少年は旅をし世界を知る

少年は旅をし世界を知る①

 カーブ村のあるレンストン領は、帝国の最北部にある。さらに北へ行けば帝国の直轄地があるが、悪魔を封印したワグナーツ山脈があるため無人の地となっている。従って人が住む地としてはレンストン領が最北となる。


 帝国きっての穀倉地であることは先述した。農耕以外にも養蚕と牧畜も盛んで、特に野蚕糸を使った織物『レンストン織』は、壁掛けや天蓋につけるレースなどに使われ、帝都で暮らす王侯貴族に愛されていた。


 領主はフェルナンデス男爵家。二百年前ほどに山賊討伐の功績によりこの地を拝領し、現在に至るまでこの地の領主として君臨している。


 が、当代のフェルナンデス男爵は領地にいない。その身は帝都ガイラス・ジンにある。領地には代官を派遣し、政治を任せていた。


 これは何も当代フェルナンデス男爵だけではなく、男爵家の代々の慣習になっていた。さらに言えばフェルナンデス男爵家だけに限ったことではなく、帝都より遠方の地を拝領している多くの領主達は身を帝都に置き、領地には代官を派遣していた。


 理由は単純である。帝都ガイラス・ジンは帝国における政治、経済、文化の中心地であり、一日帝都から遠ざかればその分だけ最新の情報から遅れてしまう。政治的に野心がある領主は、帝都における政治の動向を常に最速で知らねばならないし、芸術を愛する領主は、流行の最先端である帝都で何が流行っているかを肌で感じなければ気がすまなかった。要するに乱暴な言い方をすれば『田舎なんぞには住みたくない』という気分が遠方領主達の中にはあった。


 当代フェルナンデス男爵は、露骨にそういう気分を持っていた。年若い領主は、帝国国営劇団の看板女優に岡惚れしていて、彼女の出演する歌劇を見逃さんために帝都に居座り続けているようなものであった。


 その当代フェルナンデス男爵の信任を得て領地に派遣されている代官は、グスハム・トロンダという男であった。彼は領主の館に居を構え、領主に成り代わって政務を執っていた。


 「まったく、我が御領主様は暢気なものだな」


 でっぷりとした体を執務室の椅子に沈めているトロンダは、帝都にいる領主から届けられた書状を広げていた。一読し、本来であるならば領主が使用するはずの机の上に投げ捨てるようにして手紙を置いた。


 「何と申されてきたのですか?」


 脇に控えるトロンダの腹心ゼハムが尋ねた。


 「金を送ってくれだと。つい先月送ったばかりなのにな」


 先月、帝都での観劇資金がつきた領主の求めに応じて三百万帝国ギニーを送付したばかりである。ちなみに百万帝国ギニーがあれば、レンストン領内であれば家族四人が余裕をもって一年間暮らすことができる金額である。


 「なんと……。帝国劇場の特等席は十万帝国ギニーのはず。一ヶ月の興行すべてを観劇したとしても二百万帝国ギニーには届きますまい」


 「大方、観劇後に例の女優を招いて一席設けているのだろうよ」


 「ははぁ……。で、どう致します?」


 「送らんわけにはいかんだろうな。但し、二百万帝国ギニーだ。あまりこの領地が豊かであると思われても困るのでな」


 「では、早速に」


 ゼハムが深々と礼をして執務室を出て行った。それを見届けたトロンダは、別の書状を広げた。トロンダが個人的に付き合いのある帝国の高官からのものだった。


 『これも金の無心か……』


 トロンダはこの高官に個人的な付け届けを送っていた。帝都に戻った時にその口利きで帝国の官吏として登用してもらうためである。


 そのためトロンダは、領地からあがってくる租税を領主には過小に報告し、その差額分を着服して私服を肥やしていた。遠方領地に派遣される代官の旨みといえばそれしかなく、トロンダに限ったことではなかった。


 『これも止むを得まい』


 あとでゼハムに命じて幾らか付け届けを贈らせよう。数年後、帝国の官途への道が開かれると思えば、多少の金銭的出血は我慢せねばなるまい。


 「しかし、このところ何かと金がかかるな」


 トロンダは机の上のグラスに手を伸ばした。琥珀色をした最上級の蒸留酒が小さな波を立てて揺れた。


 「これも全て神託戦争のせいか……」


 二年前に終結した神託戦争は、期間として僅かに一年しかない戦争であったが、紛れもなく帝国に深刻な被害を与えていた。とりわけ帝都に近い中部から南部にかけての地方は主戦場となったため疲弊が激しかった。帝都も例外ではなく、帝都を拠点としている高官達が、比較的被害が少なかった裕福な領地の領主あるいは代官に金を無心するのは決して珍しいことではなかった。また貧困にあえぐ下級貴族などは帝都での生活を捨て、地方領主の世話になる者も少なからず存在していた。


 哀れなものだ、とトロンダは思った。貴族や一部を除く帝都の官吏達は、血統でその地位を得た者ばかりである。己に才能があったわけではなく、謂わば無能者であっても血筋によって官職と高禄が得られるのである。だから先見の明もないし、困難に直面しても他人にたかることしかできないのである。


 『自分は違う』


 トロンダにはその自負があった。神託戦争が起きても無関心を決め込み、代官としての職務を全うし、将来のことを考えて私腹を肥やしてきた。後数年すれば代官を辞し、帝都にいる高官の伝手で帝国の官吏となるのだ。どうせ他人にたかることしか能のない連中ばかりだから、瞬く間に出世していくことだろう。帝都の宮殿を多くの部下を引き連れて闊歩する己の姿。きっとそう遠くない未来を見ている気がした。


 「失礼します」


 蒸留酒を半分ほど飲んだ頃にゼハムが帰ってきた。


 「今年度の各地の収穫予想が参りました」


 ゼハムは一枚の紙片を手渡した。レンストン領内各地の今年の収穫高が書かれていた。ざっと見た感じでは、どの地方も豊作といったところだろう。


 「ふむ……」


 トロンダの脳が高速に回転し、次々と数字をはじき出していく。帝国における各領の租税率は領地によって異なる。その多くが領主に五割の租税を納める所謂五公五民制である。しかし、レンストン領は穀倉地で収穫高が高いため六公四民制を敷いている。それでも民衆から不満が出ないのは、それだけ収穫高が高く、四割の取り分でも十分に生活していけるからである。


 しかし、トロンダのはじき出した計算では、六公四民制は面白くなかった。領主への送金や自分の私腹のことを考えれば七公三民制が理想であるかと思われた。


 『これからどんどんもの入りになってくるからな』


 早々に帝都に戻りたいトロンダにしてみれば、さらなる付け届けも必要となってくるだろう。取れるところから取れるうちに搾取しておかなければなるまい。


 「今年はカーブ村が豊作のようだな」


 「左様ですな。例年の二割り増しといったところでしょうか」


 ここならば七公三民でも文句はあるまい。いや、文句が出ようと田舎の村である。何とでもできるだろう。


 「ゼハム。カーブ村へ行く。用意せよ」


 「はい。承知しました」


 主の思惑を心得ているゼハムは疑問を挟むことはなかった。

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