落下する太陽

今井雄大

第1話 異能使い VS 魔法使い

 東京には空がないなんて誰が言った?

 とある雑居ビルの屋上に立って、空を眺めていた少年は思った。確かに、高いビルが乱立し、雑居ビルの屋上からでは、ほとんど空は見えない。しかし、空は確実にある。今日はどんよりと重たそうな雲が立ち込めていたが。

 もうすぐ十八になる少年の顔には、まだ若干ではあるが幼さが残っていた。

 少年は首に掛けていたゴーグルを顔まで引き上げると、「よしっ」と雑居ビルの屋上の手すりに立った。雑居ビルとはいえ、五階ほどの高さはある。落ちれば命は保証できない。

 少年は、そのまま空中へと飛び出す。途端に地表が少年の体を強烈に引っ張る。

 地面に向けて少年が手を突き出すと、少年の体は上空へ向けて落ちていった。それは、先程地表が少年の体を引っ張ったよりも強烈な力で上へ上へと押し上げていく。

「ンッハー!」

 少年の体は、あっという間にビル群を抜け、分厚い雲の中へと飛び込む。少年の視界がどんよりとした灰色で満たされる。雲は少年の体にまとわりつき、体の自由を奪うような気さえする。しかし、雲の中でも、少年の体が上昇するスピードが落ちることはない。

 分厚い雲の層を突き抜けると、上昇するスピードが緩やかになった。分厚い雲の上は晴天。太陽が輝いている。下には雲海が広がり、世界中で陽の光を浴びているのは自分だけという優越感に少年は浸る。

 体が上昇を止めると、少年は両手両足を思い切り伸ばし、体の隅々まで広げ、太陽の光を全身に浴びる。暑い。だが、この暑さが心地良かった。

「さて、行くかー!」

 少年がそう言うと、再び体が落下を始めた。

 すぐに分厚い雲に少年の全身は包まれた。少しの間、灰色一色だった少年の視界は、突然、色を帯びたものへと変わった。しかし、大半はアスファルトの灰色が占めていた。

 人は米粒ほど。車がやっと豆粒ほどの大きさといったところだろうか。周りはビル群。それらがどんどんと大きくなっていく。

「イヤッホォォォー!」

 少年は叫び声と共に、一際高いビルへ向けて手を伸ばす。すると、少年の体はそのビルに吸い込まれるように斜めに落下を始める。

 ある程度ビルに近付くと、少年は再び別のビルへ向けて、手を伸ばす。また、少年の体は手を伸ばしたビルの方へと引っ張られた。まるで、見えない糸で引っ張られているかのようだ。

 それを数回繰り返すと、少年の体はだいぶ地面へと近付いた。とはいえ、まだ十数メートルの空中ではあるが。

雲よりも一際濃い灰色をしたアスファルトの道路を見下ろし、少年はキョロキョロと頭を動かした。すると、目的のものはすぐに見つかった。

 少年の前方を走るアメリカンタイプのバイク。丸々と太った男が運転している。

 少年は、そのバイクがくぐった道路の行き先を示す道路標識に手を伸ばす。また、少年の体が引っ張られるように道路標識に向かって滑空した。

 道路標識が近付くと、少年は先程のバイクに向けて、手を伸ばす。滑空を続ける少年はバイクに追いつくと、シートに尻から着地する。アメリカンタイプのバイクのサスペンションがギシッと軋みを上げた。

「ただいま、アンディ」

 少年は言いながら、ゴーグルを首まで引き下げると、バイクを運転している男の左腕に掛かっているヘルメットを受け取る。

「あっちいんだよなぁ、コレ」

 少年は受け取ったフルフェイスのヘルメットに文句を言いながらかぶると、少しでも風を入れようとバイザーを引き上げた。

「前から気になってたんだけどさー、何でアンディのメットだけダックテイルなん?」

 少年はバイクを運転する男に声を掛ける。男のヘルメットは、頭に乗せているだけで涼しげだ。確かに見ようによっては、アヒルのお尻のように見える。

「文句があるなら、自分でメット買いなよ」

「文句ないでーす」

 実際のところ、二人が乗っているアメリカンタイプのバイク、スティード400も、2つのヘルメットもバイクを運転する男、安藤夏雄あんどうなつお、通称アンディの所有物だった。

 文句を言ってはいるものの、少年はアンディが運転するバイクの後ろに乗ることが好きだった。本人が聞いたら気分を悪くするかもしれないが、太っているからか普通の体型の人間が運転するよりもバイクが安定する気がして、安心して後ろに座っていられるのだ。アンディの後ろなら、どれだけスピードを出されたとしても怖いと感じることはないだろう。

 そして、少年が言うように、暑いのも間違いではない。

 三年前に西東京の八王子周辺が吹き飛んだ。高尾山も相模湖も跡形もなく。それに関係があるのかはっきりとは分かっていないが、それ以降、ずっと夏が続いている。春も秋も冬もどこかへ行ってしまった。

 バイクの後ろに乗っている少年、永瀬弥勒ながせ みろくは三年前に思いを馳せた。

 ミロクの家もアンディの家も八王子にあった。当時、二人は高校に入ったばかりで、八王子から離れた調布に高校があったため、爆発事故を逃れた。しかし、爆発が起こった時に家にいたミロクの母親、八王子市内に職場があった父親、市内の中学校に通っていた弟、そして、同じくアンディの家族は被害を受けた。二人とも爆発事故の後、自分の家があった場所へ行ってみた。高尾山は消滅し、相模湖は干上がっていて、巨大なクレーターがあるだけだった。どこが自分の家の場所かも分からない有様だった。

 帰る場所が無くなってしまったミロクは、アンディの親戚の家に転がり込むことになった。親戚にも頼れず天涯孤独になってしまったミロクと違って、近くに親戚が住んでいたアンディはミロクを誘ってくれた。自動車工場を経営していたアンディの親戚は、使っていなかった工場の二階を二人に提供してくれると言う。ただ同然の家賃でだ。それがなければ、今頃ミロクはどこかの施設に放り込まれていたに違いない。

 そうして、アンディの親戚の所から高校に通い、爆発事故を調べていくうちにとんでもないことが分かってきた。

 八王子周辺が爆発した原因は、魔法使いの仕業だというのだ。

 爆発事故が起こる直前に、箒のようなものにまたがって空を飛行する人間を目撃したという人が大勢いた。それは、高尾山の方から空を滑るようにやってくると、巨大な炎の塊を八王子の街へと落とした。その直後に爆発が起こったらしい。

 ミロクもアンディも初めはそんなこと信じられなかった。しかし、爆発事故以降、魔法使いの目撃情報が増えていった。魔法使いは地下に住んでいて、光るドアを通って地上へとやってくる。まだ、地上へやってくる理由は分からない。だが、魔法使いの目撃情報に比例して、行方不明者の数が増えるようになった。

 魔法使いたちは、地上にやってきて、何らかの理由で人間をさらっていっているらしい。それを阻止するため、ミロクとアンディは魔法使い狩りを行なっていた。

 魔法使い狩りのため、ミロクは武装していた。Tシャツに迷彩柄のズボンといういでたちだが、左右の二の腕と太ももに三本ずつ、合計十二本ものナイフを括り付けていた。

 一方のアンディはTシャツにジーンズと、特に外見から武装しているようには見えなかった。

 突然、アンディがポケットからスマホを取り出した。どうやら着信があったらしい。

「はい、もしもし。うん、うん、分かった」

 アンディはスマホをポケットにしまうと、ミロクに声を掛ける。

「ミロク、出たぞ!多分、魔法使いだ。ここからそう遠くない」

「よっしゃ、行こう!」

 アンディはバイクのスピードを上げる。アンディとミロクのTシャツがはためく。

 ミロクよりも顔が広いアンディは、独自のネットワークを持っている。魔法使いや光るドアの目撃情報があると、スマホに連絡が入るようになっていた。

 しばらくバイクを走らせると、アンディは交差点を左折し、その先の路地へとバイクを突っ込んだ。そこは袋小路になっていて、アンディはバイクを停止させる。

 袋小路は異常な状況だった。

 茶とも深緑とも取れるような色のフード付きのローブを身にまとった人物が二人。フードを目深に被っているために顔はおろか、性別も分からない。その内の身長の高い方が手を突き出している。手の数センチ前には光る手のひら大の魔法陣が浮かび上がっている。その魔法陣から荊の蔓が伸びていて、道路に寝転んでいるおじさんの全身を拘束していた。

 荊の蔓にまみれたおじさんは、ズルズルとローブをまとった人物の方へと引きずられていく。

「助けてくれぇー!」

 バイクに乗った二人を見て、全身荊のおじさんは情けない声をあげた。

 ミロクはバイクから降りると、アンディに向かってフルフェイスのヘルメットを放り投げた。アンディが落としそうになりながらも、何とかヘルメットをキャッチする。

 おじさんの方へと小走りで駆け寄りながら、ミロクは左腕に括り付けたナイフを一本引き抜くと、おじさんに向けてナイフを投げる。

 ナイフは、ローブを身にまとった人物の手のひらの前で光る魔法陣から伸びた、おじさんを引っ張るイバラを見事に切断し、地面に転がった。それで、突き出していた手のひらの光る魔法陣は消えた。

 おじさんの元に到着すると、ミロクはナイフに向けて手を伸ばす。ナイフはミロクに呼ばれたかのように、伸ばしたミロクの手に戻ってきた。

 しゃがみ込むと、ナイフでおじさんを拘束している荊を切断していく。

「貴様、何者だ?」

 ローブの人物が声を上げる。フードに隠れて分からないが、声の感じだとどうやら男性らしい。

 ミロクはそれを無視して、おじさんを拘束する荊を解体していく。足元まで切断し、おじさんを荊から解放する。おじさんの体には荊の棘でできた無数の引っかき傷ができていた。

 ミロクはゆっくりと立ち上がると、フードの男に向かってこう言った。

「俺はパトリック・ブルーサマーズ!魔法使い狩りだ!」

 親指を立てて自分を指差し、ミロクはドヤ顔を作る。

「ミロク、何言ってんの?」

 アンディが呆れた顔をミロクに向ける。彼はまだバイクに股がったままだった。ミロクは不満顔でアンディに返す。

「魔法使いに本名教えてもマズいじゃんか」

 アンディは呆れ顔のまま、頷く。

「それも。そうか。でも、何よ、その名前は……」

「まぁまぁ、いいじゃないか。さっき、考えたんだ」

 二人の漫才のようなやり取りに、ローブの魔法使いが割って入る。

「貴様らが最近、話題になっている魔法使い狩りか!堂々と魔法使い狩りを名乗るってことはハッタリじゃないだろうな?ガキが!」

 ローブの魔法使いは言いながら、ミロクに手のひらを向ける。ミロクの足元には、まだ先ほどまで荊で拘束されていたおじさんが倒れていた。

「アンディ!」

 ミロクの血相を変えた顔を見て、アンディはすぐに自分の能力を発動させる。

物質生成クラフト・ワーク!」

 アンディの手にいつの間にか、軍隊や警察が持っているようなポリカーボネート製の盾が出現していた。その盾は透明で、アンディの姿は透けて見えている。一般的にはライオットシールドと呼ばれるものだ。大きさは縦が一メートル五十センチほど、横は五十〜六十センチ。しゃがんで目の前に立てかければ、全身が隠れられるほどの大きさだ。

 アンディはそれをミロクに向かって、放り投げる。ミロクがそれをキャッチするのと、ローブの魔法使いが言葉を発するのはほぼ同時だった。

「魔法・えん

 魔法使いの突き出した手にひらの前に光る魔法陣が浮かび上がる。それはやはり手のひらよりも少し大きい程度の大きさをしていた。

 そこから炎が噴き出す。

 ミロクはおじさんを庇うように、地面にライオットシールドを突き立てる。

「うわあぁぁぁ!」

 透明なシールドだったのが、災いした。魔法使いの手から向かってくる炎がよく見えてしまった。おじさんは腰を抜かしたのか、尻もちをついたまま後ずさることしかできない。

 炎が収まると、ポリカーボネート製のシールドの表面はドロドロに溶けてしまって、シールドの向こう側が見えなくなっていた。ポリカーボネートの融点は約二百五十度。魔法使いの炎はそれ以上の温度を持っているということだ。

異能者いのうしゃか」

 魔法使いが呟く。ミロクはライオットシールドを放り投げると、ニヤリと笑う。

「ただの人間が魔法使い狩りをしてると思ったのかい?……ほら、おっさん。早く逃げて!」

 おじさんは慌てて立ち上がろうとして、ほとんど転びながら路地から逃げていく。

「クソッ!大事な生贄が……」

 再び、魔法使いが呟く。

「生贄?それが、お前たち魔法使いがちょこちょこ地上に現れる理由か!」

 魔法使いは、思わずフードから見える口を押さえる。しかし、直後に口を押さえていた手を退けると、ニヤリと笑う。

「別にこれから死ぬ奴に何を知られても問題ないか」

「残念だけど、死ぬのはそっちだぜ」

 ミロクは右腕からもナイフを引き抜くと、両手のナイフを逆手に身構えた。

 視線の隅でチラリとアンディを見ると、アンディは若干スリムになったように見える。本当に若干だが。アンディの異能、物質生成クラフト・ワークの副作用だ。物質を生成するのに、カロリーを消費するのだ。

 アンディはポケットからチョコバーを取り出すと、ムシャムシャと頬張り始めた。

 ミロクの異能は、引力いんりょく(二つの物体の間に働く引き合う力)と斥力せきりょく(二つの物体の間に働く反発する力)を操ることができるというものだ。落ちているナイフに引力を使えば、自分の手元に引き寄せることができるし、斥力を地面に使えば、空中に飛び上がることができる。

 ミロクは右手に持ったナイフの握りをゆっくりと開いていく。完全に手を離しても、ナイフは空中に浮かんでいた。

引斥の力メテオ・フォース、ミサイルエッジ!」

「魔法・ちゅう

 ミロクが叫ぶのと同時に、魔法使いも口を開いていた。

 ミロクの手元にあったナイフが魔法使いに吸い込まれるように、真っ直ぐ飛んでいく。

 魔法使いの眼前で、周囲から飛んで来た数匹のセミにナイフが突き刺さる。そして、そのまま地面に落ちた。

 その後もセミはどんどん集まってくる。少なく見積もっても百匹、いや二百匹ほどのセミが、魔法使いの前に壁を作っていた。

 大量のセミの壁は見ていて気持ちのいいものではなかった。それに、一匹でも不快なほどにやかましいセミの鳴き声を大音量で聞かされるのだ。ミロクがアンディに耳栓を作り出してもらおうかと本気で考えたほど、その音量は凄まじかった。

 ミロクは、ポケットからベアリングーーいわゆるパチンコ玉だーーを数個取り出すと、セミの壁に向かって投げつけた。

引斥の力メテオ・フォース、ショットガンバレット!」

 複数のベアリングは勢いよく飛んでいくと、セミの壁にバチバチと音を立てて当たった。その度に、セミがベアリングと共に地面に落ちていく。しかし、数匹減った程度では、魔法使いの前に作られた壁に大した変化は見られなかった。

「クソっ!やっぱり、ダメか」

 ミロクがそれを見て、苦虫を噛み潰したような顔を作る。ミロクの声はセミの鳴き声でかき消された。

 同じく、セミの壁の向こうで魔法使いが何か言っているような気がするが、セミの鳴き声のおかげで全く聞こえなかった。大方、悪態をついてるに違いないが。

 ミロクの異能も、万能ではない。アンディのように異能を使ってもカロリーを消費する訳ではない(正確に言えば、動いているのだから少量のカロリーを消費してはいるだろうが、アンディのように見た目が変わるほどではない)が、弱点がある。ミロクが見える範囲までしか異能を使えない。

 つまり、今のように目標の前に壁を作られると、目標を直接攻撃することができない。直線的な攻撃しかできないのだ。例えば、ミロクが空中に浮かび上がって、魔法使いを直接見ることができれば、攻撃することは可能だ。しかし、今のように敵の前に目隠しがある場合は、それを排除する必要がある。

 それに、炎のように手で直接触れられないものには異能が発揮できない。先ほどの魔法使いの攻撃が炎ではなく、氷や水だった場合は異能で跳ね返すことができるが、炎は空気と一緒でそこに存在するが触れることができないために避けるしか手はないのだ。

 まずは、あのクソうるさい壁をなんとかしなくては、とミロクは考えた。まだ、失ったナイフは一本。セミの壁の下に落ちているものだけ。左手には、ナイフが握られていた。しかし、このナイフで攻撃したところで結果は目に見えてる。数匹のセミを地面に落とすだけだ。

 セミを異能で移動させようか。しかし、それでは根本的な解決にはならない。すぐに元の位置に戻されてしまうだろう。

 あぁ、うるさくて考えがまとまらない。

 ミロクは両耳を押さえて、集中しようとする。

 それは、アンディも同じだった。チョコバーを口だけで食べながら、バイクの上で両耳を押さえていた。

 本当に俺たちは、いいコンビだぜ、アンディ。ミロクは心の中でほくそ笑んだ。

 ミロクから魔法使いが見えないということは、魔法使いからも見えないということだ。そして、この大音量のセミの鳴き声。これがいいカムフラージュになってくれる。

 ミロクはアンディの側まで行くと、耳元で必要な物を叫んだ。アンディは大きく頷くと、物質生成クラフト・ワークを発動させる。アンディの手の中に、オイルライター用のオイルボトルとライターが現れた。これぐらいの大きさのものなら、見た目が変化するほどカロリーを消費しないようだ。

 ミロクはオイルのボトルとライターを受け取ると、両耳を抑えながら大音量を発しているセミの壁へと歩いて行った。

 セミの壁に向けてオイルをかけると、ミロクはそれにライターで火を点けた。セミの壁は勢いよく炎を吹き上げて、あっという間に炎の壁へと変化した。

 セミは黒焦げになって、ボロボロと地面に落ちていく。セミが落ちていくお陰で、うっすらと壁の向こうに魔法使いが見えてきた。

 相手の姿が見えれば、ミロクの異能が発揮できる。

引斥の力メテオ・フォース!」

 突然、魔法使いの体がセミの壁に向かって引き寄せられた。魔法使いが争う間も無く、燃え盛るセミの壁を突き破り、ミロクに近付いていく。

「シューティングスターナックル!」

 ミロクは右の拳を固く握ると、近付いて来た魔法使いの顔面をフードの上から思い切り殴りつけた。

 魔法使いは、ミロクの拳をまともに受けて、後方へと吹っ飛んで行く。

 ミロクは魔法使いの顔を殴りつけた瞬間に、拳から斥力を発生させていた。ミロクの拳に反発する力によって、魔法使いは数メートル後方にあった袋小路の壁に激突した。

 魔法使いを中心に、コンクリートの壁にヒビが広がっていく。

 魔法が解除されたのか、空中に浮かんでいた燃え盛るセミたちは、一斉に地面へと落下した。

「七日しか生きられないセミにひどいことしやがって」

 実際にセミに火を放ったのはミロクなのだが、自分のことを棚に上げて、ミロクはまだ火の点いているセミを見下ろしていた。

 中には燃えながらも鳴くのを止めないセミが何匹もいた。最後の力を振り絞っているかのようだった。

 魔法使いは、壁に叩きつけられた衝撃で吐血した。それは、夏の焼けたアスファルトを染めていく。

 それでも、魔法使いはまた魔法を発動しようと右手を持ち上げ始めていた。それをミロクは見逃さなかった。

引斥の力メテオ・フォース、ミサイルエッジ!」

 ミロクの左手にあったナイフが、魔法使いへと一直線に飛ぶ。それは、魔法使いの胸の辺りへと深く突き刺さった。

 再び、魔法使いが吐血する。それは、顎を伝い、ローブへと落ちていった。

「人間なんぞに、やられるとは!」

 それが、魔法使いの最後の言葉になった。魔法使いは、地面に倒れこむと、光の粒へと変化した。光の粒は空へと登っていく。

 ミロクはそれを目で追ったが、すぐに見えなくなってしまった。

 魔法使いが倒れていたところまでゆっくりと歩いていくと、ミロクは地面に落ちていたナイフとキャンディを拾い上げた。ナイフは左手で逆手に持ち、キャンディはポケットに入れた。

 魔法使いは死ぬと、キャンディを残す。このキャンディを食べると、異能が身に付く。ただし、食べてみるまで、どんな異能が身に付くのかは分からない。それに、強力な異能ほど、味がマズい。すでに異能を身に付けているものが、二つ目のキャンディを口にすると、体が爆散して死ぬと噂されていた。なので、ミロクもアンディも二つ目のキャンディを試したことはない。

 いつのまにか、セミの声は止んでいた。

 ミロクがセミの塊にチラリと視線を移すと、セミたちはほとんど炭に変わっていた。ほんの数匹だけ魔法から逃れ、飛んでいくのが見えた。セミの死骸の側にミロクのナイフが転がっていた。ミロクはそちらに手を伸ばすと、ナイフは意志を持つようにミロクの手元へとやってきた。

 ミロクは手にしたナイフも逆手に持ち替え、身構えた。ミロクの正面、数メートル先にはもう一人の魔法使いがいる。

 先ほどキャンディへと変化した魔法使いよりも小柄だが、魔法に体格は関係ないはずだ。油断はできない。

 突如、ミロクは走り出す。あっという間に、小柄な魔法使いの側までやってくると、左手のナイフで魔法使いの首をかっ切ろうとした。

 あと数センチのところでミロクのナイフは停止した。

 小柄な魔法使いが両腕を突き出したからだった。その手首には、先ほどのおじさんと同じ荊の蔓が巻き付けられ、拘束されていた。つまり、この小柄なローブを纏った人物も魔法使いに捕らえられたに違いなかった。

 ミロクはフードをめくり上げた。そこには、眩しそうな顔を作る少女の顔があった。歳は二人と同じぐらいだろうか。ひょっとしたら、もっと若いかもしれない。ゆっくりと光に目が慣れて、しかめっつらが収まると、比較的整った顔をしていた。髪は金髪で、肩にかかるぐらいの長さがあった。

 安全そうだと判断したのか、アンディも新しいチョコバーをかじりながら、二人の側までやってきた。

「あんたもさっきの魔法使いに捕まったのか?」

 ミロクは質問しながら、手首を拘束していた荊の蔓をナイフで切り裂いていく。

 返事がないので、ミロクがその少女の顔を見ると何度も頷いていた。

 手首の荊の蔓を全て切り裂くと、細かい傷がたくさんできていた。さっきのおじさんと同じだ。荊の棘にやられたのだろう。

 両腕が自由になると少女は、ローブの裾を少したくし上げた。靴の上、少女の足首も手首と同じように荊の蔓で拘束されていた。ミロクは足首の荊の蔓もナイフで切る。

 ナイフで足首の荊の蔓を切り裂きながら、ミロクは心の中でほっとしていた。いくら、魔法使いでも女性を殺してしまうのは、後味が悪い。しかも、蔓で拘束されていたということは、魔法使いではないということだ。もう少しで、関係のない人間を殺めてしまうところだった。

 少女の足の拘束も解いてやると、ミロクはナイフをしまいながら彼女に声を掛けた。

「もう、帰って大丈夫だよ」

 しかし、少女はその場から動こうとしない。

「ここは東京だけど、帰り方分かる?」

 アンディがチョコバーから口を離して、助け舟を出す。

 だが、少女はこの質問にも口を開かなかった。じっと地面を見つめているだけだ。

 ミロクはアンディと肩を組むと、回れ右して少女に背を向けた。

「アンディ、どう思う?」

「……魔法使いに拐われそうになったショックで、一時的な記憶喪失になってるとか?自分の家も分からないような」

 ミロクはゆっくり少女に振り向くと、質問を投げかけた。

「自分の家はどこだか覚えてる?」

 少女は地面を見つめたまま、ブンブンと首を振る。

「じゃあ、自分の名前は覚えてる?とりあえず、名前を教えてよ。俺は永瀬弥勒ながせ みろく!そっちのは安藤夏雄あんどうなつお、通称アンディだ」

 ミロクが自分たちの自己紹介をする。それに対して、少女は口をパクパクと動かすだけで、言葉が出て来ない。少女は喉を押さえ、なんとか声を出そうと試みているようだったが、どうしても声にはならなかった。

「声が出ないの?」

 アンディが聞くと、少女は悲しそうな顔をして、頷く。

「可哀想に。魔法使いに捕まったのが相当ショックだったんだな」

 ミロクは、言いながら拳を強く握りしめる。魔法使いへの怒りに打ち震えていた。それを必死に隠そうと努力していた。もっとも、隠しきれてはいなかったが。

 アンディは、物質生成クラフト・ワークを使うと手の中に、紙とペンが現れた。

「これで、君の名前を書いてみてよ」

 少女は、まるで自分の名前を書くことが恐ろしいとでもいうようにゆっくりと、アンディから紙とペンを受け取る。そして、紙に文字を書き始めた。

 『セツナ・ラズベリー』ーーそれが彼女の名前のようだ。金髪で、この名前。外国人だろうか?それだとそう簡単に家に帰せないかもしれない。だが、日本語は分かるようだ。ミロクたちの質問に対応できているし、紙に書いた名前もカタカナだった。

「他に覚えていることは何かある?」

 ミロクが再び質問を投げかける。それにセツナは首を振る。

「自分の名前しか覚えていないのか。……困ったな」

 ミロクは腕を組んで、顔をしかめた。少女をここに放ったらかしていくわけにはいかない。かといって、自分の家が分からないのでは、送りようがない。

「ミロク、とりあえず俺たちの家に連れて行こう。数日すれば、記憶が戻るかもしれないし」

 アンディが提案する。

「そうだな。じゃあ、アンディがバイクに乗せて行ってくれ」

 ミロクもそれに同意する。正直なところ、早く涼しいところへ行きたかった。いくら曇っているとはいえ、真夏の暑さだ。立っているだけで、汗がじんわりと噴き出してくる。

「了解」

 アンディは自分のバイクのところに戻ると、フルフェイスのヘルメットを持って振り返った。ミロクとセツナがアンディの後ろに続いていた。アンディはフルフェイスのヘルメットをセツナに渡すと、自分はバイクにまたがり、ダックテイルのヘルメットを被る。

 セツナは恐々とバイクの後ろに座り込んだ。あまりバイクに乗った経験がないのかもしれない。

「じゃあ、俺は先に行ってるぜ!」

 ミロクはそう言うと、首にぶら下げていたゴーグルを目元に引き上げる。そして、空へと飛び上がった。ミロクの体は空に吸い込まれるように、どんどんと高度を上げていく。

 アンディはそれをまぶしそうに見上げると、バイクをスタートさせた。

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