第26話 今度はマージェリーの特訓です 2
翌日の朝。
ランドールに命じてマージェリーが乗組員全員を甲板に集めると、開口一番「みなさんに報告します」と昨日の顛末を簡単に説明した。
「幸いにして怪我こそなかったものの、一歩間違えれば命に係わる重大事故にもなりかねず、僭越ながら伯爵様に進言して介入することにいたしました」
聞きようによっては挑発的な挨拶に、水夫たちからどよめきの声があがる。
「静粛に」
どよめきを鎮めるべくランドールに「あなたから説明なさい」と説明の補足を促すと、仕方ないといった風情でもう一度壇上に立った。
「あらましはこの女史の言ったとおりだ。お嬢にはちょっと酷だということもあって、当分の間マスト登りの訓練は中止することとする」
突然の訓練中止に再び辺りが騒がしくなる。
無理もない。
始まったばかりの訓練がいきなり中止になったのだ。戸惑うのは至極当然、無論のことセラフィーナもその中の1人だった。
「ちょっと、聞いてないわよ」
いきなりの暴挙に不満を表すと、マージェリーがすました顔で「今、言いました」と答える。
「さっきも言いましたが、昨日の出来事は一歩間違えれば命を落としていたかも知れない重大事故です。遭ったのが偶々お嬢様でしたが、他の誰かであってもおかしくない。中止は当然の処置です」
大事なことだから2度言いましたとばかりに事故を強調する。
「でも……」
自分の失敗が契機だけに、いまいち釈然としないセラフィーナに「決まったことだ」とランドールが憮然と答える。
「訓練を再開した途端に怪我人が出たら、たまったものじゃない」
「理由は説明したとおりです」
これ以上の説明は不要とばかりにマージェリーが締めくくるが、、釈然としないのは何もセラフィーナ1人だけではない。
隣の顔色を伺うように見つめあう中から、皆を代表するかのようにカイルが遠慮がちに「あの~っ」と手を挙げた。
「中止の理由は分かりましたけれど、代わりにどんな訓練をするんです?」
皆が訊きたかった事柄。カイルが口火を切ったことで次々に「そうだ、そうだ」の声が上がる。
騒がしくなった甲板に「静かにしろ!」とランドールの怒声が響き渡る。
「それを今から、ここにいるマージェリー女史が順追って説明するんだ。オマエら耳の穴かっぽじって静かに聞きやがれ!」
どっちが五月蠅いのか分からないが、ランドールの一喝で傾聴する環境ができると、マージェリーが「困った方々ですね」とぼやきながら設えられた壇上に登った。
「ロープによるマスト登りは、先代ウイリアム様が提唱された由緒ある訓練方法と聞きましたが、先のお嬢様の件もあるように危険極まりなく効果も甚だ疑問です」
挨拶もそこそこに、いきなり自説を披露する。
ランドールと同様に、水夫たちも訓練に誇りを持っていたようで、自説をぶち上げた途端ブーイングがそこかしこから溢れる。
最初は鷹揚に聞き流していたマージェリーだったが、あまりの喧しさに遂にブチ切れ「お黙りなさい!」と目を三角にして怒鳴り散らす。
男の怒声とはまた違う剣幕に、血の気の多い水夫たちも一瞬たじろき、マージェリーが「良いですか」と更にたたみかける。
「シュラウズなる縄梯子の代用になるものを伝えば安全に素早く昇り降りができるのに、あのような方法で昇り降りの訓練をすること自体、不合理極まりないと思わないのですか? 思わなければあなたがたのの頭の中は、余程お目出度いと言わざる得ませんね」
「それは、シュラウズが切れる不測の事態に備えてだな」
水夫の1人が訓練の趣旨を説明しようとするが、マージェリーは言葉尻を捉えて「それで?」と首を傾げて問い返す。
「こんな縦横無尽に張ってあるシュラウズが一気に全部切れると? そんな極限事態に陥った時にも、あなたがたはマストに登る余裕があると仰りたい?」
「それは……」
「忌憚のない意見を聞かせて貰えるかしら。ほら、言ってよ」
水夫たちがディペートでマージェリー勝てるはずもなく、誰一人理論だっての反論ができず、完膚なきまでの沈黙が訪れた。
「なら、どうするんで?」
せめてもの抵抗とばかりに水夫が訊くと、マージェリーは「人の話を全然聞いてないわね」とうんざりしながら「ロープを使ったマスト登りは、そもそも何の目的でやっているのかしら?」と問い返した。
根本的な質問に、水夫はおろかランドールですら口籠り、すぐには答えれない。
「だから、マスト登りは先代様が考案した、だな……」
「どんな理由と効果があるのか、説明していただけるかしら?」
しどろもどろで答えるランドールにと容赦なく突っ込みを入れるが、半ば根性目的の訓練に合理的理由などなく、たちまち返答に窮する。
「答えられないということは、存続させる理由はないということですね」
不合理な訓練だと斬って捨てたうえで「しかし」と続きを口にする。
「合理的理由はなさそうですが、体力や持久力の向上には一定の成果はあったとは思います。ですが、危険で効率が悪いことは払しょくできません。なので、他の方法を提案いたします」
言うと両手を高々と持ち上げ、手を打ち鳴らす。
すると、いつの間に来ていたのやら。
波止場に横付けされた馬車の戸が開くと、中から恰幅の良い中年女性がにこやかに顔を出した。
「げっ!」
年の頃なら40歳前後。アメリアと同年代と思しき女性を見た途端、一緒に話を聞いていたセラフィーナが、レディーにあるまじき大声で呻き声をあげる。
「イーストン夫人が、何故ここに?」
一見するとメタボの末期症状のような、三段腹で二重顎の典型的肥満体型の人のよさそうな中年女性。だがその正体はスリックランド随一のダンスの師範。
彼女に教えを乞えるのは上流貴族の証とまで噂され、あまりの人気ぶりに、簡単には習えないカリスマインストラクター。
その優秀ぶりから名誉貴族とまで称される彼女が何故ここに?
信じられないものを見たという風に固まるセラフィーナに向かって、マージェリーが「わたくしが呼びましたから」と涼しい顔で答える。
「わたくしが提案する訓練方法は、お呼びだてしたイーストン夫人の指導のもと、お嬢様共々ダンスの訓練をしていただきます」
突拍子もない提案に「ちょっと待ってよ!」とセラフィーナが異議を申し立てる。
「わたしは船に乗る訓練をしているのに、どうしていきなりダンスになるの? 関連性が全くないわ!」
至極もっともな主張だが、マージェリーは「いいえ」と首を横に振る。
「先の出来事でお嬢様にはもっと体力をつけて戴くことが大事と痛感しましたが、生憎とこの船の訓練は危険でガサツなものばかり。安全かつ優雅な訓練を思案した結果、お嬢様が苦手としているダンスの練習が最適と判断いたしました」
元気だけは人一倍だが、所謂お嬢様であるセラフィーナは基礎体力が決定的に不足している。
マージェリーは体力の底上げと苦手克服の一石二鳥を狙って、ダンスの特訓をやれと命じたのだった。
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