第三話

 暑い夏が終わりを告げ、彼岸を過ぎた辺りから急に寒くなる――そう思っていた時期が、私にもありました。


 暦の上ではもう秋だよ、秋が立つと書いて立秋だよ。そしてとっくに過ぎてるよ。

 お彼岸だってもう過ぎてて、秋の彼岸なのにお婆ちゃんがあくまでも「ぼたもち」だって言い張って大量に作った「おはぎ」だっていっぱい食べたよ。美味しかったよ!

 そしてウエストが心配になっちゃったよ! 私以上に食べてたお姉ちゃんは全然スリムなのに!


 なのになんでまだ暑いの!?


 もう日照時間は夜の方が長くなっているんだよ!

 もう暫くしたら、お楽しみのBリーグの開幕だよ!

 でもこんな暑かったら、アリーナ内が酷いことになっちゃうでしょ!

「FlyAgain」とか「ゾンビ・ネイション」とかやったら暑さで倒れちゃうよ!

「ゾンビ・ネイション」で観客がゾンビになったら笑えないよ!


 ……まぁ八つ当たりはこれくらいにして、今日も今日で通学のために駅のプラットホームにいるわけで。

 前述の通りの暑さで私は汗を掻きまくってタオルで拭いているというのに、隣にいるお姉ちゃんは文字通り涼しい顔をしている。


 一体なにが違うんだろうと訊いてみたら、「淑女は常に涼しいのよ」とか涼しい顔で髪をサラッと撫でちゃったりしている。


 あのねお姉ちゃん、貴女メガネ変えてから人気が鰻登りになってる自覚ある? その容姿でそんなことされたら、メガネ属性のない人だって惚れ惚れしちゃうからね。


 でもそんなことよりも、まずは突っ込ませてね。


 一体何処の格言なのよそれは? それに淑女って自分で言っちゃう? 淑女(笑)じゃないの?


 私のツッコミに「なかなかやるわね」みたいな顔を向けてるけど、別にそういう返答は期待していないから。


 私は溜息を吐いて汗を拭い、そして虫を払うフリをして肩に乗ろうとしている視えない人を裏拳でぶっ飛ばして追い

 そう、いつまでもお姉ちゃんと一緒に登校出来るわけじゃないから、自分で追い祓うようにしないといけなくなってきたんだ。

 たまに知らない人に当たっちゃって、平謝りすることもあるけど。


 まぁこういうのも慣れなきゃだよね。もし県外の大学に行くとしたら確実に一人暮らしだろうし、仮に寮があったとしても、そういう処は結構だまりだったりするから。


 誤解のないように重ねていうけど、吹き溜りって言っても所謂いわゆる幽霊屋敷とかじゃないからね。人がたくさん集まる処には、そういう人達も集まるって意味。

 これは又聞きなんだけど、渋谷のスクランブル交差点には、一般人に紛れてらしいよ。普通の人は視えないから、なにも感じないだろうけど。


 そんな益体のないことを考えながら電車を待っていると、ふと、視界の隅に男の人の姿が映る。


 例の――只、其処にいる人だ。


 相変わらず、なにをするわけでもなく、只その場にいるだけの人。


 こう言っちゃうと語弊があるかもだけど、視えない人達って結構能動的に動いているんだよ。地縛ってる人だって、ボーっと立っているワケじゃないし。


 そう、そういう人達だって色々な理由があって其処にいるんだ。


 もしかしたらその人も、何か理由があって其処にいるのかも知れない。


 ……まぁ、ぶっちゃけちゃうと、そんなの知りたくもないけどね。


 それに、駅の構内にいるだけなら特別害はないだろうし――いや、ちょっと待って。


 私、あの人を此処じゃない場所で見たことがある。


 具体的には――自宅の傍で、アスターくんと散歩してる最中に……。


 え? ちょっと待って。私が見間違えた?


 そんなことはない、見える人ならいざ知らず、私が


 偶然あの人が其処にいた? いや、それこそ有り得ない。


 そういう人達の行動範囲は案外狭いし、そもそもウチの近所は色々な、それこそそういう人達以外の縄張りで、別の場所からは安易に立ち入れない筈。


 じゃあ、どうしてあの人はあの場にいた?


 そもそもあそこは、あの電柱は影の女さんの縄張りなのに。


 もう一度、お姉ちゃんを見る振りをして視界の隅にその男の人を捉える。


 やっぱり、なにもしていない。


 なにもしないで、只、其処にいる。


 何処を見るでもなく。


 何をするでもなく。


 只、その場にいるだけだ。


 様子がおかしいのに気付いたのか、お姉ちゃんが腕を肘でつついた。それで否応なく意識が逸れ、私はお姉ちゃんに視線を移す。


 お姉ちゃんは声に出さずに口だけで言った。


 ――――って。


 大丈夫、そんな心配はないよ。それにそんなヘマはしない。

 もしものときのために、お父さん印の粗塩だってあるんだし!


 そんなことを考えながら、謎のドヤ顔をしてやった。胡乱うろんな目で見られちゃったけど。


 というか、私ってそんなに信用ないかな?


 そんなことをしながら、お姉ちゃんに引っ張られるようにして私は登校した。



 ――*――*――*――*――*――*――



 ――で、その日の放課後、帰宅部の私は何処へも寄らずに真っ直ぐ帰宅する。だって、家が遠いんだもん。


 本当は部活とかに入った方が内申とか良いし、それに運動だって嫌いじゃないからやってみたいって気はする。

 だけど、何分なにぶん自宅が遠いし通学に二時間以上掛かるし、冬に雪とか降ったら自転車は無理だからバス通学になるわけで、自宅へのバスの本数は嫌がらせのように少なくて終バス逃すと帰れなくなるから、部活は無理なんだよね。


 バスケ部の顧問が、お前なら田臥勇太みたいになれるって熱心に誘ってくれたけど、以上の理由でお断りした。

 というか、目標の対象が田臥勇太さんって、恐れ多いよ。顧問さんはインターハイ、国体、ウィンターカップ九冠を目指しているのかな?

 あとね、私は一応女なんだから、比べる対象が田臥勇太さんってどうなの?

 せめてBリーグの選手からじゃなくて、Wリーグの選手から選んで言ってよ。吉田亜沙美さんとか渡嘉敷来夢さんとか。どっちも私より背が高いけど。


 関係ないけど田臥勇太さんは小柄って言われてるけど、それでも173センチメートルあるからね。背は低くないからね。足のサイズは29センチメートルもあるけど。


 ああ、うん、バスケは好きだよ。でもその前に生活がちゃんと出来ないといけないし、部活に入ったとしても登下校問題でチームメイトに絶対迷惑掛けるから。

 別に後悔はしていない。やろうと思っているなら、いつ始めたって良いじゃない。

 今じゃあ五人制バスケだけじゃなくて、三人制の3X3スリー・エックス・スリーだってオリンピックの正式競技になったんだから。

 決して遅過ぎることはないNever Too Lateって田臥勇太さんも言ってるし。


 ……あれ、これ最初に言ったのって誰だっけ? ジェーン・フォンダさんだっけ?

 どっちにしても、言ってる対象がバスケと恋愛だったら、バスケでしか共感出来ないけどね……恋愛未経験者ですが、なにか?


 そんなどうでも良いことを考えながら、駅までの道を一人で歩いていると、お姉ちゃんから連絡が来た。


 ちなみに私達家族が持っているのは、一様に某リンゴ社製大容量スマホだ。格安スマホで良いってお母さんとかが言っていたのに、お父さんが絶対これじゃなきゃダメだって言い張ったからだ。


 理由は、使っているうちにスマホの容量とかデータ通信容量が絶対的に足りなくなるし、格安スマホはCMとかで良いことしか言っていない。よくよく調べてみれば、穴だらけな制約だらけで、特にウチみたいな家が山の中だとまともに電波が届かなくて安定して使えないんだって。


 言われて私も調べてみたんだけど、確かに制約がいっぱいだった。


 格安スマホを勧めて来たショップ店員を、ぐうの音も出ないほど言い負かして凄く良い笑顔を浮かべるお父さんの姿は、今でも忘れられない。父親じゃなかったら惚れていたよ。


 まぁ、その後でお母さんに怒られてたけど。マニュアル通りにしか出来ないんだから、あんまり本当のこと言って苛めるな。可哀想に一丁前に傷ついてるよ――て。

 うん、お父さんも酷いけど、お母さんもトドメ刺してるよね。


 そんなリンゴ社製スマホを覗き込んで、お姉ちゃんからのメッセージに目を通す。


 えーと――担任と学年主任と教頭から呼び出し喰らった……ナニしたのお姉ちゃん!?


 ――大学は実力で入りたいからって推薦蹴ったら呼び出された。多分説得で遅くなると思うから先に帰ってて。負けるつもりはないけどね。

 というか、なんであたしがあんたらの点数稼ぎに付き合わされなくちゃならないんだ? 毎回毎回面白味の全く無い授業を垂れ流して、挙句居眠りするのは気合と集中力が足りないとかワケの判らないことを言うし。

 居眠りされるのは講義する側の問題だろう。教科書を抑揚もなく読み上げるのは授業とは言わない。読経の方がよっぽど面白いわ。


 ……お姉ちゃん……。


 悔しかったら林修先生みたいに興味を引く授業をしてみろってんだ。この為体ていたらくで公立高校の教師とか洒落臭い。給料泥棒かよ。

 公立校教員試験に合格したのにバカが治らなかったのか? どれだけバカなら気が済むんだ?

教科書の音読でいいならあたしの方が巧く講義出来るよまったく。


 ……お姉ちゃん……。


 大体さ、テストの範囲外からの出題っておかしいよね。ツッコミ入れたら「こういうこともあるからちゃんと勉強しなくちゃダメだぞ――」と言うとか意味判んない。まぁあたしは問題なく解けたから良いけど。


 ……お姉ちゃん……。


 時間が余ったついでにテスト範囲から考えられる問題を裏側にビッシリ書いてやったわよ。解くより時間が掛かちゃったけどね。

 あれ見たときの数学の魚釣島の顔ったら傑作だったなー。またやろう。


 ……お姉ちゃん……。


 んじゃそんな感じで。草々不一っと。


 ……お姉ちゃん……というか長いよ! そして不一とか、コレでも言い足りないの!?


 あーもー、なんだかどっと疲れた。なんで普段は無口なくせに、メッセージとかだと饒舌になるの。


 そして肩を落としつつ、駅に向かう私。


 お姉ちゃんが春に修学旅行へ行ったときを除いて、登下校はいつも一緒だったから変な感じ。


 只、まぁ、来年からは一人になるだろうから、こういうのにも慣れておかなくちゃだけど。


 ……あー、修学旅行かぁ。そういえばお姉ちゃん、お土産で何故か小太刀サイズの木刀二本買って来て満面得意ってたなー。私はそんなの要らないから、弟くんにあげちゃったけど。

 でも女子なのにお土産に木刀二本ってどうなんだろう。あ、木刀って二振りって数えるんだったっけ?


 またしてもそんなどうでも良いことを考えていたら、いつの間にか駅に到着した。


 登校するときに乗る駅もなかなかだけど、こっちの駅も結構凄い。


 まず駅の入口にいる、物凄く良い笑顔を浮かべて、ついでに体も浮かべているバスガイドさん。

 ……此処って駅だよ、バスは来るけど定期バスだよ。観光バスじゃないよ。なんでいるの?


 みどりの窓口のカウンターの隅にしゃがみ込んで壁と対話しているお兄さん。其処にいると本気で邪魔なんだけど。


 意味もなく待合室で走り回る、もんぺを履いて頭巾を被った子供達。


 ずっと敬礼をしてひたすら電車を見守っている、無精髭で軍服のおじさん。もう戦争に行く人はいないよね。


 プラットホームの端で、どういうわけか巫女舞をしている超美人な巫女さん。その足元で酒瓶片手に引っ繰り返っている酔っ払いのお姉さん。


 黄色い線の外側で何故か爆笑している、白いブラウスの女の子。ナニが面白いんだろう?


 うん、なんか今日はちょっと違うな。変な視えない人達がいっぱいいる……家族メッセージで送っとこ。お母さんならなんか判るかも。


 えーと、なんか今日の駅はヘン。おかしな人がいっぱい視える――と。


 そんなコトをしながら、いつものホームで電車を待つ。


 ……本当に今日の駅は凄いな。またメッセージしとこう。


 でも今の時間、誰が見るんだろう?


 お姉ちゃんは学校で進路についてバトル中だし、お母さんはまだ仕事。あ、お父さんは今日夜勤明けだったからきっと爆睡中か。もう起きてるかな? 弟くんは部活でまだ泳いでるだろうね。


 ……んん? なんか、今日はヘン……というか、おかしい。


 あと――


 ……こんなに、この時間って、人がいなかったっけ?


 そんなことを考えながら、思わず周りを見回す。


 すると――


 ――いた。


 ――あの人が。


 ――只いるだけの人が。


 ううん、違う。


 今日は、今は、なにか違う。


 その人は、睨んでいた。


 険しい表情かおで、真っ直ぐに――私を睨んでいた。いや、今も


 え、どういうこと? 私、あの人になにかした? 間違えてお父さんの粗塩掛けちゃった?


 どうしよう、いつも通りに、視なかったことにすれば良いのかな?


 でもいつも通りに笑い話しで済むかも知れない。家族メッセージでまた送っておこう。


 睨まれているけど気付かないフリをしながら暫く待っていると、電車が


 ああ、良かった。


 胸を撫で下ろして、電車に乗ろうと乗降口前に立つ。


 そのとき、スマホが振動してメッセージ着信音がした。


 ホーム画面には、お母さんからのメッセージが表示されている。


 それを見て、私は全身の血が逆流したみたいに血の気が引いた。


 お母さんからのメッセージ。最初の一文――


『離れなさい!』


 慌ててそのメッセージを確認しようとすると、肩が掴まれた。


 それはかなり強い力で、掴んでいる手が私の肩に沈んで行く。


 その強い力に、顔をしかめて振り返る。


 ――其処には、あの人が立っていた。


 相変わらず私を睨んでいる。


 そう、その人が――私の肩を掴んでいる。


 どうして、いきなりこんなことを?


 この人は、只その場所にいるだけの人だったんじゃないの?


 なんとか振り払おうと体を捻り、身体の位置をスピンムーブで入れ替える。そして瞬間的に距離を取って正面からその人を見た。


 その人は、険しい顔のままその口を開いて


 ――


 その人は、喋った。そして、その声が聞こえた。視えない人達の声は、余程のことがなければ聞こえないのに。


 そして――お母さんからのメッセージ、それにはこうあった――


『其処にいると


 持っていかれる? そういえば今朝、お姉ちゃんも言ってた。

 でも、持って行かれるって、いっぱいってことじゃないの?


 振り払われた手をそのままの位置で止まっているその人から、更に離れようと乗降口に近付いて行く。


 そのとき、電車の扉が開いた。


 助かった。


 そう呟いて、そのまま中に入ろうとし――その雰囲気の異様さに絶句した。


 その電車の中には、沢山の乗客が乗っている。席は全て埋まっていて、それでは足りなくて吊革に掴まっている人もいた。


 だけど、電車に乗っている乗客全員が――視えない人達だった。


 その人達は一斉に私へ顔を向け、だけどみんな無表情で、そのまま私を掴む。


 ――ツカマエタ――


 私を掴む人達は、一斉に声もなく、そして一斉に笑った。


 なんで? どうして? 私を?


 意味が判らない。


 どうすれば良いの?


 どうすれば良かったの?


 自分を掴んでいる手を振り払おうとするけど、力が強くて全然動かない。


 そのとき、なんとか離れようとしている私が背負っている鞄が後ろから掴まれ、びっくりするくらい強い力で後ろに引っ張られた。

 私を掴んでいる電車の中の人達の手が千切れ、だけどそんなことよりも、引っ張ってくれた後ろにいる誰かを


 引っ張ってくれたのは、あの「其処にいる人」だった。


 その人は私の鞄に手を突っ込んで、200ミリリットルのペットボトルを取り出した。でもそれだけで、その人の手は白い煙を出して消え掛ける。


 その人は、なにも言わずにそのペットボトルを私に差し出し、そして――なにかを言い掛けたけど、でもなにも言えずにそのまま消えてしまった。


 え、なんで? あの人は、私に憑いて来たい人なんじゃないの? なんで、助けてくれたの!?


 でも、それより、今は――


 あの人が取ってくれた、多分、触るだけで自分の存在が消されるかも知れないのに、なのに取ってくれたペットボトル。

 それは、視えない人達を有無を言わさず退かしたり、消しちゃったりする不思議な光に数ヶ月晒された粗塩。そしてこれが今、私が持っている、視えない人達に対抗出来る唯一のもの。


 だけど、それがあったって、私に出来るのは塩を撒くことだけだ。


 だから――私はキャップを切り、其処から粗塩を一掴み取って、車内から手を伸ばして掴みかかろうとする視えない人達へ投げ付けた。


 粗塩から逃げる視えない人達に更に投げ付け、その電車が発車するのを待つ。


 でも、電車はいつまで経っても発車しない。いくら田舎だからって、そんなに長い時間停まっていない。


 そんなことに気付いて訝しんでいると、その電車の乗降口が膨らみ、口みたいになって私に噛み付いた。


 身体の半分を噛み付かれ、そしてその中から視えない人達に掴まれる。


 こうなったら、もう私に出来ることはない。


 周りを見れば、駅にいる視えない人達がこの電車に乗り込んでいた。


 ――ああ、「持って行かれる」って、こういうことか。


 掴まれて身動きが全然出来なくなって、意外にも私はそう考えていた。


 イヤだな、持って行かれたら、どうなっちゃうんだろう。


 お父さん、お母さん、お爺ちゃん、お婆ちゃん、お姉ちゃん、弟くん、ごめん、私、もう会えない。


 だけど、只黙って飲み込まれるのはイヤだ。


 握っているペットボトルを、なんとか手首を返して動かして粗塩を撒く。そして緩んで自由になった手でそのまま自分に塩を振り掛けた。


 そんな最後と言うべき抵抗をしていると、スマホから着信音が鳴った。


 それは、Bリーグの某チームが最終クォーター開始前のクォータータイムに一定の条件下で始まり流れる、ブースターと一緒に勝利を願うアクションの曲。


 ――某メロディック・ハードコア・バンドの、曲名PartyParty――着信指定で、お父さんに設定してある曲だ。


 そして目の前に、髪を振り乱して荒い息を吐く、眼鏡を掛けた綺麗な女の人が、スマホを耳に当てて飛び込んで来た。


「間に合った! 間に合ったよ、お母さん」


 ――お姉ちゃん!

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