第17話 やってやろうじゃない。甲板掃除 1


 夜も未だ明けていない。というより草木も眠るような丑三つ時。




 月と星明りだけが照らす闇夜の街道を3台の馬車が駆けていく。




 1台はボールドウィン家の家紋の付いた家族用の瀟洒な馬車、1台が使用人たちが乗り込む実用的な馬車。


 そして、最後の1台が工兵隊か荷駄部隊かというような貨物用の大型馬車。言うまでもなくセラフィーナの一行であった。




「1日で掃除をするために、朝早くからってのは分かるけど。何も夜更けに館を出発する必要があったの?」




 揺れる馬車の中でセラフィーナが唇を尖らせる。




 夜道であまり速度が出せないとはいっても、館から港まで2時間はかからない。


 にもかかわらずベッドから叩き起こされたのは、いつもなら夢の国に入ったばかりの時間。


 いくらなんでも早過ぎやしないかと思うのは無理からぬことだろう。




「ですので、お早めにお休みいただいたでしょう」


 体面に座るマージェリーが、さも当然といった風情で答える。




「えええ、確かに早かったわね。夕食を食べてすぐに寝かされるなんて、病気になった時くらいしか記憶にないわよ」


 まあ、おかげで逆算すれば、普段の睡眠時間と同じ程度は確保されていたのだけれど。




「少々ご負担は強いていますが、早くに出たのは相応に理由があります」


「例の水の確保の件?」


 後ろを走る大型馬車に目を遣りながら尋ねる。


「方策に目途は立ちましたが、準備に少々時間が必要ですので、止む無くこの時間になりました」


 申し訳ありませんとマージェリーが頭を下げる。


「ふ~ん。だから、この物々しい行軍なんだ」


 これで歩兵でも引き連れていたら、ちょっとした補給小隊だ。セラフィーナでなくても尋ねたくなるというもの。


 だが、同行するマージェリーは平然としたもの。


「必要だから使用人を連れて行く。必要だから貨物馬車を出す。それだけでございます」


 とだけ言って余計なことを口にしない。




 おそらく、セラフィーナを寝かしつけた後、使用人を総動員して夜を徹して準備をしていたことは容易に想像できる。


 マージェリーは言うに及ばず、ほかの使用人たちの多くも徹夜仕事だっただろう。


 セラフィーナもあえて問いただそうとはしない。




「それよりも、夜が明けたらすぐに甲板掃除を開始します。お嬢様は少しでも体力を温存しておいてください」


 強制的に毛布を被らせれ、ローデリヒの港まで休むことを強要された。








「夜明け前にご大層な馬車で乗り付けたと思ったら、中から使用人がぞろぞろと。安請け合いをしたものの出来っこないと、1人で甲板掃除するのを早々に諦めたのですかい?」




 馬車から降りてくる使用人たちの姿を見て、ランドールが呆れ顔で訊いてくる。




「まさか。この者たちは清掃に必要な道具を運び込むために連れてきたのよ」


「掃除道具を持ってくるために、これだけの人数をぞろぞろと連れてきただと?」


「そうよ」


「マジかよ」


 左手を額に当てて天を向き、残る右手で十字を描く。




 小声で「これだから貴族のワガママ娘は」と呟くのは何気に失礼だろう。


「そのワガママ娘の行動を見張るように、夜通し船の周りで見張っているあなたたちも、世間からはどう映るのかしらね?」


 ほんの少し挑発すると「俺たちは公明正大を期しているだけだ」とムキになって反論してきた。 




「公明正大。ねえ……」


「なら、ちょうど良いですわ。懸念を払拭するためにも、一緒に荷物の積み下ろしをお手伝いなさい」


 ジト目で見るセラフィーナの横で、マージェリーが馬車に載った荷物の積み下ろしを陣頭指揮を始めた。




「って、何だ? この大荷物は」


 荷物馬車に載っていた道具類に、ランドールを始めとする見張り隊が目を丸くする。


「でっかいブラシみたいなのは未だ分かるが、水槽みたいなでっかい桶に手漕ぎポンプ、足場の材料みたいなのって……オマエたち何処の工兵隊だ?」


「まさか。か弱き少女が1日で甲板掃除をするために揃えた、清掃道具一式よ」


 セラフィーナが胸を張って堂々と言い切る。まあ、金の力にモノを言わせたけれどね。とは心の中で付け加える。


「それで、他の連中は何につかうつもりだ?」


「道具の準備。後はわたしが不正をしていないという証明。かな?」


「なんじゃ、そら」


「まあ、見ていれば分かるわよ」


 疑心暗鬼のランドールに説明している間にも、使用人たちがてきぱきと準備とあるものの据付を行っている。




 が、どう見ても掃除の準備には見えないのだろう。


「おい、アレをどう思う?」


「俺に訊いたって分かるか!」


 物々しさに不安を覚えるのか、ランドールがハワードと呼ばれる航海長に尋ねていた。


「ただ言えることは、あのお嬢さん、本気だぜ」






 水面が黄金色に輝き、太陽が水平線から顔を覗かせようとする頃。


「お嬢様。お支度が終わりました」


 セラフィーナの許にマージェリーが恭しく報告に上がった。






「ピッタリ日の出時間。手際が良いわね」


「使用人たちが優秀ですから」


 心からの賛辞に、マージェリーが自分ではないと謙遜する。


 なるほど。部下を上手に使う極意には褒めることもあるのか。


 改めて見ると、確かにこれはスゴイ。




 日の出までの僅かな時間に手漕ぎポンプが2本設置され、1本は岸壁から海へ、もう1本は先のポンプが汲み上げた先から甲板へと繋がっていた。 


 ポンプとポンプの中継地には巨大な桶が設置され、そこに一旦海水がプールする仕組みになっていた。




「本当はポンプ1本で汲み上げたかったのですが、海から甲板までの高さがありましたので、漕ぎ手の力が必要になりすぎるかと。やむなくこの形になりました」


 マージェリーが申し訳なさそうに謝る。


「いいえ。これでも全然違うわよ」


 と、出来上がりに太鼓判を押す。


「それじゃあ、始めるからお願い」


「畏まりました」


 恭しく一礼をすると、使用人たちに合図する。すると先ほどまで準備に携わっていたものたちが、船と手前でまるで仕切りでも作るかのように等間隔に並びだした。




「何っ!」


 驚くランドールに「不正防止の仕切りです」とマージェリーが注釈をいれる。


「ここから先を立ち入り禁止にすることで、我々が不正をしていないことを証明するために。ね」


「何でしたら、わたしが船に乗る前に、他の使用人がいないか見て回ってもよろしくてよ」


 セラフィーナが不敵に笑う。


 勝負は、始まった。


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