元聖職者は己を信じ決着をつける③

 結局、ガレッド達はまともに休息することなどできなかった。


 シュレナが戻ってきたことを喜ぶこともなくマシューの葬送が行われ、気がつけば朝を迎えていた。


 ひとまず眠りましょう、とレンは勧めてくれたが、ガレッドは生返事をするだけで、マシューの家の近くになった大樹に背中を預け、呆然と空を眺めていた。


 「眠れないのですか?」


 と問いかけてきたレンはいかにも眠たそうだった。時折、欠伸をかみ殺しているのが分かった。


 「レン殿。眠られよ。某は平気でござる」


 「ガレッド。『殿』をつけるのは止してください。私はガレッドより年下ですし、名前で呼び合うのに敬称をつけるのは変です」


 「そ、そうでござるか……」


 妙な抗議をするものだと思いながら、レンが望むのであればそうすることにした。


 「レン。眠れた方がいい。これからどうなる分からぬのですから」


 「私も眠れないのです。おかしいですね。体は眠ることを欲しているのに、寝付けないんです」


 あの二人が羨ましいです、とレンは言った。エルマとシードは部屋を宛がわれるなり、それぞれベッドに潜り込んだようであった。エルマに至っては部屋の外まで鼾が聞こえてきた。


 「ガレッドはマシュー殿が自ら命を絶ったことを悔いておられるのですか?」


 レンはガレッドが眠れない理由を的確に言い当てた。ガレッドは力なく頷いた。


 「シュレナ殿を助けることはできた。村々を救うこともできたかもしれない。しかし、一方でマシュー殿は命を絶たれ、悲しみは残った。結局、某は何を救いえたのだろう……」


 「残酷な話ですが、すべてを救うことはできません。どういう結果であれ、いずれマシュー殿は自ら命を絶っていたでしょう」


 「どういう意味でござるか?」


 「毒の入っていた小瓶ですよ。マシュー殿はわざわざ毒を小瓶に入れて携帯していたんですよ。いつでも飲めるように……」


 ガレッドは息が詰まるほどの衝撃を受けた。それは事実なのだろうか。


 「私達がホーランにたどり着かなくても、自分の孫娘を生贄として差し出すことが決まった時点で決意していたのではないでしょうか?」


 死人に口なし。すべてはレンの推測にすぎない。いや、マシューが生贄の儀式に教会が関わっていたという事実も、今では推測に域を出ることはなかった。やはり救えたものなど何もないのではないか……。


 「某はまた過ちを繰り返してしまったのか……」


 「過ち?」


 「某には救いたい故に救えなかった命がござった……」


 ガレッドには辛い、今でも心を苦しめる過去があった。今まで懐中に秘めてきた過去であったが、レンになら語ってもいいと思えた。


 「某は昔、そう十年以上も前になるが、ここからずっと南にある小さな町で自警団の団員をしていたのでござる。そこに同じ年の娘がいたのでござる。美しく、陽気で明るい性格なので、同年代の男子からは実に人気がござった。ところが娘には少々悪い癖がござってな」


 「悪い癖?」


 「左様。盗みでござる。と言っても、商店に並んでいる食べ物や化粧品といった低価なものばかりでござるが」


 「確かにそういう小規模な窃盗が癖になっている人はいると聞いたことがあります」


 「まさしくその娘はそうでござった。某は自警団にいる関係上、その娘と顔を合わすことが多ござった。自警団の詰所に連行し、尋問したこともござった。捕まった時は大泣きして、もう二度としないと謝るのでござる。しかし、また繰り返すのでござる。何度も何度も……」


 「その娘さんの親御さんは?」


 「娘は孤児でござった。だから教会の孤児院でずっと育てられてきたのでござる。裕福な町であったら、孤児院の資金も豊富であるし、あるいは富家に養子として引き取られることもあったでござろうが、何分貧しい町だったので、娘の様に窃盗を繰り返す孤児は決して珍しくなかったのでござる」


 「必ずしも貧しさから悪に走るとは限りませんが、まぁ、よくあることなのでしょう」


 「左様。悪の道に進む理由に貧富は関係ござらん。今回の事件を見れば一目瞭然でござろう。しかし、貧しさというのは時として罪なのでござろう。その娘も貧しい境遇になければきっと窃盗癖が止むのではなかろうか。某はそう考えて、娘を妻としたのでござる」


 レンが息を呑む音が聞こえた。、


 「我ながら突飛な発想だと思ったでござるよ。しかし、この娘を救うにはこれしかないと思ったのでござる。貧しい町でしたが、自警団の団員はそれなりに収入がよく、娘を妻にしても十分困らぬ生活はできたのでござる。貧しくなく、食うものに困らず、適度な贅沢ができれば窃盗はしない。そう思ったのでござるが……」


 「またやったと?」


 「左様。別の自警団の団員からその知らせをもらった時は心臓が止まるかと思ったでござる。妻は泣いて某に許しを請いました。最初は某も妻を許しました。癖でしてしまった。そのうち治ると……」


 「けど、治らなかった?」


 「結局、妻は何度も繰り返しました。その度に妻は許してくれと泣きました。某は我慢しながらも妻を許してきました。しかし、十回目ぐらいでござろうか、ついに某の堪忍袋の緒が切れたのでござる。某は怒鳴り平手で妻を打ちすえたのでござる」


 「今のガレッドからは想像もできませんね。でも、怒るのも無理ないと思います」


 「某も激しく後悔致した。妻は泣き叫び、ごめんなさい、もうしませんと繰り返すだけでござった。某も悪かったと妻に謝り、ひとまず落着したのですが、その二日後、妻はまたやってしまったのです……」


 「……」


 「連絡を受けて詰所に戻ってみると、妻は憔悴しきってござった。いつものように泣いて某に許しを請うこともなく、ただ焦点の定まらぬ瞳でごめんなさいと繰り返すだけでござった。妻のあまりの変わりように某は言葉がござらんかった。そしてその晩、妻は自ら命を絶ったのでござる」


 もはやレンに言葉はなかった。思いつめた顔で今にも涙腺が崩壊しかねないほどに瞳に涙を溜めていた。


 「今でも思い出すのでござるよ。ふと目覚め、隣で寝ているはずの妻がおらず、胸騒ぎを覚えて台所に向かうとそこには妻が……」


 「ガレッド!もういいです!」


 自然と力強く握り締めていたガレッドの右拳に、レンは優しく手を置いた。ガレッドの手の甲より遥かに小さな手であるが、言い知れぬ温かみがガレッドの拳を覆った。


 「それはガレッドの罪ではありません。奥方の罪でもありません。偶然が重なり、そういう悲劇を生んだだけです。ですから、ガレッドがそのことで気を病み、罪の意識を負うことはありません」


 自分を責めないでください、とレンが言った。


 確かにレンの言うとおりなのかもしれない。あのまま妻として娶ろうが娶るまいが、あの娘の癖が止むことはなかったであろう。仮に娶らなかったとしたら、やがて町から放逐され、何処かで野垂れ死ぬか、別の町で同じことを繰り返し挙句に投獄されていたかもしれない。あの娘に幸福などついぞやって来なかったかもしれない。


 しかし、あの時、妻を平手でぶってしまったこと。たった一度のことながら、あれが妻の死に直結しているのだと思うと、やはり妻を救えず自分をしに至らしめてしまったのは己だという激しい後悔が頭をもたげていた。


 「そうだよ。お前は何も悪かねえよ」


 背後から声がした。振り向くとエルマとシードが立っていた。


 「すみません。盗み聞きするつもりはなかったんですが、つい……」


 本当に申し訳なさそうに頭を下げるシード。レンがガレッドの拳からぱっと手を離した。


 「そこのお嬢ちゃんの言うとおりだぜ、おっさん。お前は誰かを救いたいんだろ?このまま過去の過ちに囚われていたら、結局また誰も救えなくなるぜ」


 エルマが拳を作ってガレッドの頭を打つ真似をした。


 「罪を背負って己の信念を突き通すか、信念を曲げて罪から逃れるか好きなほうを選べ」


 揺ぎ無き信念を持った力強さを持った眼差しでエルマはガレッドを見下ろしていた。レンが持っている力強さとはまた違う種類のものをガレッドは感じた。レンの力強さが凛とした澱みない清純さだとしたら、エルマのそれは猛々しい炎のようであった。その炎がガレッドの胸のうちにあった黒々したものを焼き尽くしていった。


 「某は馬鹿でござったな……。こんな娘さんに諭されて気がつくなんて……」


 そうなのだ。いくら妻のことを悔いたところで妻が戻ってくるわけではない。そして、そのことに囚われていて誰かを救うことに躊躇いを感じていては救えるものも救えなくなるのだ。そんな単純な理屈、自分よりも年若の女性に言われて気がつくなんて、本当に馬鹿で愚かであった。


 「エルマ殿。悪魔などと仰っていたが、やはり戯言でござるな。悪魔がそんなことを言って某を励ますはずがないでござるからな」


 「なっ!馬鹿なことを言うな!私は正真正銘の悪魔だぜ!」


 「そうですよね、ガレッドさん。エルマさんは悪魔じゃありませんよね」


 「ばっ!シードまで何言ってやがるんだ!私は悪魔だと言っているだろう!」


 エルマはむきになって吠えた。むになればむきになるほどその言葉が嘘っぽく聞こえた。ようやくガレッドはこの二人に心許せるようになった気がした。


 「エルマ殿、シード殿、そしてレン。某は己の信念を貫き通したいでござる。某はどうしたらいいでござろうか?」


 エルマに諭され、ガレッドはやはり己の信念を貫き通す道を選びたいと思った。そして不思議なことながら、その道先を指し示すのが知り合ったばかりのこの三人であるような気がしてならなかったのだ。


 「ああん?そんなこと決まっているだろう。敵を討つんだよ。あのじいさんのよ」


 すぐさま口を開いたのはエルマだった。


 「敵?」


 「分かってんだろう?こんな茶番を仕掛けた教会の連中だよ。さっきは逃げられちまったけど、ただで逃がしたわけじゃねえんだよ。おい、マ・ジュドー」


 エルマが空に向って叫ぶと、上空から黒い球体がふよふよと近づいてきた。


 「何ですか、あれ?」


 レンが尋ねたが、エルマは答えずにやにやと笑っていた。


 「こいつに尾行させていたのさ。教会の連中をぶっ殺してもいいし、奴らの悪行を巷間に広めてもよし。どちらにしろ、まずは会いにいかないとな」


 なぁお前ら、とエルマは嬉しそうに言った。

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