獅子達の時代

獅子達の時代①

 ガイラス帝国の帝都ガイラス・ジン。帝国の人口の約二割弱が住居している大都市である。政治の中枢であることは言うまでもなく、経済や文化の面でも中心地であった。


 その帝都のほぼ真ん中に皇帝が住まう皇宮があり、四つの地区に分かれている。皇帝の私的な住まいである北宮。皇帝以外の皇族が住まいとしている東宮。皇帝が政務を執り、各行政府が集まる西宮。そして各種の儀式や式典が行われる南宮がある。それぞれの区画から帝都の外壁に向って大路が延びていて、それぞれの方位に合わせて北大路、南大路などと呼ばれていた。


 今、南大路側の外壁にある大門が開かれた。この門は通称『凱旋門』と言われていて、帝国軍が帝都に凱旋した時にのみ開かれる門であった。


 外壁の頂上に陣取っていた軍楽隊が金管楽器を派手に鳴らし、凱旋した軍の勝利を祝福した。祝福を受けるのは帝国近衛騎馬隊三百騎。近隣領主の反乱を鎮圧し、威風堂々と帝都に戻ってきたのである。その姿が見えると沿道に陣取っていた数多くの民衆が一斉に歓声をあげた。


 帝国近衛騎馬隊の先頭を行くのは騎馬隊の長、即ちガイラス帝国第五十五代皇帝ジギアス・カーゼロン・ガイラスである。今年で二十四歳、即位して四年の若き皇帝である。黄金の鎧を身に纏った皇帝は、従者に兜を持たせ、さわやかな笑顔を浮かべ、集まった民衆に手を振って応えていた。体躯も本職の軍人に負けず劣らず大きく、典型的な美丈夫で、頭脳も聡明とされている。即位した当初は帝国きっての名君とされた獅子王レオンナルドの再来とも言われ多くの者から期待されていた。


 しかし、その期待は長く続かなかった。即位してから一年後に発生した神託戦争で指導力を発揮できず、今日の帝国の混乱を招いたからであった。


 民衆が皇帝に対して大いに失望したのは言うまでもなく、今皇帝に歓声を送っている民衆のほとんどが帝国政府によって雇われたさくらであることは、帝都民であるならば誰でも知る事実であった。




 「くそっ!」


 ジギアスは腰につけていた剣を投げるように従者に渡すと、鎧を着けたままどさんと椅子に腰を下ろした。ジギアスの鎧を脱がそうと近寄ってきた侍女達が困惑顔のまま壁際まで戻っていった。


 「陛下。鎧をお脱ぎになりませんと」


 見かねた侍従長ゼバンが言った。祖父、即ち先々代皇帝から仕えていたこの老人がジギアスは嫌いであった。名君と言われた祖父や凡庸ながら大過なく皇帝としての責務を果たした父と常に比べているような視線、言動が気に入らなかった。だから、皇宮に巣食う妖怪か何かと思うようにしていた。


 「アーキラスに言っておけ。さくらを用意するなんてくだらん真似をするなと」


 凱旋時に沿道に駆けつけた民衆のほとんどがさくらであることはとっくに見抜いていた。馬鹿にされた気がして非常に不愉快であった。


 「はぁ。式典長もよかれと思ったなされたことかと……」


 「だったらアーキラスに伝えろ。今度やったらくびにするとな」


 承知しました、と表面上は従うセバン。しかし、残念そうに眉をしかめ嘆息しているような息遣いを見ていると、無性に腹が立ってきた。


 『どいつもこいつも……』


 俺は皇帝だぞ、とジギアスは公然と叫びたかった。皇帝はこの大地の絶対者であり、全ての帝国民は皇帝の意に従う存在のはずである。それなのに神託戦争以来皇帝に背く者が続発し、ジギアスはその鎮圧に追い回されている。皇宮に帰ってきても、表向き従順でも内心では舌を出している連中ばかりである。


 「ささ、陛下。湯殿の準備ができています。鎧をお脱ぎなさいませ」


 ゼバンが手を叩くと、壁際に控えていた侍女達がジギアスに近寄ってきた。


 「自分で脱ぐ!」


 ジギアスは手で払うように侍女達を追いやると自分で鎧を脱ぎ始めた。




 「俺は皇帝なんだぞ、くそが!」


 湯船に浸かるジギアスは右拳を湯の中に叩きつけた。ばしゃっと大きな音がし、ジギアスの背中を流すために控えている侍女達が恐怖に身を縮めた。


 ジギアスには自分こそ皇帝に相応しいという自負があった。容姿も才能もこの時代において自分以上に優れている者はいないと思っていた。だからこそジギアスは我が手を血に染めてまでも帝位を掌中にしたのである。


 ジギアスの父である先代皇帝エルニードは無能でも有能でもない凡庸な皇帝であった。皇帝としての責務を無難にこなしながら、権力者としての嗜み程度に後宮に美姫を揃え、趣味である陶器人形の収集と作成に情熱を燃やす生涯を送っていた。


 エルニードの晩年には公的地位の夫人が二人いた。第二夫人のカヌレアと第三夫人のシュザンヌである。ちなみにジギアスの母である第一夫人はもうすでに世にいなかった。


 とりわけ晩年には第三夫人であるシュザンヌを寵愛していた。シュザンヌにはメキシアというひとり息子がいた。ジギアスとは対照的に線の細い詩文の才に長けた少年であった。ジギアスとしても、メキシアが皇帝の後継候補でなければ、義弟として可愛がっていただろう。


 しかし、メキシアにとっての不幸は母であるシュザンヌがエルニードに対して皇帝の後継に指名して欲しいと夜毎閨で囁いたことと、それが公然の秘密として皇宮内に知れ渡っていたことであった。


 エルニードは、シュザンヌの体を愛撫しながらも、彼女のからの要求に対しては慎重で即答せず、かと言ってジギアスが後継だと明言することもなかった。


 そうしているうちにエルニードは病に係り、結局後継を指名することなく崩御したのである。そこからのジギアスの行動はまさに電光石火であった。


 事前に第二夫人であるカヌレアの承諾を取り付けていたジギアスは、兵を率いて後宮に雪崩れ込み、シュザンヌとメキシアの首を刎ねたのであった。メキシアを後継に押していた一派もあまりの素早さに対応できず、黙してジギアスの即位を認めるしかなかったのである。


 「そこまでして手に入れた帝位だ。なのにどうしてこうも上手くいかないのだ……」


 自分もかつての獅子王レオンナルドや祖父であるマイオストロと比肩する名君として歴史に名を連ねるはずであったのに、今となっては完全に躓いている。市井では無能皇帝、戦しかできない猪皇帝と囁かれているのも、ジギアスは密偵の報告などで承知していた。


 「俺は皇帝なんだ。絶対に目に物を見せてやるわ」


 ジギアスは湯船から出た。体を拭こうと侍女達がよってきたが、手で制した。


 「よい、自分で拭く」


 ジギアスは侍女から手拭を奪い取ると、自分で体を拭いた。

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