暗転⑦

 サラサが診療室を出ると、ジロンとジンが待ち受けていた。ジンはいつになく真剣な面持ちで、ジロンは平素と変わらぬ表情をしていたが、サラサとは目を合わそうとしなかった。


 「何だ?」


 「サラサ様、お話があります。ぜひ外へ」


 「おいおい真夜中だぞ。何をする気だ」


 「ともかくも外へ」


 断れば引っ張っても連れて行きそうな雰囲気だったので、サラサは彼らの後に続いて外に出た。


 「お前ら……」


 砦の前にはこれまで共に戦ってきたアズナブール派の兵士達が居並んでいた。狭い広場に座ることもなく、よく訓練された歩兵隊のように佇立していた。篝火の火は遠くまで届かないが、おそらくは生存した全員がいるのではないかと思われた。


 「アズナブール様が亡くなって数日。我ら、これからどうすべきか議論してまいりました。このまま軍を解散すべきと言う者もおれば、討ち死に覚悟でアズナブール様の敵を討つべしと息巻く者もおりました。しかし、いずれも明確な結論が出ぬまま今日至りました。お恥ずかしい話、我らは主張するだけ主張して、実際に行動を起こせぬ腰抜けばかりでございました。これもすべて指導者たるお方を失ったからであります」


 そこで一度ジンは言葉を切った。探るようにサラサを見たが、サラサは無反応で通した。サラサは、ジンが何を言い出すかおおよそ見当がついていた。


 「そこで我らは新たに指導者たる主を迎えたいと決しました。それはサラサ様、あなたです。ぜひ我らの主となっていただき、我らを導いていただきたいのです」


 ジンが両膝をつき、深々と頭を下げた。それに倣って居並ぶ兵士達も前から後へと波のように座り込み、頭を下げていった。


 その光景をサラサは暫し黙って見ていた。以前であるならば開口一番、馬鹿ぁと叫び、小娘に頼って恥ずかしくないのかとか、自分はその器ではないとか言って全力で拒否したであろう。


 しかし、今のサラサは、その時のサラサとは違っていた。二度も彼らの命を預かり、死線を供にしてきたのだ。馬鹿と罵ることもできなければ、見捨てることもできなかった。


 『これが情というものか……』


 父ゼナルドが無謀な戦争に加担したのも、この情のためであったか。サラサはそう思うと、自分がとる道は一つしかないと決意した。


 「それは全員の総意か?」


 サラサが問うと、ジンはそうですと答えた。


 「まったく馬鹿者ばかりだな。こんな小娘に未来を託そうだなんて。酔狂にもほどがある。だが、嫌いじゃないぞ。そういう酔狂は」


 ざわめきが起こった。それが喜びによるざわめきであることは明らかであった。


 「お前達がそこまで言うのなら、私も腹を決めなければならないな。どこまでやれるか分かったものではないが、お前達の主を務めてやろう。その代わり、後悔するなよ」


 おおっ、という声が上がり、中には立ち上がって近くにいた兵士と抱き合って喜びを表現する者もいた。そこまで喜ばれると、正直照れくさかった。


 「だが、今の私達には力がない。すでに皇帝が数万という軍勢を連れてエストブルクに入っている。これに対抗するのは無理だ」


 ざわめきが止んだ。誰しもが食い入るようにサラサの言葉を待った。


 「そこで私は一時この軍を解散したいと思う。私もいずこかへ姿をくらます。だが、あくまでも一時的だ。いずれ私はここに戻ってきて、お前らを導き、アズナブール殿の亡骸をカランブルに、あるいはエストブルクに移したいと思う」


 再びおおっ、と歓声があがった。サラサが言ったことは、単に言葉どおりの意味ではなかった。いずれこのエストヘブン領の主になるという宣誓であった。その真意に気づいていない者など、この場には誰もいなかった。


 「だが、単に身を隠しだけでは駄目だ。エストヘブンは皇帝直轄地になるわけだが、あの皇帝が善政を布けるはずもない。いずれ皇帝への不満が出てくるだろう。お前達は水面下で反皇帝の機運を作り、仲間を増やしていくんだ」


 サラサは実に恐ろしいことを口にしていた。要するに皇帝に反する組織作りをするということであり、帝国の法では立派な反逆罪である。ここに帝国の官吏がいればサラサはすぐさまひっ捕らえられ、公衆の面前で首を刎ねられていただろう。


 「ジン。その総括をお前に任せたい。決して楽な仕事ではないが、引き受けてくれるか?」


 「サラサ様の仰せのままに」


 ジンは長年仕えてきた臣下のように恭しく応じた。


 「他の者達もしっかりと頼むぞ。私がエストヘブンに戻ってきた時、味方がいなければ元も子もないからな」


 兵士達から笑いが起こった。つられてサラサも微笑した。


 「また会おう。それまで元気でな」


 サラサはそう結んだ。




 サラサの言葉を受けて、アズナブール派、いやサラサ軍の兵士達はすぐさま行動に移した。


 怪我のない者は徒歩で山を下り、怪我をしている者は馬や馬車で運ばれていった。現在、最も重傷人であるミラも、コーメルが手綱を取る馬車で運ばれていくことになった。


 「サラサ様。本当に申し訳ありません。本来であれば私がサラサ様のお傍にいるべきなのですが……」


 「気に病むな。そこの爺さんは世話役としては不適合かもしれんが、護衛となればお前と同等に頑張ってくれるはずだ」


 爺さんと呼ばれたジロンは苦笑しながらも、馬車の荷台に寝かされているミラに近づいた。


 「サラサ様は必ずお守りします」


 「頼みます。ジロン殿」


 言い終わってミラは涙を流した。サラサはその涙を見ているのがとても辛かった。これ以上はお互いに未練が重なり、別れ辛くなるだろう。


 「テナル、コーメル。ミラを頼んだぞ」


 「お任せください、サラサ様」


 「サラサ様もお気をつけて」


 テナルとコーメルがそれぞれ答えた。


 コーメルの馬車が山を下りたことで残ったのはサラサとジロンのみになった。狭いながらも賑わいのあったバスクチの砦も随分と寂しくなった。


 「さて、我々も行きますかな?」


 ジロンが声をかけるまでサラサは、砦の全景を目に焼き付けていた。いずれこの場所に戻ってくるのか、それとも別の場所かもしれないが、これからのサラサの始まりの場所になるのだから、しっかりと記憶しておこうと思ったのだ。


 「我々はどこへ行きましょうか。もしよければ、私の故郷に参りませんか?潜伏するにはちょうどよいかと思われますが」


 「それもいいかもしれんが、実は行きたいところがある。教会領だ」


 「ほう……。その理由は?」


 サラサは、ミラから聞かされた天使の一件をジロンに語った。


 「なるほど、天使ですか……」


 「うん。ミラは見間違いかもと言っていたが、私はそうは思っていない。神託戦争のこともある。ここ数年の帝国の騒ぎの裏に天使が絡んでいる。そんな気がしてならないんだ」


 「ふうむ。ミラの一件を考えれば、あながち陰謀小説のような妄想とも思えませんな。それで天使と縁深い教会領を探る。よろしいかと思います」


 「ここから近い教会領といえば……」


 「サイラス教会領ですな」


 「サイラスか……。こっから北だな」


 「ですな。参りましょうか」


 「ああ」


 サラサとジロンは歩き出した。サラサは一度振り返った。砦のさらに奥、そこに眠っているだろうアズナブールのことを思った。


 『アズナブール殿。いずれあなたをエストブルクへ……。それまでご辛抱ください』


 そう心の中で言い残し、サラサは前を向いて山を下りた。

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