少年は激昂し覚醒する⑤

 「ゼ、ゼハム。これは一体、どういうことだ?」


 トロンダが長身の男に言った。


 「ちょっとした厄介払いですよ。どこかで同類に嗅ぎつけられましてね。邪魔にならないうちに排除しなければ」


 意味が分からん、と絶叫するトロンダには何も答えず、ゼハムがエルマの前に立ちはだかった。


 「貴様が悪魔だな。品のない使い魔を連れて。ふん、こんな単純な罠に掛かるとは、相当な下等悪魔だな」


 やっぱりマ・ジュドーの奴、尾行に気づかれていたようだ。後で思いっきり踏み付けてぶん殴ってやる。だが、今はそれよりもこの青白い男だ。マ・ジュドーよりこいつの方が数百倍腹立たしい。


 「下等悪魔だと、てめぇ……」


 「犬のように這い蹲っているじゃないか、下等め。どうして私の後を付けさせた?金の臭いでも嗅ぎつけたか」


 「はん。貴様があの腹ぼて代官を操ってせこく小銭をかき集めていたんだな。そのために村を焼き討ちするとは悪魔でも外道中の外道だな」


 「外道で結構。我々悪魔では最高の褒め言葉じゃないですか」


 薄気味悪い声で笑うゼハム。そのやせ細った頬に渾身の一撃をお見舞いしてやりたいが、魔縛結界がエルマの体の自由を奪い続けている。もう少し力を溜めて、一気に解放すれば……。


 「お前が、お前がやったのか!」


 それまで同じく魔縛結界の餌食になっていたシードが金棒を杖にして立ち上がった。そういえばシードの奴、魔力もないくせにどうして魔縛結界に引っかかっていたんだ?


 「貴様は悪魔?いや、違う……」


 「たぁぁぁぁっ!村のみんなの敵!」


 どこにそんな力があるのか、魔縛結果の力を諸共せず、シードはゼハムに突進した。


 「何者か知らんが、小癪な」


 ゼハムが胸の前で拳を作ると、体に掛かる重力がさらに強くなった。


 「ぐっ!」


 「うわっ!」


 シードがゼハムの目前で倒れ込み、がらんと金棒を手放してしまった。


 「貴様、あの村の生き残りなのか?まさか生きている奴がいたとはな」


 ゼハムの足先がエルマからシードの方に向きを変えた。 


 「敵討ちとは殊勝な話だが、私の正体が知られた以上、生かしておくわけにはいかないな」


 下等悪魔共々葬ってやる、とゼハムが拳を強く握り締めた。重力がよりいっそう強くなる。


 『この野郎……!』


 できるだけ穏便に済まそうと思っていたが、もう我慢ならない。この屋敷をぶっ壊してでもあの青白男をぶっ殺してやる……。


 「ぐわぁぁぁぁぁぁぁ!」


 シードが絶叫する。このままではシードの体がもたないかもしれない。


 「シード!うん?」


 背中を丸めて苦しむシード。その背中が白く強い輝きを発していた。


 「何だありゃ?小僧はどうしちまったんだ?」


 「あれは、まさか……。伏せろ!マ・ジュドー!」


 エルマが叫んだ瞬間であった。堰を切った河川の如く、シードの背中から複数の光の筋が勢いよく放出された。光は実体を持っていて、室内の書棚、机などを次々と粉砕していき、仕舞いには壁すらを破壊していった。実はこの時、光はトロンダの肉体をも消滅させてしまったのだが、シードは勿論エルマもそのことには気がついていなかった。


 「お嬢!あ、あれって……」


 エルマが伏せを命じたおかげで事なきを得たマ・ジュドーが怯えの声を上げた。


 「ああ、分かっている」


 シードの背中から発せられた光は、やがて形を作っていく。その形は大きく長い翼であった。見紛うことなき天使の翼だった。


 「シードの奴、天使だったのか……」


 しかもただの天使ではない。その翼の大きさは、カーブ村で見たツムギウェルの三倍以上あり、枚数は左右合わせて八枚。天帝の倍だ。


 「馬鹿な……。天使だと……。しかも、この力の大きさは」


 エルマ以上に驚いているのはゼハムであった。驚きのあまり気を逸らしてしまったのか、エルマ達にかけていた魔縛結界が解かれていた。


 「どうやらお前の魔縛結界が引き金になったらしいな」


 もはやエルマを押さえつける力はない。シードから生えている翼をよけながら、ゼハムに近づく。


 「散々この私をコケにしてくれたな!下等悪魔?犬のようだと?てめぇの脳裏に恐怖って言葉を刻み込んでやるぜ」


 エルマは全身に力を入れた。額に抽象化された獅子の紋章が現われた。


 「げっ!それは魔界王家の紋章!?まさか……」


 「とことん苦めて殺してやろうと思ったがやめた。その面、見ているだけで反吐が出るからな!」


 エルマは渾身の一撃をゼハムの顔面に叩き込んだ。ゼハムの顔が人間のものから悪魔へと変化したが、一瞬のことであった。ゼハムの頭部は吹っ飛び、命令系統を失った胴体は存在する意味を失い、煙のように消滅した。


 「けっ、手が汚れちまったじゃねえか」


 「お嬢、そんなことを言っている場合じゃねえ!小僧を何とかしねえと」


 マ・ジュドーが落ち着くなく宙を漂っている。シードの背中からは天使の翼が出現したままであり、マ・ジュドーはそれらに触れないように飛んでいる。


 「そう言われてもな……。シード、もういいぞ。敵を討ったぞ」


 エルマの言葉が通じたわけではないだろうが、やがて天使の翼が小さくなっていき、完全に消えた。ぐったりと倒れるシードの体だけが残った。


 「ふう、おっかねえ。何なんだよ、こいつ……」


 マ・ジュドーが恐る恐るシードの近づく。エルマも近づいてみると、いつものシードが気を失っているだけだった。


 「あの翼だ。天使なのは間違いない。でも、常に出ているわけじゃないのか……」


 「お嬢!こんな奴、放っておこうぜ。天使で、しかもあんな馬鹿でかい翼を持っているんだ」


 マ・ジュドーは怯えているが、エルマは興味の方が先立った。記憶を失った天使。しかも、天帝以上の翼を持っている。こんな面白い奴、放っておくことなんてできるはずがなかった。


 「決めた!やっぱり、こいつを私の奴隷にする!」


 「お、お嬢!正気かよ!」


 「天帝以上の翼を持った天使が奴隷。これ以上の喜びがあるか!」


 エルマは大声で笑った。魔界を飛び出してきて、改めてよかったと思った。

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