暗転⑥

 二百人あまりの手勢を率いてバスクチの砦を出たサラサは、そのほとんどをバスクチの入り口にあたる部分に留めおき、二十騎の斥候を出した。その中にサラサとジロンもいた。居ても立ってもいられなかったサラサは、自らも行くと言って聞かず、ジロンがお守りとして同行することになったのだ。


 「サラサ様!あれを!」


 最初にそれに気がついたのは、先頭を行く若い兵士であった。目がいいということなので、先頭を走らせていた。


 そう言われた時にはサラサの肉眼では見えなかったのだが、近づくにつれ次第に人が二人、重なるようにして倒れているのが見えた。


 「あれって。アズナブール様じゃないのか?」


 発見した兵士が心細そうに言った。サラサの肉眼でははっきりとはまだ見えていないのだが、嫌な予感が一気に吹き出てきた。


 「急げ!」


 サラサが叱咤するまでもなく、全員が馬の速度をあげた。見間違いであって欲しい。サラサだけではなく誰もがそう思ったであろう。しかし、すぐさまその希望は打ち砕かれた。倒れていたのは間違いなくアズナブールとその下敷きになったミラであった。


 「ミラ!アズナブール殿!」


 馬を飛び降りたサラサは、何度も転びそうになりながらミラとアズナブールに近づいた。アズナブールは完全に血の気を失っていて、ミラも至る所に裂傷があり、流血もしていた。


 「いかがですか?」


 ジロンも駆けつけてきた。サラサは応じず、アズナブールとミラの首筋に手をやった。アズナブールの方は反応がなかったが、ミラの方にはまだ脈があった。


 「ミラはまだ生きている!運ぶぞ!」


 砦に運ばれたアズナブールとミラは、早速軍医の手に委ねられた。ミラは、かなりの重傷ではあったが、命には別状ないとのこと。しかし、アズナブールは、運ばれた時点ですでに亡くなっていた。


 「やれやれ……。朝にサラサ様の親知らずを抜いたかと思えば、夜には重傷者と死者に向き合うとは……。医者というのはやってられませんな」


 軍医は、疲労困憊とばかりに椅子に座り込んだ。


 「で、両名の状態は?」


 「アズナブール様の傷は喉下に一箇所。傷口からして短剣でしょうな。かなり深い傷でしたから、そこからの出血が死因でしょう。ミラの方は、いずれも浅めの裂傷でしたので、単純に剣で切られたんでしょうな」


 「状況から考えて、アズナブール様が会談の席で首を刺され、ミラがそのアズナブール殿を助けて逃げた。そんなところか……」


 ジロンの仮説に間違いないだろう。サラサは苦虫を噛み潰したような顔をした。つい忘れていた親知らずを抜いた痛みもぶり返してきた。


 「してやられた!まさか連中がそこまで卑劣であるとは!」


 サラサは腹立たしげに席を蹴った。それでも怒りが収まらないサラサは座っていた椅子を蹴飛ばそうとしたが、諌めるようなジロンの視線と目が合い、どかっと再び座った。


 「ひとまず様子を探りに行った部隊が帰ってくるのを待ちましょう」


 「そうだな。ジロンの言うとおりだ」


 サラサが自分に言い聞かせるように言うと、ジンが部屋に入ってきた。完全に生気が失せ、診察に訪れた病人のようであった。


 「部隊の連中はどうだった。ジン」


 「少なからず動揺しております。抜け出した者はまだおりませんが……」


 「そうか……」


 アズナブールという支柱を失った彼らは、謂わば戦うための大義名分を失ったことになる。もはやこのバスクチの地にいる理由などないのだ。それでも陣抜けをする者がいないのは、アズナブールの徳を慕ってのことだろう。


 「ともかく、詳細が分かるまでは無用な行動は慎むように。今後の方針については、いずれ考えないといけないが……」


 今後の方針。それは紛れもなくアズナブール軍の解散であった。




 日が明けてると、様子を探りにいった部隊と会談に出向いて生き残った兵士達が帰還してきた。彼らから情報を集め総合してみると、やはりジロンの仮説どおりの事態が起こったようであった。


 「談判がまとまり、お二人が握手となった時に、いきなりネクレア夫人が懐中から短剣を取り出し、アズナブール様の首に突き刺したのです。それでミラ殿が飛び出し、ネクレア夫人とアズナブール様を引き離したのですが、それを境に双方が武器を持ち出しての切り合いになりました……。ミラ殿はアズナブール様をお救いしていち早く陣を抜けられたのです。レジューナ様を初めとするほとんどの方が討ち死に……」


 生き残った兵士が涙声で会談の経緯を語った。その後、サラサが出発させた部隊が到着したので、敵方は逃げ出し、一応の収束を見たのだった。


 「そうか……。ジン。会談に随行して生き残ったのは何人だ」


 「彼を含めて六人です」


 ジンがそう言うと、兵士は声を上げて泣き始めた。


 「気が済むまで泣け。そしてゆっくりと休め」


 サラサは、その兵士に労わりの言葉を投げかけたが、サラサ自身も泣きたい気分であった。


 それから数日。バスクチの砦は水を打ったような静けさに包まれ、誰しもがアズナブールの死を悼んでいた。アズナブールは砦からさらに上った山奥に埋葬され、顕花が絶えなかった。


 今後どうするか?サラサを含めたここのいる全員にとっての重要な命題にも関わらず、積極的に話し出す者はいなかった。水面下では敵討ちを主張する血気盛んな者もいたが、実行に移されるようなことはなかった。


 そうこうしているうちに、マグルーン派の状況も次第に分かってきた。


 「皇帝がでばってきたのか?」


 遠くエストブルクに放ったあった間諜からの報告によれば、皇帝ジギアス自らがエストブルクに軍勢を率いて乗り込んできたという。その数は三万あまり。


 「こう言っては何ですが、地方領主の小競り合いを治めに来たにしては多すぎますな」


 サラサもジロンと同意見であった。しかし、その理由は続きを読むと理解できた。皇帝は、今回のエストヘブン領での内紛をエストハウス家の罪とし、ネクレアとマグルーンを幽閉、エストヘブン領とコーラルヘブン領を皇帝直轄地とすることを宣言したのである。


 「私の故郷が皇帝の直轄地になるだと……」


 ネクレアとマグルーンの幽閉については溜飲を下げる思いであったが、コーラルヘブンを皇帝の直轄地にされることについては、怒りを覚えた。


 「皇帝が出てきて、軍勢を三万も連れていると、勝負になりませんな。この地形とサラサ様の頭脳をもってしても太刀打ちできますまい」


 最後の一文は余計だが、まさしくそのとおりだとサラサは思った。三万と千人以下の軍隊。いくら奇策を弄したところで、かすり傷をつけるのがやっとで、いずれ怒涛のような敵軍に飲み込まれ、押し潰されるであろう。


 「続報を待たねばならないが、皇帝がバスクチに軍勢を向けることも考えられる。早々に結論を出さないとな」


 サラサがそう言って報告書をジロンに押しやると、軍医がひょっこりと顔を覗かせた。


 「サラサ様。ミラが大分と喋れるようになりました。サラサ様にお話したいことがあると……」


 「すぐ行く」


 サラサは椅子から飛び降り、軍医に続いて診療室に入った。




 「サラサ様……」


 ベッドに寝かされていたミラは、サラサの姿を捉えると、無理に体を起こそうとした。しかし、まだ傷が癒えておらず、上半身がわずかに動くだけであった。


 「無理をするな、ミラ。寝ておけ」


 「この度は申し訳ありませんでした。アズナブール様を守れず、無事に帰ってくることも叶わず……」


 ミラの瞳から止め処なく涙が溢れた。


 「アズナブール殿の死はお前のせいじゃない。気にするな」


 「折角、お借りしたお守りも、こうして傷ついてしまいました……」


 ミラが無理に右手を動かし、胸元にあった首飾りの水晶を取り出した。割れてはいなかったが、縦にひびが走っていた。


 「そいつがひび割れたおかげで、ミラが助かったんじゃないか。そんな水晶、お前の命に比べれば安いもんだ」


 うぐうぐ、と嗚咽を漏らすミラ。サラサはしばらく泣かせてやろうと思った。


 しばらくして落ち着いたミラは、サラサに会談からの一連の話をサラサに語った。ほとんどは事前に別の者から聞かされていたので、取り立てて関心を示すことはなかったが、気になる部分があった。


 「天使だと?」


 「はい。アズナブール様を背負って逃げている時、天使に会いました。最初は困難な状況にある私に天帝が救い主として遣わされたと思ったのですが、救うどころか逆に襲い掛かってきたのです。ただその時の私は随分と困憊しておりましたから、変な幻覚を見たのかもしれませんが……」


 とミラは言うが、サラサは単なる幻覚とも思えなかった。


 『もし本当に天使がミラとアズナブール殿を襲ったとすれば、これはまたとんでもない話になるぞ』


 サラサは気にはなったが、今はそのことについて思考を巡らせるほどの余裕はなかった。まずは我が身の振り方のことで精一杯であった。


 「サラサ様……。私達はこれからどうなるのでしょうか?」


 「ミラ。今は休め。後のことは私に任せてくれ」


 サラサは有無を言わせぬほどきつい口調で言った。ミラははいと力なく答えた。

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