第29話 ダンス! ダンス! ダンス! 3
「ステップはもっと軽やかに。動作は迅速、緊張を怠らず、動きは指先までピンと張る。優雅さと機敏さは同居ですよ」
初夏の爽やかな日差しの中、軽快なテンポを刻む手拍子に合わせて、イーストン夫人の暑苦しくも野太い声が広い甲板いっぱいに響き渡る。
「はい。ワン、ツー♪ ワン、ツー♪ ほらほら、もたもたしない」
「って。そんなこと言われても、体がついてこないわよ」
脚がもつれてヨレヨレになりながら、恨みがましくセラフィーナが愚痴をこぼした。
さもありなん。
早朝、いつもの如くトリートーンに通勤してから、かれこれ2時間近くも休みなしに踊っているのだ。典型的なお嬢様育ち故、体力が心許ないセラフィーナにはキツイ所業だ。
息はあがり心臓はバクバク。
踊っているというよりも、陽気なゾンビといったほうがもはや適切かもしれない。
「そもそも、こんな激しいステップ。パーティーでなんか踊らないって」
しかも踊りの内容は夜会の踊りとは真逆の激しい、俗にショーダンスと呼ばれる舞台で踊り子が魅せる代物だ。
鑑賞側に立つセラフィーナが踊ることなどまずあり得ない。
それでもスパルタ至上主義のカリスマインストラクターは、手綱を緩めようとはしない。
「だからこその特訓ですよ。体力があれば殿方とのワルツも、より優雅に踊れて、セラフィーナ様の好感度は更にアップ間違いなし。引く手数多で鬼に金棒」
両の拳を固めて鼓舞する。
理屈はそうかもしれないが、憧れはあっても恋愛自体に興味は薄いし、今はそれどころじゃない。
「そんな事はどうでも良いから、ちょっと休憩をちょうだいよ!」
疲労困憊で足がもつれる、体力は限界を訴えているのだが。
「このステップがマスターできたら、休憩時間にしてあげます」
「鬼!」
イーストン夫人に慈悲の欠片はこれっぽっちもなく、更に課題を押し付ける。助けを求めるようにマージェリーに視線を送ると、無意味だとばかりに首を横に振る始末。
「せっかくの機会です。十二分に精進なさってください」
取りつく島もなく、けんもほろろに放り出される。
「だそうだ。頑張って練習しな」
指導役のイーストン夫人やお付メイドのマージェリーならまだしも、掌帆長に過ぎないランドールまでもが苦言を呈する。
「何、その突き放した言いかた!」
当然の如く噛みつくと、ランドールは「ふん!」と恨みがましく鼻を鳴らす。
「お嬢のとばっちりで、俺たちまでもがダンスなんか踊らされているんだ。むしろ、こっちが助けてもらいたいほどだ」
その言葉通りセラフィーナのすぐ横で、ランドールを始とするごつい体躯の水夫たちも、訓練と称するダンス練習を強要されている。
体力はともかく、今の今までダンスのダの字すら無縁だった連中の踊りである。
リズム感など欠片もなく、芸術的センスも皆無に等しい。体力が尽きてヨレヨレなセラフィーナのほうが、まだスムーズに動いているかもしれない。
壊れたからくり人形ようなぎこちない動きは、当然ながらイーストン夫人の意に添わず「ほらほら、あなたたち。手足がお留守になっていますよ」叱責の矛先がランドールたちに移る。
実際彼らも慣れないダンスに青色吐息の一歩手前なのだが、そこは男の見栄が正直な告白の邪魔をする。
無駄に白い歯をキラリと光らせ「それはだな」と妙な格好をつける。
「楽過ぎて、気が抜けちまっただけだ」
現実とは真逆の余裕を装って軽口を叩いたのが運の尽き。
「ふ~ん。だったら、もっと激しいダンスでも簡単に踊れちゃうんだ?」
腕組みをして「そうか、そうか」と頷きながら、セラフィーナがランドールを誘導する。
「おうよ。練習に多少まごつくことはあるだろうが、覚えちまえば余裕しゃくしゃく。1時間でも2時間でも踊って見せるぜ」
まんまと策に乗り、カラ元気に胸を叩いた。
「わたしはこれ以上激しいのはムリだけど、鍛えた水夫はやっぱり違うんだ」
「当然よ」
「そうですか?」
イーストン夫人が真に受けて「ならば、もう一段難易度の高いステップを覚えて貰いましょう」と更に高次のダンスを強要する。
「え?」
何故その方向に行く? と、ランドールが驚いたが時すでに遅し。
今の踊りでもついていくのがやっとなのに、さらに複雑なダンスなどできるはずもなく、あっと言う間に次々と脱落して死屍累々の嵐。
水夫たちが魚河岸のマグロのように、甲板に屍を晒すこととなった。
「この程度で動けなくなるとは……大の船乗りが、情けない次第ですね」
甲板に仰向けに転がるランドールたちに、イーストン夫人の容赦ない評価が突き刺さる。
トリートーンの甲板は倒れた水夫たちの呻き声で、野戦病院もかくやという惨状を呈していた。
「ったく。誰だ、ダンスをお遊戯なんて言ったヤツは?」
「あなたよ、ランドール」
ちゃっかりレッスンから逃げ出したセラフィーナが冷酷に宣言する。
「これで分かったでしょう? ダンスがどれほど大変か」
「クソったれ! お嬢とはいえ、ガキに説教されるとは」
今となっては愚痴も空しい。
「ムダに体力だけはあるから、もう少し動けると思ったのですが……」
意外にへたばるのが早かったと、マージェリーが冷静に評価を下すと「それはですね」とイーストン夫人が説明を始める。
「なまじ体力に自信があるから、動きにムダがいっぱいあるんです。その上、踊りが壊滅的に下手だから、更にムダを呼ぶという悪循環で」
「要は体力バカで、頭を使っていないと?」
「そういうことね」
徹底的に体の使い方が下手だとこき下ろす。
「勝手なこと、言いやがって」
好き放題罵られてランドールが怒りを表すが、マージェリーの「この惨状で反論できると?」に黙らざる得ない。
「分かったら、もう少し頭を使って動きましょうね」
醜態を晒した身としては逆らうのも難しく、命令に従わざる得ない。
「はいはい。レッスンを再開しますよ」
今のが休憩だと言わんばかりのイーストン夫人に殺意を覚えつつも震える手足に鞭を打つ。
「今日は日暮れまで頑張ってもらいますからね」
鬼が囁き、現実のものとなった。
まさかこれが、急転直下の予兆になるとは気づかずに。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます