元聖職者は己を信じ決着をつける⑤

 「あいつらは移動を始めているぜ。僧兵の集団がこっちに向ってきやがる」


 マ・ジュドーとかいう黒い球体が黄色い口を開けて捲くし立てて喋っていた。この世ならざる怪異を見ているような気がして、ガレッドは彼が話している内容の半分も理解していなかった。


 「エルマさん、あれは……」


 「ああん?お前には見えているのか、こいつのことが。へぇ、教会の関係者ってのはそれなりに魔力があるんだな。おっさんも見えているのか?」


 ガレッドは激しく首肯した。


 「おい、注意しろよ!人間界に来て気が抜けているんじゃねえのか?」


 エルマが黒い球体を平手で叩いた。マ・ジュドーとやらは痛そうに顔をしかめた。


 「レン。某は幻を見ているのでござろうか……」


 「私も同じことを考えていました、ガレッド」


 レンもマ・ジュドーの存在を未だ認めがたいのか、目を丸くしていた。


 「で、マ・ジュドーよ。奴らの本体は見つけたのか?」


 「おうよ。こっから山を下ってしばらく行った所にある湖の近辺にいたぜ」


 「あいつらか……。シード、湖畔から私達を追い出した奴らじゃねえか?」


 「そうでしょうね」


 シードの表情が僅かに曇った。この温厚そのものの少年もこんな表情をするのだとガレッドは意外に思った。


 「それだけじゃねえぜ、お嬢。奴らはこの村目掛けて僧兵を繰り出してきてるぜ」


 それを早く言えよ、とエルマが再びマ・ジュドーをどついた。


 「僧兵を……まさか!」


 「おっさんの考えているとおりだよ。奴ら、村ごと消そうとしているんだ」


 ガレッドは、自分で思い当たったことながら、そのことを想像し戦慄した。ここまで手の込んだことを仕出かした連中である。そのようなことは平然とやってくるだろう。


 「面白いじゃねえか。さっきは暴れたりなかったら、存分にやってやるぜ」


 エルマが嬉しそうににやけながら、指の骨を鳴らす。


 「エルマさん!そういうのは駄目ですよ」


 「……ちっ」


 シードの叱責にエルマは悔しそうに舌打ちをした。この二人の関係は本当に分からない。


 「じゃあ、こうするか。へへ、こっちの方が僧兵どもにはいい薬になるだろうさ」


 エルマは近くにあった木の枝を拾い上げ、地面に線を書き始めた。それはやがて巨大な魔法陣を作り出した。


 「何をするんですか?エルマさん」


 「幻術には幻術さ」


 エルマが書き出された魔法陣の中心に移動し、何事か呪文を口にすると、魔法陣が光り出し幻影が浮かび上がった。それはどう見てもエビルドラクーンにそっくりであった。


 「エルマ殿……。これは?」


 「幻術だよ。あいつらが使っていたのに似せてやった。しかも、あんなちんけな幻術と違って、僧兵を見つけると攻撃するようにしておいた。安心しろ。村の連中には見えないように結界を張っておいた」


 これで僧兵どもは怖がって村に寄り付かないだろうよ、とエルマは満足そうに頷いた。


 「この幻術はエルマ殿が……。ひとつお聞きしたのだが、幻術は悪魔の仕業なのでござるか?」


 「さてね。黒魔術が悪魔で白魔術が天使だなんてお前らは定義しているようだが、私からすれば関係ねえよ。魔力さえあれば黒だろが白だろうが使える。幻術なんて簡単な技ならなおのことだ」


 案外天使の仕業かもな、とエルマは笑った。つい数日前までのガレッドであったら、怒り狂ってエルマに飛び掛っていただろうが、教会司祭の悪行を知ったとなっては、エルマの言葉を否定することはできなかった。


 「さてさて。じゃあ、一番悪い奴らにお目にかかるとしますかね。湖畔での恨みもある。マ・ジュドー、案内しな」


 「了解!奴らの臭い、ちゃんと覚えているぜ」


 付いて来な、と上空に浮かび上がるマ・ジュドー。空を飛ばれたらついていけませんよね、とレンが妙なことに同意を求めてきたので、ガレッドは少々困りながらも曖昧に頷いた。




 ガレッド達はホーランを去った。二度と戻ることもないだろうが、格別離別の言葉もなく、万が一のことを考え、僧兵達が襲撃してくるかもしれないことを忠告し、用心するように言い渡しただけだった。


 「あの村々はどうなるんでしょうかね?」


 坂を下りながら時々振り向くシードが心配そうに言った。


 「普通の平穏な村に戻る……とはいかないんでしょうね」


 レンにも想像がつかなかったのか、彼女のしては歯切れの悪い返答であった。


 「どうでもいいさ。そんなことは村の連中が決めることで、私達の決めることじゃねえよ」


 エルマの言っていることは正論であった。だが、正論であるからこそ、とても冷徹に感じられた。


 「でも、結果的にあの村々を引っ掻き回してしまったのは私達なのです」


 「お嬢ちゃんよ、今更後悔しているのか?」


 「そのお嬢ちゃんというのはやめてください」


 そりゃ悪かったね、とエルマは鼻歌でも歌うかのように言った。


 「後悔をしているわけではありません。しかし、私達が原因で村々の秩序は崩壊してしまったんです。ある程度責任を持って彼らにこれからの道を示してあげなければならないのでは、と思うのです」


 「それこそ奴らの責任だぜ。かつてあのくだらない儀式を受け入れたのも奴らだし、お前らを受け入れたのも奴らなんだ。お前達も私達もそのきっかけに過ぎない。選んだのはすべて奴らだ」


 「しかしですね……」


 「奴らは目に見えぬ教会の束縛から解放されたんだ。精神的に自立できて目出度いじゃねえか。それにあいつらならちゃんとやれるさ。心配することはない」


 エルマが単に無責任に言っているのではないとガレッドは思った。本当に村の人々が立ち直って新しい秩序を構築していくであろうことを信じて疑っていない様子であった。自分で悪魔悪魔と言っているが、本当に悪魔なのだろうか。ガレッドは改めてそのことを口にしようとしたがやめた。きっとエルマがむきになるだけだ。


 「おおい、お嬢」


 ちょうど山を下りきったところで、マ・ジュドーとかいう黒い球体が帰ってきた。緊迫感のない声でしまりのない顔をしている。ガレッドから見れば不気味でしかないが、どういうわけかレンは目をきらきらとさせていた。


 「おう。どうだったよ」


 「連中が止まったぜ。こっからそう遠くない川縁の建物の中に入っていきやがった」


 「川縁でござるか……」


 ガレッドは近辺の地図を思い浮かべた。そういえばこの辺に教会が所有している宿泊施設のようなものがあった気がした。そこを拠点にサイラス領北部の教化活動を行うことになっているのだが、大抵の場合は教化に訪れた集落で歓待され寝泊りをするのでほとんど使われていないのが現状のはずである。ガレッド自身もその存在とおおよその場所が分かるだけで実際に使用したことはなかった。


 「ガレッド。知っているのですか」


 レンがマ・ジュドーから視線を移してきた。あの愛玩動物を見るようなきらきらした目から真剣そのものの眼差しに変わっていた。


 「おおよそは。近辺にはその建物しかないから間違わないはずでござる」


 「でかしたぜ、おっさん。おい、お前は村の方に戻って僧兵どもを監視していろ。幻術で罠を仕掛けておいたから大丈夫だとは思うが念のためだ」


 エルマはマ・ジュドーに命じていた。なんだかんだと村人達を心配しているらしい。やはり悪魔には見えなかった。


 「何にやにやしているんだよ、おっさん」


 「な、何でもござらん。さぁ、こっちでござるよ」


 ガレッドは一行の先頭に立って歩き出した。

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