天使と悪魔、困惑す⑥

 エシリアは本日何度目かの困惑をしていた。そして、最大級の困惑であった。


 一日の教化を終え、ネラード村に戻ってきたエシリアは、明日教化に向う地区について司祭に質問しようと思い、教会の講堂に向ったのだが、そこにユグランテスがいたのだ。


 間違いなくユグランテスであった。体つきも、人懐っこい表情もエシリアの知るユグランテスであった。


 『まさかこんな所で見つかるなんて……』


 あまりの偶然に困惑したものの、きょとんとしているユグランテスを見ていると、困惑は歓喜へと変わった。連れがいるようだったが、構っていられなかった。エシリアは駆け出していた。


 「ユグランテス!」


 エシリアはユグランテスに抱きついた。抱きしめた感触も間違いなくユグランテスであった。


 「ちょ、ちょっと何ですか……」


 「な、何しやがる!」


 エシリアは凄い力でユグランテスから引き離された。連れでいた女が鬼の形相でこちらを睨み、ユグランテスの前に立ち塞がっていた。


 「そちらこそ何をするのです?」


 「はぁ?天使のくせに破廉恥なことをしているんじゃねえよ。それに誰だ、ユグランテスって?こいつはシード・ミコラスだ」


 「破廉恥と何ですか?彼はユグランテスです。そうですよね?ユグランテス」


 エシリアは女の影に隠れているユグランテスに聞いた。


 「い、いえ。僕はシード・ミコラスです。天使様の知り合いではありませんよ」


 間違い?空似?エシリアは落胆した。確かにさっき抱擁した時、ユグランテスからは微塵にも魔力を感じなかった。本当にユグランテスによく似た人間なのだろうか。


 「ほら、見ろ。さっさと部屋に戻れ、破廉恥天使」


 ユグランテスのことは間違いであったとしても、この女の態度は気に入らなかった。天使を前にしても畏れることなく、寧ろ悪態をついてくる。しかも天使にとって神聖な行為である抱擁を破廉恥と言うのである。これは教化が必要かもしれなかった。


 「ちょっとお待ちなさい。そこのあなた」


 エシリアは、シードなる少年と一緒に立ち去ろうとしたので呼び止めた。しかし、女は無視していった。


 「お待ちなさいと言っているのです!」


 エシリアは、女の肩を掴んだ。その瞬間、エシリアはその女から魔力を感じ取った。さっき女に肩をつかまれた時はまるで感じなかったが、巨大で邪悪さを感じる魔力であった。


 「あなた一体……」


 「ちっ、気がつかれたか」


 女は乱暴にエシリアの手を払いのけた。


 「あなた何者です?」


 「はん。単なる旅する可憐な少女だ……って言っても信じてもらえなさそうだな」


 「表に出さない。特別に教化して差し上げます」


 「上等じゃねえか!」


 女は啖呵を切った。瞳は完全に闘志に燃えていた。彼女が何者か知れないが、天使を畏れぬその態度には少々お灸を据えてやる必要があるように感じられた。


 「エ、エルマさん。やめてくださいよ。相手は天使様ですよ」


 ユグランテスに似た少年は、エルマなる女を止めようとした。


 「そうでござるよ。いくらエルマ殿でも天使様では分が悪うござるよ」


 巨漢の男もエルマを制止しようとしていた。


 「申し訳ございません、天使様。この女は礼儀知らずで、喧嘩早いだけでして……」


 背の低い、一番年少かと思われる少女が、エシリアの前に来てまるで我が事のように謝罪を繰り返した。何なんだ一体。この一行はどういう連中なのだろうか。


 「だぁぁぁ!うるせえな!ほっとけよ、お前ら!これは私とそこの天使の喧嘩だ!」


 「やはり教化の必要があるようですね」


 「はん。天使になんて教えてもらうもんなんてねえよ」


 表に出てやるよ、とエルマは肩をいからせながら自発的に外に出ていった。心配そうに見送るシードなる少年を見ていると、エルマなる女も性根が悪いわけではないのだろう。そんな気がしてきた。彼女から魔力を感じたのも、この村の少女のように単に『祝福の儀式』を行えなかっただけなのかもしれない。少々手荒なことになるかもしれないが、始末が終わった後はちゃんと抱擁をして魔力を抜いてあげなければならないとエシリアは思った。




 エシリア達はネラード村にほど近い広場に移動した。森の中にぽっかりとできた空き地のようで、上を見ると夕日で赤く染まった空が覗いていた。


 エシリアとエルマの他にはユグランテスに似た少年シードと巨漢の男、そして年少の少女がついてきた。それぞれガレッド、レンと名乗った。


 『この人達はどういう……』


 エシリアはそのことを改めて思った。不可思議な一行である。関係性もさることながら、ユグランテスに似た少年も含めエルマを慕っているようなのも不可解であった。この天使への信仰心を微塵も持っていない粗野な女なのに……。


 『あの少年も、やはり只者ではないような……』


 だとすれば、やはりユグランテスなのか、あるいは関係があるのではないか。改めて問いたださなければならなかった。


 「余所見をしているんじゃねえよ!」


 炎を拳にまとったエルマが殴りかかってきた。やはり魔法を使えたのだ。エシリアは、その拳を右手で受け止めた。


 「なっ!私の拳を!」


 エルマは驚愕していたが、エシリアも驚愕していた。


 『この女、強い!』


 おそらくは天使でもこれほどの魔力を操れる者もそういないだろう。エシリアも気を抜けば吹き飛ばされそうであった。


 『しかし!』


 エシリアはエルマの拳を掴んだ手に力を入れる。エルマの手に宿っていた炎が消え、今度はエシリアの側から発せられた氷がエルマの方へと侵食していく。


 「てめぇ、氷使いか!」


 エルマがエシリアの手を払いのけ、距離を取った。


 「何使いでもありません。我々天使は属性などには捕らわれません」


 エシリアが腕を振るった。突風が吹き荒れ、エルマを襲う。エルマは吹き飛ばされまいと必死に堪えている。


 「あなたが何者か知りませんが、天使に敵うなどとは増長もいいところです。反省なさい」


 エシリアはトップを背に受け、エルマに接近した。エルマの顔を掴み、体を持ち上げた。


 「ば、馬鹿力め……」


 「あなたに言われたくありません。それで反省しましたか?反省したと言うのであれば、離して差し上げます」


 「嫌なこった」


 「仕方ありませんね」


 エシリアはエルマの顔を掴む手の力をさらに強める。ぐうう、と悶絶するエルマ。


 「や、やめてください!」


 空いているほうのエシリアの腕にシードなる少年がしがみついてきた。その瞬間、何か電撃のようなものがエシリアの体を駆け抜けていった。


 『何?この感覚……』


 エシリアは思わずエルマを離してしまった。どさんと地面に落ちるエルマの前にシードが立ち塞がった。


 「邪魔すんな、シード!」


 エルマがシードの体を掴みながら立ち上がると、猛然とエシリアに向っていった。


 「煩わしいですね!」


 もはやエシリアの眼中にエルマの存在はなかった。あのシードと言う少年、やはり何かある。エルマなどには構っている場合ではなかった。エシリアは右手を広げて正面に突き出した。手に平から白光が集まり、それが一筋の光となってエルマに向って発射された。光はエルマの体を貫くはずであった。


 「エルマさん!」


 シードが再度エルマの前に出た。まずい。このままではあの少年の体を光が貫いてしまう。


 「避けなさい!」


 エシリアは叫んだが、間に合うはずがなかった。


 しかし、光線はシードの体の前で四方に弾けとんだ。


 「弾いた!」


 それすらも信じられないことであったが、さらに信じられないことに、シードの背中から大きな天使の翼が出現していたのだ。しかも八枚も。エシリアは驚愕し、そして困惑した。

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