元聖職者は理不尽な世を嘆く②

 帝国において民衆の信仰の対象となっているのは唯一天帝であり、地上においてその祭祀を執り行うのが教会である。


 千年前、つまり天帝によって悪魔達が封印される以前は、この大地にも複数の宗教が存在したらしいが、悪魔封印という偉業の前に他の宗教の神々は天帝の前に平伏し、姿を消したと言われている。以来、帝国において宗教といえば教会しか存在しなかった。


 当然ながら帝国内における教会の影響力は大きい。帝国内部に教会の総本山エメランスを含め四つの教会領を持ち、教会領の経済規模は十ある帝国直轄地より大きいとされている。


 帝国北部にある教会領サイラスは、四つの教会領の中でももっとも規模が小さい。それでも領都であるドノンバは、帝国北部でも一、二を争う経済都市であった。


 中心には白亜の宮殿を思わせる十層の巨大な建物がある。それがドノンバの人々が祈りを捧げる場所、教会である。


 普段ならば教会の講堂では静謐の中、人々が敬虔な祈りを行っている。しかし、その日は、静謐とは程遠い怒声が講堂の空気を震わせていた。




 「理不尽でござる!」


 白い頭巾をかぶり、聖職者とは思えぬ巨躯の持ち主であるその男は、自らを取り囲む司祭達を威圧するように声をあげた。尤も、本人には威圧する意図はなく、この大音声がこの男の地声であった。


 「控えよ。ガレッド・マーカイズ。ここは神聖な講堂であるぞ。ましてやここにおられるのは司祭の方々。僧兵如きが大音声で異を唱えるなど言語道断」


 僧兵長が一括すると、周囲にいた僧兵達がガレッドに群がり、彼を押さえつけた。


 司祭と僧兵は異なる。僧兵は同じ聖職者という位置づけながら司祭より下に置かれ、その役割も人々の教えを説く司祭に対し、僧兵はその名のとおり、教会が抱える兵士であった。


 僧兵の始まりは、各地の教化に赴く司祭を盗賊などから守る兵士達を教会が雇い入れたことだといわれている。しかし、その存在は時代が進むにつれ肥大化し、今では教会の独立性を保つ帝国政府への無言の圧力と揶揄されることもあった。


 「理不尽なことを理不尽と言って何が悪いと申されるか!」


 ガレッドは屈しなかった。相手が司祭であろうと正しくないことは正しくないと主張する。それがガレッドの性格であった。


 「理不尽とは何事か?」


 ガレッドを威圧するように見下ろすのは、サイラス領の司祭長ヤク・ヤナック。教会領の司祭長は領主も兼ねている。


 「先刻申したとおり、帳簿のことでござるよ!」


 ガレッドは立ち上がろうとした。二人の僧兵で押さえつけていたが、押し返されそうだったので、さらに二人が加わってきた。ガレッドはがたっと肩膝を突いた。


 「帳簿は長年、コサハール司祭が管理しておるが?」


 「その帳簿でござる。長年、収支が合っておりませぬ」


 「これは面妖なことを。そなたはちゃんと帳簿をご覧になったか?収支は合っているはずだが」


 と応じたのはコサハール本人であった。ニヤッとガレッドを蔑むように笑った。


 「確かに合っておられる。しかし、意図不明な支出が多数ござる。いや、支出だけではなく、収入に関しても不振な点が多い。本来、教会では認められていない寄付が行われている可能性がござる。ここ五年に帳簿を精査すれば明らかになるはず!」


 コサハールの眉が痙攣するように動いた。ガレッドは確信した。間違いなく帳簿の操作は行われている。


 ガレッドが教会の資金に疑問を持ち始めたのは一年ほど前のことであった。以前よりヤナックを初めとする司祭連中の聖職者にあるまじき豪奢な生活ぶりに疑問を感じており、どこからその資金が来ているのかを追求しようと思ったのが始まりであった。


 教会の帳簿は教会関係者ならば誰しも閲覧できるようになっている。ガレッドは、役目の合間を縫って帳簿を丹念に調べ、明らかに不自然な収支をいくつも発見したのだ。しかも、それが始まったのはコサハールが教会の出納を任されるようになってからであった。


 「コサハール司祭。ガレッドはこのように申しておるが、どうか?」


 「全く身に覚えのないことでございます。司祭長」


 茶番であった。初めからヤナックとコサハールは通じでいるのだ。ガレッドがコサハールを弾劾しても、まともに取り調べることもしなかったのだ。


 「コサハール司祭は身に覚えがないと申しておるぞ」


 「それが理不尽だと申し上げておるのです!コサハール司祭の言だけを信じてろくに帳簿も調べず、訴え出た某をこのような場に引きずり出すなど理不尽の極みでござろう!」


 「黙れ!僧兵如きの言と司祭の言。どちらの方が信ずるに値するか、言うまでもなかろう!」


 コサハールがガレッドの胸を蹴り上げた。しかし、痛みなどまるで感じなかった。逆にコサハールの方が足を痛めたのか、しゃがみ込んで足先を摩っていた。


 「マーカイズ。罪は君の方にある」


 「罪?罪ですと?」


 ガレッドは驚愕した。罪を訴え出たはずなのに、こちらに罪があるとヤナックは言うのである。


 「それはありもしない罪を訴え、コサハール司祭を貶めたことだ。誣告罪だ」


 「某の訴えを誣告罪と仰るか!」


 ガレッドは激昂した。四人の僧兵を押しのけ、猛然と立ち上がろうとした。ひっと悲鳴を上げてコサハールが後ずさった。さらに二人の僧兵が押し潰すようにガレッドに圧し掛かってきた。


 「誣告罪と仰るのならそれで結構。しかし、そうであるならば、某が申し上げた帳簿を徹底的にお調べいただきたい。その上で不審な点が皆無であるならば、誣告罪でも何でも受け入れまする」


 「それには及ばず。コサハール司祭の潔白は明白」


 「何の調べがあっての潔白か!それが理不尽でござる!」


 「くどい!これは司祭長の裁量内における判断だ」


 ガレッド・マーカイズ破門とする。


 ヤナックは冷然と言い放ち、ガレッドに背を向けた。

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