元聖職者は理不尽な世を嘆く
元聖職者は理不尽な世を嘆く①
神託戦争。
帝暦1221年桜花の月に始まった帝国を二分した戦争。
発端は教会の巫女より下された宣託に基づき皇帝が発布した勅令の可否を巡る皇帝派と反皇帝派の対立が原因。
一年と五ヶ月に及ぶ争乱で死者は二万人とも十万人とも言われ、領土や家督を巡る係争、盗賊の跋扈など帝国の秩序を著しく低下させた。
神託戦争について、多くの歴史書はそう簡潔に記している。
取り分け帝国の正史にはたった二行しか記されておらず、いかにこの争乱が帝国の歴史にとって恥部であったかを如実に表している。
しかし、この争乱がもたらした帝国の混乱を考えれば、その詳細を忌避するわけにはいかないだろう。
事の始まりは、教会に属する巫女が下した宣託にあった。
『いずこより恐ろしき異形のものが雲霞の如く現われ、やがて天地を覆い尽くすだろう』
この宣託に教会内部は震撼した。千年前に天帝が封印した魔界の扉が開かれ、悪魔達が人間界に襲い掛かってくる。司祭達はその光景を想像し、哀れなほどに狼狽した。
教会はすぐさまこの宣託を帝国政府に報告した。事の重大性を鑑みた帝国政府は皇帝の勅令として以下の法令が発布した。
・悪魔との聖戦にそなえ、臣民は天帝と教会への信仰を深め、皇帝への忠誠を厚くせよ。
・悪魔との聖戦にそなえ、臣民は秩序を保ち、節制を心がけよ。
・悪魔との聖戦にそなえ、臣民はよからぬ風聞を広めず、惑わされないこと。
・悪魔との聖戦にそなえ、各領主は軍備を整えよ。
・悪魔との聖戦にそなえ、各領主は常備軍の四割を皇帝直轄とすべし。
・悪魔との聖戦にそなえ、各領主は帝国への租税を二割り増しとすべし。
問題となったのは五項目と六項目であった。これらは実質的に各領主への経済的な負担増を意味し、領主達の反感を買った。
「この皇帝勅令は帝室の私腹を肥やし、支配権を絶対化するものであり、宣託はその方便に成り下がっている。帝国政府と教会が結託してありもしない宣託を下したのではないか」
と強硬に主張したのはアドリアン・シュペールト公爵。皇統にも連なる公爵の発言権は大きく、帝国の各領主たちは、皇帝勅令に従おうとする皇帝派と、シュベールト公爵に同調する反皇帝派に二分されることになった。
当初は両派による舌戦に過ぎなかったが、具体的な武力衝突へと発展したのは、とある領主の家督争いであった。
帝都ガイラス・ジンに近いメルトビス領は、カーライン子爵の領地であった。子爵には年の近い息子が二人いたが、どちらを後継者と決めることなく死去してしまった。当然のように家督をめぐる争いが発生した。
子爵の長男は当代皇帝の近習を勤めたことがあり、自分が子爵の後継になれるよう皇帝に働きかけた。もし、この長男が聡明、あるいは凡庸であっても人畜無害であればよかったかもしれない。しかし、この長男は普段より素行不良が目立ち、子爵の家臣団の中には長男が新たな領主となることを快く思わない者も多かった。彼らは反発する磁石のように次男を擁してシュベールト公爵に救いを求めた。
やがて長男派と次男派は武力衝突を起こし、それらに助力するようにして皇帝派、反皇帝派が介入し、全面的な戦争となったのであった……。
戦争は一年と五ヶ月で終わる。双方が自らの陣営の疲弊を無視できなくなり、和睦する形で終了した。残されたのは破綻した帝国の経済と崩壊した治安だけであり、人々にとって何一つ得ることがない戦争であった。
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