捕らわれの天使②
ややこしい話になった。
エルマは、ネラード村の教会で出されたまずい夕食を口にしながら、これからどうすべき思案していた。突然の天使の闖入。シードが天使であることがばれ、しかも自分達の旅についてくるという。ただでさえガレッドとレンすらも目に上の瘤なのに、これ以上増えてしまってはエルマの野望と欲望を成就することができなくなる。
『多少強引でもやるしかないか……』
幸いなことにシードはエシリアを警戒している。今も積極的に話しかけているエシリアに対してシードは迷惑そうに相槌を打っている。やるなら今しかない。エルマは表面上機嫌よさそうにしながらも、邪悪な考えをめぐらせていた。
「それはどういうことなんですか!」
エルマが企みを実行する前、一悶着があった。シードとエルマが同室であると知ると、エシリアが顔を真っ赤にして抗議し始めたのだ。
「どういうこともくそもねえよ。そういうことだ」
「婚前前の男女が同じ部屋で寝泊りするなんてふしだらです!」
「ふしだらって何だよ。何を想像しているんだ?」
エシリアはさらに顔を赤くした。堅物天使に対して口喧嘩するにはやはりこういうネタが一番だ。
「あ、あなた方は平気なのですか!同じ部屋で!」
矛先がガレットとレンに変わった。
「別に某はなんともござらん!」
「そ、そうです!」
二人ともむきになりながらも、エシリアに抗った。さっきのやり取りが効いているようだ。
「とにかく駄目です。天使として認められません。そちらのお二人は、兄妹のようなものですから構いませんが……」
エシリアの言葉にガレッドは安堵の表情を浮かべ、レンはあからさまに落ち込んでいた。
「私とシードも姉弟ってことで旅をしていたこともあるんだ。だからいいだろう」
「よくありません!ああ言えばこう言う……」
仇敵のようにエルマを睨むエシリア。穏やかさが売りの天使でもこういう表情をするのだとエルマはやや驚いた。それはシードも同様のようで、明らかに怯えていた。
「じゃあ、お前さんがシードとお寝んねするのかよ」
「えっ……」
「お前さん。シードのことを知っている天使に似ているとか何とか言って、実は狙っているんじゃねえのか?とんだ淫乱天使だな」
「ば、馬鹿なことを言わないでください!」
エシリアの顔にさらに朱の色が混ざる。しかし、それが今までの怒りの色とは別種であることをエルマは見抜いていた。
『照れてやがるのか……』
エルマは愉快になってきた。このままおちょくり続けてもよかったが、本格的に怒らせてまた騒動になっても面倒だ。
「そんなに怒りなさんな。別にお前さんが考えているようなことしねえよ」
「私は別に……」
「くだらん喧嘩えおして私はくたくたなんだ。今晩は即行で寝るよ」
エルマは欠伸をしてみせた。気がそがれたらしいエシリアは、きょとんとしていた。
結局、エルマの主張どおりの部屋割りとなった。あれだけ突っかかっていたエシリアは、書類の整理があるとか言って早々に部屋に引き下がっていった。
「おい、表六玉。いるんだろう」
エルマは、ひとり外に出てマ・ジュドーを呼び出した。
「何でい、お嬢。俺、あんまり近づきたくないだけどよ……」
マ・ジュドーはがたがたを震えながら、ちらちらと教会の中の様子を伺っていた。
「びびっているんじゃねえよ。本当に私の使い魔かよ」
「だってよ、天使もおっかないし、あのちびっ子も俺のことを全然怖がらねえし……。俺、自信なくすぜ」
「お前になくすような自信なんてあったのかよ。まぁいいや。あの天使に張り付いておけ」
「お、お嬢!俺の話、聞いていたのかよ!」
「うるせえな。監視しているだけでいいんだよ。その間に、私とシードはここからずらかる」
「夜逃げとは魔界の皇女の名前が泣くぜ……」
「はん。知ったことか。とにかく、ちゃんと見張れよ」
「そんなぁ……」
マ・ジュドーは、使い魔とは思えないほど情けない声を出した。
夜。誰もが寝静まった頃を見計らって起きたエルマは、ベッドを抜け出し、シードが寝ているベッドの傍に寄った。シードは警戒心のない、穏やかな顔で気持ちよさそうに眠っていた。
「これじゃ、こいつを村から連れ出した時と一緒だな……」
まさか二回もシードを連れ出して逃げることになるだなんて思ってもいなかった。マ・ジュドーの言葉ではないが、こんなコソ泥みたいな真似を二回もしたとなると、流石に魔界の皇女の名折れであろう。そこまで自分はシードという少年に執着しているのだろうか。そう考えるとエルマは、急に体の火照りを感じた。
「ち、違うよ!私は単に天使を下僕にしたいだけだ!」
誰かに言い訳するように独り言ちたエルマは、シードから布団を引っ剥がすとその体を抱き上げた。シードは不明瞭な寝言を短く発しただけで起きる様子はなかった。
「前の時もそうだったけど、こいつは警戒心ってものがないな。神経が図太いというか……」
本当にシードは、天使なのだろうか。確かにシードの背中から出現したのは天使の翼だ。しかも、八枚もある。あのいけ好かない天使も驚いていたところから見ると、まがい物ではないのは確かであろう。そうだとしても、天帝の倍以上の翼を持っているというのはどういうことだろうか。天使すら分からないとなると、永遠に分からないのではないだろうか。
「私、本当はとんでもないことに関わっているのかもしれないな……」
気軽な気持ちで魔界から忍び出てきたが、どうにも厄介な事態に巻き込まれつつあるのかもしれない。エルマは漠然とそう思い始めていた。
「ま、それを含めての人間界視察だ」
エルマは、シードを正面に抱き上げたまま、窓辺から夜空へと飛び立った。今度こそ、シードと二人きりの風雅な旅ができると信じていた。
しかし、その希望はすぐさま打ち砕かれた。しばらくシードを抱えて飛んでいると、エルマの前に何者かが現われた。闇夜に浮かびあがるその姿ははっきりとは見えないが、法衣のようなものを着ているのだろう。裾が風ではためいていた。
「誰だ!てめぇ」
一瞬、あの天使の仲間かと思った。しかし、そいつは翼を持っていなかった。それどころか天使らしき物体を片手に抱えていた。
「今宵は運がいい。獲物がこうも見つかるとは……。でも、天使ではないようですね」
若い女の声だった。エルマですらぞっとするほど、抑揚がなく冷たかった。
「はん。私が天使だって、ふざけるな!」
「天使でもないのに空を飛んでいるとは不可解な……。まぁいいでしょう。だったら」
そちらの男性をもらいます、と女が言うと、法衣の前部分が大きく肌蹴て、何かが飛び出してきた。
「な!」
それが巨大な手であることはすぐに分かった。エルマは横移動してなんとか回避できたが、その手はエルマを追って伸びてくる。
「おい、シード!起きろ!」
手は執拗に追ってくる。これでは攻撃できないし、自由に動くことができない。シードには起きて自発的に飛んでもらうしかない。
「え……。エルマさん!これって!」
シードはすぐに起きてくれた。しかし、今の自分の置かれている立場に驚き、身をよじり手足をばたばたさせた。
「ちょっ!暴れるな!」
「エルマさん!降ろして!」
「降ろせるか!自分で飛べ!」
と言った瞬間であった。本当にシードに飛んでもらおうと思ったわけではない。シードの体がずるりとエルマの腕の間から零れ落ち、落下していった。
「しまった!」
落下していくシード。彼の背中から翼が出ることはなかった。仕方がないので後を追うが、それよりも先に例の手が迫っていた。
「くそっ!シード飛べ!」
エルマは叫ぶが無駄であった。伸びた手はシードの体を丸ごと包み込み、法衣の女の方に戻っていった。
「畜生!」
エルマは法衣の女の方に向き直る。女はシードを得て満足したのか、エルマに背を向けて飛び去ろうとした。
「待ちやがれ!」
エルマは炎を出現させ、女の背中にぶつけてやろうとした。しかし、女の懐中にシードがいることを思い出すと、その動作が鈍った。それが隙となり、飛び去る女を完全に見失ってしまった。
「畜生め!」
自分の迂闊さに腹立たしくなったエルマは、出現させた炎を夜空に向って放出した。
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