第27話 ダンス! ダンス! ダンス! 1


「セラフィーナ様、ご機嫌麗しゅう」


 イーストン夫人がその見た目に相応しく、やたら威勢のいい声で挨拶を述べると、反比例するようにセラフィーナががっくりと肩を落とす。


「わたしは全然麗しくないの」


 正直に心の内を吐くと、意外だとばかりに「おや。またどうして?」と殆どない首を捻る。 


「もうダンスの練習は十分やりました。素晴らしいレッスンのお陰で、人並みに踊れるようになったので、イーストン夫人には感謝しています」


 棒読みで心にもない謝辞を述べると、以外にもイーストン夫人が満足げに「左様でございますね」と同意して頷いて、素養の良さを誉めちぎる。


「セラフィーナ様は優秀な生徒でした。全くダンスの経験がなかったにもかかわらず、不断の努力で瞬く間に華麗なステップが踏めるようになりましたし、これだけ覚えの良いお方は早々おられません」 


「お褒めいただき、ありがとうございます。だからもう、練習なんて必要ありません。という訳で、お引き取りください、さようなら」


 用は済んだとばかりに回れ右して去ろうとするセラフィーナに、イーストン夫人は「あらあら、ですが」と一転して表情を曇らせる。


「如何せんセラフィーナ様には意欲が欠如しておいでです。基本のワルツは申し分ないステップをお踏みですが、その他の曲となれば少々心許ない」


 優良インストラクターらしく、即座に欠点を指摘する。


「タンゴはできますか? フォックストロットは? ジャイブも全然でしたね。ワルツにしても覚えられたのは、ひとつだけじゃなかったかしら?」


 すべて身に覚えがあるだけに、反論もできず肩をわなわなと揺らすだけ。

 実際、デビューで見せたワルツは誰もが見惚れるほど完璧なステップを踏むが、体得したのはそれだけ。

 他のダンスは「必要ない」と一蹴し、碌にレッスンを受けようとすらしなかったのだ。


「だって、踊りたくないんだもの」


 セラフィーナにとってダンスは義務であり、仕方がないからやるものに分類されている。習得が速かったのも、単に練習を最小限にしたかったからに他ならない。

 だが……


「それでは困るのです」


 後を引く継ぐようにマージェリーが真っ向から否定する。


「本格的に社交界に進出するようになれば、ダンスは必須のスキル。デビューの時のように、一曲無難に踊れれば良いでは通用いたしません」


「いや、だから、わたしは船に乗るのであって」


 言い訳するセラフィーナに、マージェリーは「お嬢様が船に乗るのは期間限定です」と釘を刺す。


「社交界はお嬢様が貴族である限り、終生付きまといます」


「そりゃ、そうだけど」


「旦那様や奥様も、お嬢様が社交界のしきたりを蔑ろにしていると知ったら、直ぐにでも連れ戻しに来られると思いますが?」


「ちょっと、わたしを脅すつもり?」


「滅相もない」


 即座に否定するが「しかし、可能性はございますよ」と含みを消すことはしなかった。


「ですので、これを良い機会と捉えて、お嬢様には徹底的に訓練していただきます」


 やはりディペートでマージェリー勝てるはずもない。


「という訳で、レッスンを頑張りましょうね」


 拳を握って鼓舞するイーストン夫人に「はい」と頷くしかなかった。



 セラフィーナにダンスの練習と聞いて、ランドールが豪快に笑った。


「そりゃいい。お嬢はそのセンセイにしっかり振り付けを教えて貰って、お遊戯を頑張るんだな」


 無知は最強とはよく言ったもの。イーストン夫人のレッスンをお遊戯と一笑に付すランドールに、セラフィーナは強い殺意を覚える。


「ダンスはお遊戯じゃない! イーストン夫人のレッスンを受けたこともないくせに」


 カリスマと呼ばれるだけあって、イーストン夫人の手の手ほどきを受ければダンス未経験のど素人でも、10人中9人の高確率で僅か1週間で見事なステップを踏むことができるようになる。

 だがズブのど素人を1週間やそこらで踊れるレベルにまで引き上げるのだ。

 指導が上手だけでは達成など到底不可能。

 ふくよかで温厚そうな見た目に隠された、鬼のようなスパルタ特訓があってこそ成せる技である。


 セラフィーナも例外ではなく、社交界入りの直前に嫌というほど特訓を受けさせられた。そりゃもう、ダンスと聞いただけでトラウマが残るほどに扱かれた。

 閑話休題。

 内情はさておき、イーストン夫人の見た目は肥満体系の中年女性で、アクティブとは真逆の存在。

 社交界など知る由もないランドールが、ダンスをお遊戯と揶揄するのも無理からぬこと。

 持久力の劣るセラフィーナには格好の練習とばかりに、撫でるように頭を叩く。


「他人事だと思って~」


「本当ですね」


 と、呆れるマージェリーの言葉に、セラフィーナとランドールも「え?」と訊き返す。


「お嬢様共々と申しましとよね? 対象はここにいる全員です」


 メガネをクイと持ち上げて、さも当然ですとばかりに言ってのける。


「おい、待て。そんな話、聞いてないぞ!」


 聞き捨てならない内容に抗議するランドールに向かって「今、言いました」とさらりと流す。


「お嬢様お1人なら、屋敷で練習すれば済むこと。わざわざ船にまでイーストン夫人をお招きするのは、あなた方の特訓も兼ねているからです」


「はあ?」


「あなた方の特訓です。2度も言いましたから、聞き洩らしはないですね?」


 キッパリと言い放つと「そもそも」と、溜まりに溜まっていた鬱屈を解き放つ。


「様々な事情があったとはいえ、旦那様がお嬢様にトリートーンの船主をお命じになられたのは、貴族の宿命として甘んじてお受けせざる得ないでしょう。

 ですが、この船と水夫たちの凋落ぶりは如何としたことか! 

 船は修理して整備すればよいでしょう。要はお金と時間の問題で、旦那様が手を打ってくれています。しかし、乗組員の腑抜けぶりは、わたくしの想像を圧倒しました。

 何がどう酷いかは言う必要などないでしょうが、早急な再訓練が必要なレベルなのは言わずもがな。幸いにしてすぐに訓練を再開しましたが、内容がアレです。不潔で優雅さの欠片もない。

 ダンスの訓練はあなた方の矯正にもうってつけと判断して、ご無理を言ってイーストン夫人に出向いていただいたのです」


 相当溜まっていたのか、ゼイゼイと肩で息を吐きながら一気に捲し立てる。


「うわっ。マージェって、そこまで考えていたの?」


 あまりの鬱屈ぶりにセラフィーナが訊くと、間髪入れずに「当然です」と答える。


「お嬢様がお乗りになるのなら、トリートーンはお嬢様に相応しい船であるべきです」


「だから俺たちにお遊戯の練習をしろってか? 俺たちは船乗りで、お貴族様じゃねえ。ダンスなんざ冗談じゃねえ!」


 案の定というか、なるべくしてランドールが反発する。

 が、反発は予想の範囲だったのだろう。マージェリーが意味ありげに「ふん」と鼻で笑い、ランドールを論う。


「船乗りだからダンスができない? そんな狭い了見だから、あなた方は碌に使われもせず、港の奥で燻るしかなかったのです」


「なんだと?」


「僚船のテスターカルテットは、貴族のお客様を乗せることもあるので、掌帆長を始として幹部船員全員がダンスを嗜みますよ。皆さん品があって紳士的で、野蛮人だらけのどこかの船とは大違いですから」


 露骨にわかる挑発だが、根が単純なランドールは「言ってくれたな」と見事なほどあっさりと引っかかる。


「あんなナリばっかデカいウドの大木みたいな船に乗っている連中に、由緒あるトリートーンに乗る俺たちが負けるわけがない。ダンスでもお遊戯でもやってやろうじゃないか!」


 負けん気から出た買い言葉をこれみよがしに復読すると「確かに言いましたね?」と念を押す。


「くどい!」


「では、さっそく練習をして貰いましょうか」


 まんまとマージェリーの策に嵌まり、ランドールたちにダンスという名の地獄の訓練が始まった。

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