記憶のない少年と旅をする少女⑥
天使ツムギウェルが降臨し、収穫の報告と『祝福の儀式』が終わった。その安堵から、シードは片づけを終えるとすぐにベッドに潜り込み、泥のように眠ってしまった。
マリンダが夕飯はいらないのかと執拗に聞いてきたが、シードはそれを断った。食欲以上に睡魔の方がシードの本能を激しく攻撃していた。もし腹が減って目が覚めたら、自分で適当に夜食でも作ればいいだろう。
深い眠りに落ちたシードは夢を見た。
ふわふわと自分の体が浮いている夢だ。
天使でもない自分が独りでに浮いている。しかも、かなりの高度で、カーブ村がはるか下に見える。
村の皆は寝静まり、完全に光が途絶えている村の全景。それでも建物や道の形が分かるのは、月明かりのおかげである。満月であるため、いつもよりは力強い月明かりで村全体を照らしている。
絶景であった。その美しさに感嘆し、夢でなければこんな絶景は見られないだろうと思った刹那であった。強烈な風の感触がシードの頬を激しくなでた。
「うわっ!」
風の感触があまりにも生々しかったので、シードは声を上げて覚醒した。瞬間、シードの目に飛び込んできたのは、夢と同じく上空から見下ろすカーブ村の全景。それにびゅうびゅうという風の音と、絶え間なく吹き付けてくる猛烈な風の感触が加わってきた。
これは夢ではない。そう悟ると、夢の中では絶景と思っていた風景が恐怖の対象に変わり、シードの股間がぐっと縮みあがってきた。さらに今自分が置かれている状況がまるで理解できず、困惑と恐怖が一瞬にしてシードの体内を駆け巡っていった。
「ちっ!目が覚めやがったか」
自分ではない誰かが激しく舌打ちをする音が聞こえた。この時点で初めて、シードは自分が誰かの小脇に抱きかかえられているのだと分かった。
「暴れんなよ。死にたくなかったらおとなしくしていろ!」
まるで凶悪な誘拐犯のような台詞だった。しかし、女性の声だったので、そのことに対しての恐怖というのはあまり感じなかった。シードは首を思い切り捻り、自分を抱きかかえている相手の顔を確認した。
「あ、あなたは!」
シードはただただ驚いた。エルマであった。自分を脇に抱きかかえ空を飛んでいるのは、あの収穫を手伝ってくれた心優しき旅人であった。
「何故あなたが……。どうしてこんな真似を。しかも、空を飛んでいるなんて……」
へへ、と笑うだけでエルマは何も教えてくれなかった。しかし、これが現実だとすればとんでもないことである。この世界で空を飛べるのは、魔法を使える天使しかいないはずである。
「まさか!あなたは天使様なんですか!」
シードがそう言うと、ぐらりと揺れた。エルマが体勢を崩したのだ。
「ば、馬鹿言うな!もう一度言ったら、ここから落とすからな!」
エルマは激しく否定した。天使じゃないとすれば、一体……。
「ぷぷぷ。お嬢が天使だってよ。けけけけけ、ここ数日で一番おもしろいことを言うじゃねえか」
今度はまた別の、それも男の声がした。回りを伺うが、エルマと自分以外に人がいるはずなかった。
と思っていたら、シードの目の前に、ちょうど顔の大きさほどの球体が出現した。黄色い目が二つと口が一つ。まさに顔そのものであった。
「うわぁぁぁぁぁぁ!」
心底驚き、声を上げた。相手も驚いたらしく、ひややとか叫びながらシードから遠ざかっていった。
「お、おい!暴れるな!」
シードは無意識のうちに体をくねらせていた。ここが遥か上空であることを忘れ、あの気持ち悪い球体から逃げたかった。
「お、お嬢よ!こ、こいつ、俺が見えているよ!」
「うるさい!ええいもう!この辺でいいか」
シードの体が降下していった。すでに地表の風景はすっかりと変わっていて、まるで見たことのない平原が広がっていた。
「よっと」
エルマが地上に足をつけた。シードの足もわずかながら地面についた。その瞬間を狙ってシードは逃げ出そうとした。エルマの手を振り払い、走り出そうとした。
「おっと、甘いよ」
エルマはシードの動きなど重々承知していたようだ。半歩踏み出さないうちにシードは背後から首をつかまれ、そのまま地面に引き倒された。
「私から逃げようなんて十年、いや百年早いよ」
エルマは逃がすまいと倒れたシードの上に乗っかってきた。何が楽しいのかエルマは口元を綻ばせていた。
「ひゃほう!こんなところでお楽しみとはお嬢もいい趣味しているぜ!」
先ほどの球体がまた現れた。陽気に叫びながら、エルマの周りをぷかぷかと浮いていた。
「あ、あなた方は何者なんです?」
「あん?まだ気がつかないのか。私達は悪魔だよ」
エルマは実に愉快そうに笑った。
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