少年は激昂し覚醒する④

 マ・ジュドーの案内に従い、屋敷内部を進む。警備の兵士などに出会うこともなく、エルマ達は三階にやってきた。


 「どうにも静か過ぎるな……」


 エルマとしては二、三人ほど兵士をぶっ飛ばさなければならないと覚悟していたが、そんなことはなくこれまで順調に来ている。順調なのが怖いぐらいだ。


 「おい、ぽんこつ丸。本当に警備の兵士がいたのかよ」


 「いたよ~。だから、こうして兵士がいる場所を避けて案内しているんじゃないか」


 そんなことを言われても、マ・ジュドーのしまりのない顔を見ていると、どうにも信用できなかった。


 「お嬢の取り越し苦労だぜ。いいじゃねえか、余計な戦いをしないで済んだんだから」


 「ま、そりゃそうだが……」


 エルマは、ちらっと後方からついて来るシードを見やった。先ほどまでとは打って変わって緊張しているのか、顔が無表情に硬直していた。本気でトロンダをやるのなら、その前哨戦として兵士と戦わせておいた方がよかったのだが、どうもそうは上手くいかないらしい。


 「それよりもお嬢。そこだぜ。例の悪魔の気配がする奴がいるのは」


 エルマ達がいる廊下の先にやや大きめの扉があった。扉表面には獅子か何かの彫刻が彫られていて、他の扉と明らかに異なっていた。下の隙間から明かりが漏れているので誰かいるらしい。


 「領主の部屋って感じだな。でも、私には悪魔の気配なんて感じねえぞ」


 「俺も今は感じねえが、間違いねって。俺がお嬢に嘘いたことなんてあるか?」


 「存在自体が嘘くさいくせに……。おい、シード。準備はいいか?」


 「は、はい!」


 金棒を両手で持ち上げているシードは、見た目で分かるほど震えていた。これが武者震いであることを祈るだけだ。エルマが先導し、扉に静かに近づいた。


 「おら!クソ代官!」


 鍵がかかっているかどうか確かめるのが面倒だったので、思い切って蹴破った。中には肥満体の男がひとり、ソファーに踏ん反り返りながらグラスを傾けていた。


 「誰だ!」


 闖入者に驚いた男はグラスを落とした。蒸留酒でも入っていたのか、琥珀色の液体がカーペットに広がっていく。


 「誰でもいい。お前がトロンダか?」


 「そうだ。それと知るならばとっとと失せろ。わしは領主の代官であるぞ」


 「はん、偉そうに。代官が聞いて呆れる。一個の村を焼き、村人を皆殺しにしておいて、よくそんなことを言えたものだな」


 「どうしてそれを……」


 エルマが言い放つと、トロンダが怯えたように口を滑らせた。あんな大胆なことをした割には、臆病で小心者っぽい感じがした。


 「どうやら間違いないらしいぞ、シード!」


 エルマはシードのために道を開けた。金棒を構えたシードがおずおずと前に出た。


 「こいつはお前が焼いたカーブ村の生き残りだ。さぁ、その金棒であいつの脳天ぶちまけて来い!」


 「曲者じゃ!誰かある!」


 ここに至ってようやくトロンダが助けを呼ぶ声を上げた。


 「よし、シード。兵士は私が引き受けるから早くクソ代官をやっちまえ!」


 エルマはトロンダに背を向けて、来るべき兵士を待ち構えた。しかし、肝心のシードは金棒を構えたまま進もうとしなかった。


 『ちっ!今になってびびりやがって!』


 ケツでも蹴っ飛ばしてやろうと思ったが、こちらに向ってくる足音がしたので断念せざるを得なかった。


 「さっさとやれ!」


 鎧を身に着けた兵士が二人、飛び掛るように部屋に乱入してきた。


 「どりゃぁぁぁぁ!」


 エルマは拳を振るった。右側にいた兵士の仮面が大きく窪み、そのまま崩れ落ちた。間髪容れず、左側のいた兵士の喉下に蹴りを入れた。ぐえっと短い呻きあげた兵士も、脱力するようにその場に倒れた。


 「シード。ぼさっとするな!村の奴らの敵を討つんだろう!」


 とりあえず先陣は始末できた。しかし、多くの足音がさらに向ってくる。これ以上の相手をするなら魔法を使わなければならない。エルマとしては魔法を使ってしまうとどうしても目立ってしまうので、できるだけ使いたくないのだが……。


 「はぁ、あああああ!」


 ようやくシードが走り出した。金棒を振り上げてトロンダに向っていったが、それをトロンダの脳天に振り下ろすことなく、座っていたソファーの背に落とされた。金棒を持ち上げる力が尽きたのか、はたまたわざと狙いを外したのか。


 「小僧めが!」


 相手が大したことないと判断したのだろう。トロンダは、壁にかけてあった剣を掴み取り、鞘を抜き捨てた。


 「たぁっ!」


 巨漢であっても剣術の心得があるのか、トロンダが素早い動きでシードに襲い掛かってきた。シードはもたもたと後ずさりをし、トロンダの一撃をかわしたが、どすんと尻餅をついた。そこへトロンダの第二撃が迫ってきた。


 「ちっ。シード」


 やむを得なかった。エルマは右手に炎を宿し、トロンダに投げつけた。


 その瞬間であった。どすんとエルマの体全体に重石のようなものが乗っかってきた。いや、実際に重石などなく、過度な重力がエルマの体に圧し掛かってきたのだ。


 「な、何だ……」


 エルマは立っていられなくなった。まるで床に吸い寄せられるようにして両膝をついた。いつの間にか床には幾筋もの光の線が蜘蛛の巣のように張り巡らされていた。


 「ま、魔法陣だと……」


 エルマは両手もついた。複雑な文様をした魔法陣が部屋全体に仕掛けられていたのだ。


 「ちっ!はめられたか!マ・ジュドー!てめぇ、やっぱり気づかれていたんじゃねえか!」


 「すまねえお嬢ぉぉぉぉ!」


 マ・ジュドーも重力に押し潰され、完全にひしゃげていた。


 これは魔法に反応して作動する魔縛結界。魔力を持つ者の自由を奪う結界で、余程の魔力を持った悪魔しか使えない魔法である。


 『やっぱりトロンダの奴が悪魔だったのか……』


 エルマは必死になって首を上げトロンダの姿を捜した。トロンダは何が起こっているのか分かっていないのか、口をあんぐりと開けて放心したように腰を抜かしていた。


 『トロンダじゃない?』


 だとすれば悪魔は誰なのか。しかし、そんなことを考えていられないほどエルマの体に重みが掛かってくる。


 「やれやれ。同類の気配がすると思って罠を張っていたら、まんまと引っかかるとは」


 とんだお頭の悪い悪魔だ、と失礼千万なことを言いながら一人の男が部屋に入ってきた。病的なまでに青白い顔をした長身の男だ。

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