女の頭脳の養分となっていた。


 そんなサラサにとって幸いだったのは、ジギアスが帝国の情報開示に関して実に寛容であったことだった。寛容というよりも怠惰と言った方がよいのかもしれない。情報の機密など皇帝の思考の範疇外にあるらしく、普通の国家なら機密情報に属するようなことまで文書化され、一般に公開されていた。


 『要するに情報の重要性が理解できない阿呆なのだ』


 書物を読み進むにつれ、サラサはそう思うようになった。大晦日ということもあって夕方前に閉館してしまったが、サラサにとっては十分な収穫があった。




 翌日。新年を迎えたサラサは、旅の仲間になったシード達とささやかな祝杯を挙げた後、ジロンを連れて外へ出た。皇帝が新年を祝う式典をするので見に行こうと思ったのだ。


 「妙ですな。確か皇帝は総本山エメランスで教王の説教を聞くのが新年の慣例になっているはずですが……」


 ジロンが道中、思い出したかのように言った。


 「そうなのか?ま、あの猪が大人しく説教を聞くような人間とは思えんがな」


 ここ数年、というよりも神託戦争以来、皇帝と教会の間が上手くいっていないことは、昨日読んだ資料からも想像できた。


 『皇帝と教会の不和か……。こいつは先々、重要な要因になりそうだな』


 エストヘブン、コーラルヘブン。両領に割拠するには幾度か皇帝と戦をせねばならないだろう。しかし、長期間皇帝と対抗できるとはサラサは考えていなかった。皇帝との戦に数度勝ち、教会の支援を得てエストヘブンとコーラルヘブンを皇帝直轄地から脱却させる、というのがサラサの描く戦略であった。教会も二つの領が皇帝直轄地となったことに激しく抗議していると聞くから、この戦略に乗ってくる勝算は十分にあった。ただ、その背後にいるであろう天使については、エストヘブン領内乱の件もあるので、注意をした方がいいであろう。


 『そうなると教会の内情というのも知りたくなるな。総本山に行く価値がますますでてきたな』


 本来は帝国に暗躍する天使について色々と調べるつもりであったが、調べるべきことがひとつ増えてしまったようである。


 「ほほう。何やら大それたことを考えておいでですかな?」


 「考えるべきことが山ほどあるな、と思っただけだよ」


 この戦略についてはまだジロンには語っていなかった。まだ二年は猶予があると考えている以上、情勢がどう変わるか分からないので語る必要もないと思っていた。


 皇帝が新年の式典を行うという南大路にはすでに多くの人が詰め掛けていた。大路の両端には幾重にも人垣ができていて、サラサ達はその最後列に立つしかなかった。


 「大した人気だな、皇帝というのは」


 「一応、常勝の皇帝ですからな。実情がどうあれ、戦の勝利は人々を高揚させるというものです」


 「そんなものかね……」


 そんなものだろう、とサラサは思った。自分達の主君が戦争に負けて喜ぶような輩はいないだろう。戦勝というのは時として多くの民衆を酔わせる麻酔のようなものかもしれない。


 だが、その戦勝が必ずしも実質的に民衆にとって有益なものかといえばそうとも限らない。兵役により社会活動のおける人手は慢性的に不足となり、税の負担も増大する。特に神託戦争以後、帝国は深刻な瑕疵を未だに残している。きっと民衆の多くは、その麻酔から目を覚まそうとしているに違いない。


 『皇帝は麻酔の効果を上げるために戦をし、結果的に傷口を広げている。そのことに気がつかぬほど民衆は愚かではあるまい』


 サラサが見る限り、ここに詰め掛けている民衆のほとんどが笑っていなかった。本気で皇帝のことを崇拝し、そのご尊顔を一目でも拝みたいと思っている者など極々少数ではないか。ほとんどの者が、動物園に珍獣でも見に来たような感覚か、あるいは皇帝の人気を見せんが為のさくらかもしれない。


 『戦争なんてやるもんじゃないな。戦争のために流された血の量に見合うだけの物など得られるはずないのだからな』


 それでもサラサはいずれその戦争をせねばならない立場にある。考えていることと自分の置かれている立場の相違にサラサは苦笑せざるを得なかった。


 「お、騒がしくなってきましたな」


 ジロンが南側、南大門の方に目をやった。遠くから軍楽隊が奏でる勇ましい音楽が聞こえてきた。


 やがて隊列が見えてきた。軍楽隊を先頭に、真新しい銀色の鎧を着込んだ騎馬隊が続く。その中腹に一際目立つ黄金の鎧姿があった。


 『あれが皇帝か……』


 サラサは不思議な感覚がした。興奮するわけでもなく、敵愾心を抱くわけでもない。この世に生を受けて、まさか皇帝をこんな間近で見ることなど想像もしていなかったので、ただただそれが不思議なだけであった。


 『なるほど、好戦的な面構えがしている』


 随分と近づき、顔つきが分かるようになった。若く美男子なのは分かった。民衆の歓声に応えるために笑顔なのだが、その笑顔がどうにも胡散臭く、目つきも鋭かった。どこかで歓声を上げている民衆を馬鹿にしているのではないかと思うほどであった。


 皇帝の乗った馬がサラサの目の前を通過した。瞬間、皇帝がこちらを見た、ような気がした。勿論、皇帝からすればサラサがいることを意識したわけではない。単に群がる民衆を見ただけでのことで、たまたまそこにサラサがいただけのことである。


 だが、サラサにとってはこれから戦うであろう相手なのである。見られた、という意識が強かった。


 「行ってしまいましたな」


 ジロンは皇帝の姿を見送りながら言った。まだ行列は続いているのだが、民衆は三々五々散り始めていた。


 「さて、帰りますかな。どうも年を取ると体が冷えていけません」


 「そうだな。私も寒くて我慢ならん」


 サラサは寒さに体を振るわせた。

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