少年は旅をし世界を知る②
一体どれほど歩いただろう。疲労の極地に達したシードは歩くのをやめてぐるりと周囲一面を見渡した。目印になるような森も山も何もないただの大草原。踝の高さもない草が延々と埋め尽くされた草原がただ広がるだけであった。
唯一の救いは、人馬によって踏み固められた道があるのと、太陽が出てきて空が白み始めたことぐらいなもので、相変わらず今何処にして、何処へ向かって歩いているのか分からない状態が続いていた。
「どうした?軟弱だなぁ。いい加減に降参しろよ。そうしたら私はひとっ飛びしてやるのによ」
背後からエルマの声が聞こえる。きっと疲れきっているシードを見てニヤニヤしていることだろう。そう思うと腹が立ってきて力が湧いてきた。シードはエルマの問い掛けを無視して再び歩き出した。
『人を馬鹿にして……』
折角いい人だと思っていたのに、意味不明な理由で拉致をした挙句、自分のことを悪魔だと言い出す始末。人を馬鹿にするにもほどがある。
悪魔。特にその言葉が気に障った。悪魔なんて千年前の神話の世界に出てくる空想上の存在でしかない。そんな嘘、幼子にも通用しないはずだ。
「聞いているのかよ?お空の散歩は楽しいぜ。そう思わなかったか?」
シードは何も答えなかったが、あの空を飛んだ感覚は生々しい経験として記憶に刻み込まれていた。
そう。シードはエルマに担がれて空を飛んでいたのだ。それは紛れもなく事実であり、否定のしようがなかった。
炎に関しては、火打石や火薬球を隠し持っていたことである程度からくりとして説明できるだろう。しかし、空を飛んだことについては、いくら考えても合理的な説明が思い浮かばなかった。
『もしかして、エルマさんって実は天使なんじゃないだろうか……』
などと考えないでもなかった。この世界で空を飛行することができるのは天使しかいないのだ。だが、その考えはすぐに打ち消された。天使が奴隷にするとか言って人間を拉致するはずがない。
「強情な兄さんだな。ふひひ。ま、お嬢にしてみれば、強情な人間が最終的に泣き咽びながら許しを請う姿が好きなんだから、これはこれでありってところか?」
シードは一瞬だけ振り返って、その声の主の姿を確認した。エルマの周囲を浮かぶ謎の黒い球体。エルマは使い魔だと言っていたが、きっと腹話術か何かだろう。
「うるせえよ。でも、許しを請うのなら今のうちだぜ。時が経つにつれ私の心の門はどんどん狭まっていくぜ」
「お断りです!」
何としても自力で何とかしてやる。何処かの町や村にたどり着ければ、カーブ村への道程を教えてもらえるし、教会でお金を借りることもできる。今はこの道が集落に繋がっていることを祈るしかないのだ。
太陽が天頂高く達した頃、ようやく集落が見えてきた。シードは思わず走り出した。
集落の規模としてはカーブ村よりも大きいだろう。加えて木造の建物よりもレンガ、石造りの家屋が目立った。カーブ村で石造りの家屋といえば教会ぐらいしかなかったから、それらが立ち並ぶでいる風景というのはシードの目には非常に珍しいもののように映った。
『都会だ』
カーブ村とその近隣の村々しか知らないシードがそう思うのも無理なかった。カーブ村基準からすれば人の往来も激しいし、目抜き通りに軒を連ねる商店も多い。
「ほれほれ、何だかんだ言って楽しんでいるじゃねえか」
いつの間にか追いついていたエルマがニヤニヤしながら顔を覗き込んでいた。初めて見た都会の風景に興奮していた顔を見られたらしい。
「楽しんでいません!」
はっと我に返ったシードは、ぷいっとエルマから顔を背け、教会を捜すために目抜き通りを歩き出した。
教会へたどり着き、門前を掃除していた女性に事の次第を話した。勿論、エルマに拉致されたことは伏せ、単に道に迷ったということにした。ちなみにエルマはちょっと離れた所に立ち、にやにやしながらこっちの様子を伺っていた。
「あらそれは大変!」
大げさに驚いた女性は、すぐに司祭を連れてきてくれた。シードは改めて事情を話すと同時にブラシスの元で世話になっているとも付け加えた。
「ほお。ブラシス司祭のところの」
最初は戸惑っていた司祭も、ブラシスの名前を出すと破顔した。この近辺の教会関係者でブラシスの名前を知らない人はいないというのはどうやら本当らしい。
「道に迷われたか。それは災難でしたな。ここはファグス町。カーブ村の南にある町だ」
「ここからカーブ村までどのくらいかかりますか?」
「そうだな。歩いて三日ほどかな」
三日……。ついこの間、片道二日かけて隣村まで行っていたのだが、たった一日増えただけで随分と遠くに来てしまったような気がした。
「あの……申し訳ないのですが、カーブ村までの道程を教えていただけますか?あと、多少の路銀も……」
「はは、遠慮しなさんな。困った時はお互い様だし、私も昔はブラシス司祭にお世話になったしな」
ちょっと待っていなさい、と教会に入っていった司祭がお金の入った袋と地図を持ってきてくれた。
「ありがとうございます」
シードは遠慮なく受け取った。
「そう恐縮しなさんな。私がブラシス司祭から受けた恩を考えれば安いものだ。ところでどうするかね?少し休憩していくかね?」
「いえ。ありがたい話ですが、急ぎたいので」
「そうか。気をつけてお行きなさい。ああ、そうだ。夜にはカップフェルトの町に着くだろうから、そこで泊まるといい」
「何から何までありがとうございます」
「いいってことよ。ブラシス司祭によろしくな」
ありがとうございます、とシードはもう一度礼を言った。
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