元聖職者は己を信じ決着をつける⑧

 ヤナ・ヤナックは全力で走っていた。全力疾走など、幼少の頃からした記憶がなかった。


 「はぁ……痴れの者め!馬鹿者め!」


 息を切らせながらもヤナックは、罵ることをやめなかった。マゲンレルもコサハールも役立たずだ。あいつらが役立たずであったから、長年続けてきたお楽しみも終わりを迎え、命すら狙われる羽目になってしまったのだ。


 「くそっ!」


 今のヤナックは本能的に逃げるだけであった。これからの身の振り方など何も考えておらず、ただあの粗暴な襲撃者達から遠ざかることしか頭になかった。


 気がつけば夜になっていた。無闇になって逃げていたせいか、まるで見覚えのない場所に来ていた。どこかの山道であるには間違いないが……。今更になってヤナックは考えなしに逃げてきたことを悔いた。


 『これもマゲンレルとコサハールのせいか!我が魔法を使い、人を超越した存在にしてやったのに!』


 恩知らずめ、とヤナックは地団太を踏んだ。


 「お止めなされ、見苦しい」


 背後から声がした。驚いて振り向くと、教会の法衣を来た男が立っていた。それはつい先ほどまでヤナックが憎しみをこめて罵っていた相手であった。


 「マゲンレル……。貴様、生きていたのか……」


 「私を殺害するために僧兵を派遣したようですが、残念でしたな」


 「何だ!その言い草は!私がお前に魔力を与えてやったから、幻術を使えるようになりおった分際で!」


 ヤナックはマゲンレルに詰め寄った。


 「私に魔力を与えた?ご冗談を……。私があなたに魔力を与えたのですよ」


 記憶にないのも無理ないでしょうが、とマゲンレルは不気味に笑った。


 「調子に乗りおって!もう許さん。私の魔法で……」


 ヤナックは意識を集中して魔法を繰り出そうとした。しかし、何事も起こらなかった。


 「ば、馬鹿な……」


 「面白うございましたよ。長年、限りない人間の欲望というものを見せてもらいました。清廉潔白の皮をかぶりながら、その下では平然と外道の振る舞い。いや、愉快でした」


 「貴様……何を言っている!」


 「もう一生分の快楽を味わったでしょう。悔いはありますまい」


 マゲンレルが言い終わると、ヤナックはびくんと体を震わせ、そのまま地面に崩れ落ちた。すでにヤナックの事切れていた。


 「ここまで限りなく膨らんできた人間の欲。さてさて、次はどれほど大きな欲望に出会えますことやら。できるならば、この帝国を覆い尽くす強大な欲でありますことを」


 言い終わるとマゲンレルは跳躍した。背中から二枚の白い翼が現われて大きくはためき、マゲンレルの体を上昇させていった。


 やがてマゲンレルは空の星のひとつなって消えていった。

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