第二話
ジメジメしている梅雨が明け、季節は本格的な夏を迎えていた。
私としては、それは嬉しいことだ。
当り前だけど、梅雨は湿度が高くて洗濯物が乾かないし汗で体がベタつくし、あと髪が全然
私? 私の髪はお父さん譲りなのか、真っ黒な真っ直ぐで、湿気なんて全く気にならないんだ。でもあまりに真っ直ぐ過ぎて、ショートにすら出来ないけど。
関係ないけど、お姉ちゃんはお母さん譲りの癖っ毛で、
それもとても似合ってていいんだけど、でもねお姉ちゃん、
そんなことを訊いてみたら、ビックリしたような顔になってから、俯いてちょっと落ち込んじゃった。
本人としてはそんな気は全然なかったらしくて、純粋に気に入ったから着けてたみたい。
ごめんなさい、お姉ちゃん。
でも
……ともかく、梅雨ってホント嫌い。早く冬になってくれないかな。
なんてコトを言ったりすると、「一足飛びで冬なの?」とかツッコミを入れられるけど。
別に良いじゃない、冬。
余計な虫は出ないしジメジメしてないし、なにより涼しいよね!
そして庭に雑草だって生えないから、こんな楽なことはないんだよ。
雑草って草はないとか小賢しいコトを言うヤツもいるけど、日差しがキツい暑い中、それと格闘している方としては「だからどうした」と言ってやりたい。
あとコタツも心地良いし、ペットのアスターくん(白い
関係ないけど、アスターくんの名前はお父さんが付けた。なんでも「ゾロアスター」から取ったらしい。宗教関係者に怒られても、私は関知しない。
そんな夏の休日。もうすぐ夏休みだなーとか思いながら、私は日焼け止めを塗りまくった上に長袖Tシャツ(お姉ちゃんから貰ったロゴ入り)と手袋をして、麦わら帽子を被って完全防備してからアスターくんの散歩へと出掛けた。
……このTシャツ、サイズが丁度良いし薄手でUVカットされててとっても良いんだけど、そのロゴっていうのが「駆逐してやる!」なんだよね。あ、それが前で、後ろが「世界は残酷なのだから」だったり。
そう、お姉ちゃんはオタクさんなんだ。
でも「オタク」って言うと怒るんだよね。私はマニアであってオタクじゃない――って。
私から言わせればどっちも同じだと思うんだけど、どうやら違うらしい。
えーと、オタクは広く浅くしか知識はないけど、マニアはその道のプロだ――だったかな? うん、凄くどうでも良い。
そんな感じで、緑が豊富な家の周りを散歩する……あ、はい、ごめんなさい。見栄を張ってウソ吐きました。緑が豊富なんじゃなくて、緑しかない、の間違いです。
そんな感じで! アスターくんと散歩をする。アスターくんは躾が行き届いてて、飼い主である私を引っ張って勝手に何処かへ行こうとはしない。
勿論トイレは完璧で
まぁ、ヤツがウチに来たときは、そりゃあもう吠えまくってて、あまりにそうするもんだから、ヤツは早々に退散してた。
その日のアスターくんの夕飯は、採算度外視で取って置きの高級パウチをあげちゃったよ。
どうでも良いことなんだけど、ヤツは子供の頃に自分
誰の所為でもなく、躾をしない自分達が悪いのに。それで嫌いになるとか、意味が判りません!(某ヒ◯シさんのように)
アスターくんとの散歩はとても楽しい。良い運動にもなるし、ストレス解消にもなる。
まぁでも、この
電柱の陰から覗いている影の女とか、川で
そういう人達(?)もそれほど実害がないから、基本は放っておくんだけどね。
あ、でも小正月に必ず来るヤツは藁とかいっぱい落とすしウルサイから、玄関にお父さん特製塩を撒いて近付けないようにしてる。
それでも全部がそうってわけでもなくて、炎天下にJAのロゴが入ったキャップを被った野良着姿で自転車に乗り、意気揚々と畑へ出掛けている一昨年亡くなった近所の爺ちゃんとか、川で採れたての野菜を洗っている、写真でしか見たことがない曾婆ちゃんとか、その膝くらいの深さしかない川の
アスターくんもそれが判っているのか、そういう人達には見向きもしない。ヤツが近付いたりすると牙を剥いて唸るけど。
というか、露骨に避けられてたり飼い犬がそうしているのを
そんなヤツのことを考えちゃってウンザリしながら、速足でその家の前を通り過ぎる。
声を掛けられたような気もするが、耳にイヤホンを入れて遮音していると見せているから、そんなのは聞こえないし気付かない。
大体三時間くらい歩き、途中で持参しているアスターくん用の器に水を入れて水分補給をさせて、私も同じく水分補給をする。
一軒しかない店の前を通り過ぎたら、暑いからとキンキンに冷えたスポーツドリンク1.5リットルと、間違えて凍らせたというヤバいくらいに膨張している冷凍用じゃない500ミリリットルの炭酸ジュースのペットボトルを渡された。
炭酸を凍らせるとか、解凍するときとかその後封を切るときの方がヤバくない? 開けた瞬間爆発しそう。
まぁこんな田舎だから、凍らせないで下さいとかの注釈なんて絶対見ないよね。なにかあったって、訴えるとかそんな概念ないし。「いや~、びっくりした」で終わるよ確実に。
時間もそろそろ昼になりそうだから、帰宅しよう。いっぱい歩いたからアスターくんもご機嫌だ。
明日の散歩は昼前じゃなくて夕方にしよう。犬の散歩の基本は、いつも同じ時間にするんじゃなくて、飼い主の都合でするのが良いのだ。
じゃないと無駄吠えの原因になるし、決まった時間に固定しちゃうと犬の方がエライと勘違いするから。
そしてアスターくんにアイコンタクトをして帰宅する。その途中で視界の隅に、影の女さんがいた電柱の傍に、男の人が立っているのが視えた。
その人は只その場に立っているだけで、なにもしていない。
なにかを見ているわけでもない。
なにかをしようとしているわけでもない。
そして――なにかをしているわけでもない。
そう、その人は、只その場に立っているだけだった。
――一体、何がしたいんだろう。
そう思ったけど、例によって目を合わせずに、そして其方を視ないで通り過ぎる。アスターくんが心配そうに私を見上げるけど、その頭を
いつもはそんなことなんて絶対にしないんだけど、きっと早くその場を離れたい私の意図を察してくれたんだと思う。まったく、本当に優秀な男の子だよ。犬にしておくのが勿体ないな。気遣いが出来ない男子諸君に、アスターくんの爪の垢を煎じて三倍濃縮で飲ませてやりたい。
そんなちょっとしたエンカウントがあったりしたけど、誰も憑いて来ないで無事に帰宅する。すると、庭先でお父さんが炭火でなにかを煮ていた。
なにしてるんだろうと思いながらアスターくんと一緒に傍に行くと、トングでトウモロコシを摘まんで差し出して来た。
採れたてトウモロコシをその場で茹でるとか、どんな贅沢なんだろう!
そんなことを考えながら、茹で
あ、弟くんは部活で今はいない。帰って来たら、きっと軽く五本くらいは一気食いするよね。
出来たて熱々なそれを、素手で器用にくるくる回しながらラップで包んで水分が飛ばないようにしているお姉ちゃんや、程良く冷えたそれをアスターくんに上げているお母さんを見ながら、私も二本目に取り掛かる。
……ちょっと、アスターくんにそれ上げて大丈夫? ドッグフードの原料にもなっているから問題ない? ああそうですか……。
そんなこんなしていると、お姉ちゃんが極厚の鉄板を持って来て炭火の上に置いた。
えーと、その鉄板って確か60キログラム以上あったよね?
そんなツッコミをすると、髪を縛ってアップにして
その上で「乙女の神秘」とか言われたって、納得出来る筈がないんだけど。意味が全然判らないし。
というか……もしもしお父さん、其処でなんで「神秘なら仕方ない」とか言っちゃうの? 貴方の娘、物凄い良い顔でおかしなことを口走っているんだけど!
お母さんはお母さんで、炭火を分けて貰って焼き網を載せて、採れたての茄子を半分に切って、皮を下にして味噌を乗っけて焼き始めたり、トウモロコシに醤油を塗って焼き始めちゃうし。
もう! 美味しそうじゃない!
何故か唐突にそんな野菜のバーベキューが庭先で始まり、焼きそばをお姉ちゃんが焼き始めた頃に弟くんが帰って来た。
弟くんは中学三年生で、その中学までは大体10キロメートルくらいある。その行程をロードレース仕様の自転車で疾走して、一五分ほどで駆け抜けるという健脚ぶり……待って、時速40km/hで走ってるの!? まだ中学生なのに!
え? ほぼ信号ないし、ペダルを一番重くして下り坂とか使えば車を追い越せる? ふ~ん……て! 危ないから!
私のそんなツッコミなんて聞き流して、弟くんは帰ってくるなり庭の蛇口から水を出して頭にジャバジャバ掛けて、ついでに私が貰って来たスポーツドリンクを半分くらい一気にゴクゴク飲んでからタオルで頭をギュッと縛って、お姉ちゃんが作った焼きそばに目玉焼きを乗せて、福神漬けを添えてモリモリ食べ始めた。
ウチは焼きそばに紅ショウガではなく、福神漬けだ。これは絶対に譲らない。お勧めするよ、絶対に合うから。
余談だけど、ウチの水道は井戸水をポンプで吸い上げているからいつでも冷たい。
いつぞやに、上下水道にしないとダメだと市役所の奴らが来たけれど、色々説明しても理解しないし、浄化槽も下水にするように法律で決まっているってお手製書類を見せてウソ言う奴らのコトなんて信じられないよ。
汲み取り式は下水にしなければならないって下水道法で決まっているけど、浄化槽はそれに当て嵌まらないんだよね。ちゃんと浄化槽法ってのがあるし。
それはお父さんの恩師の弁護士に確認したから間違いない。相談料は、いつぞやに貰って処理に困っていた純米大吟醸一升だったそうな。ウチは誰もお酒呑まないしタバコもやらないし。
そんで、じゃあってことでお父さんが知り合いの水環境研究室に水質検査をして貰って、一切引っ掛からなかった調査書を突き出して許可を貰ったんだよね。
その職員からは、どうなっても知らないって捨て台詞貰ったけど、お母さんが早速知り合いの市長に電話して黙らせた。
なんでも、お母さんが勤めている病棟(お母さんは看護師)に入院したことがあるらしい。良く判らないけど担当だったみたいで、家でよく「エロジジイ!」って言ってたなぁ。
面と向かっても言ってたみたいで、一緒に買い物に行ったときに
市長にそんなことをしちゃって、それに気付いた周りは騒然としたけれど、エロジジイと罵倒されて喜んでいる様を見て「あ……」って察したらしく、何故か視線が生温かくなったけど。
関係ないけどその市長さん、お母さんや私と同じく「視える人」みたいで、そっち方面では親身に相談に乗ってくれた。エロいけどいい人で、優秀なんだ。エロいけど(大事なことだから二度言った)。
まぁこの井戸は、元トンネルマンだったお爺ちゃんが本格的なボーリングで掘ったものだから、その
……と、何故かお父さんがドヤ顔で言ってた。
そのお爺ちゃんは今……弟くんの傍で焼きそばを元気に食べています。そして三皿目だったり。
というか、お爺ちゃんの隣でトウモロコシ食べながらお姉ちゃん特製焼きそばをアクロバティックに食べてる人、誰?
お爺ちゃんの古い悪友? ああそうですか。悪友って、なんか顔付きが真っ当に見えないんだけど……コレでも公務員? 昔は女風呂の覗きばっかりしてた?
ヘンタイだー! お巡りさん、この人です!
そんなモリモリ食べている爺ちゃんと孫プラスアルファに、お婆ちゃんが鶏ガラで出汁を取ったスープを持って来た。
するとお姉ちゃん、そのスープに出来たてでちょっと焦げ目のあるソース濃い目の焼きそばを入れちゃった!
なんでもスープ焼きそばっていうんだって。諸説あるけど、栃木県の塩原ってところが元祖らしいって言ってる。まぁ美味しかったらどうでも良いんだけど。
というか何処で仕入れたのその知識……あ、お爺ちゃんでしたか。そういえばトンネルマンで全国を飛び回っていたんだった。
そんな家庭内バーベキューを一通り楽しんで、私が貰った例の冷凍炭酸ジュースが解凍したのを、なにも知らない弟くんが開けて屋根に届くくらい噴き出して大笑いしたり、傍の川にさっきからいる野菜を洗っている曾婆ちゃんがニコニコしながら見ているのとか、その後ろでやっぱりさっきから川に潜っている子供達が涎を垂らしそうな顔で見ているのとか、更に隣の廃屋の窓から孤独死したおっちゃんが恨めしそうに見ているのを、やっぱり全力で無視しながら片付け始める。
だけど私の様子でなにかを感じたらしいお父さんが、そっちを睨むとその視線に沿うように、なんか光が飛んでそのおっちゃんに突き刺さってた。
……悲鳴が聞こえたような気がするけど、それもきっと気の所為だよね。
というかお父さん、一体なにしてんの? 某アメコミの超人集団の、眼から破壊光線を出す人じゃないんだから。それに何処で仕入れたのそんな技。
え? 飛ばせたら便利だなーってお母さんに相談して頑張ったら出来た? ああそうですか……というかなんで良い顔でサムズアップしてるの? お姉ちゃんの中二病は、絶対にお父さんの所為だからね!
……て、なんで二人して照れてるの?
断じて褒めてないからね!
なんなのこの
そんな珍事があったけど、片付けを終わらせてその場はお開きになり、私は二階の自室じゃなくて座敷で課題を始めた。二階だと夜にならないと暑いんだよね。逆に夜は窓開けてると肌寒くなっちゃうけど。
大人には視えない和服の子供が走ってたり、課題を覗き込んで来るけれど、それも全力で無視して座敷でそんなことを始めていると、お姉ちゃんと弟くんも一緒に始めていた。
ウチの両親は勉強しろとは言わない。勉強するしないは本人の問題だし、どうせ言ったってやらないときはやらないだろうってコトらしい。
まぁ、正解だよね。
やらなくちゃダメだとか強要したって、それが苦になるだけなんだし。
そもそも、学校の勉強とか数式とか社会に出てなんの役に立つとか言っているヤツは、それこそダメだと思う。
学校で教えている
――と、弟くんが中一のときに愚痴ってた。
因みに現在中三の弟くんの進路は、私達が通っている高校よりも偏差値の高い私立で、授業料が無料になる特待生狙いらしい。まぁ、ウチの高校より近いから自転車で行けるしね。
ああそれから、其処の高校の制服はオシャレなブレザーらしく、弟くんはとっても嫌な顔をしていた。それだけはイヤなんだって。学ランで良いじゃないか! とか言っていたし。
夕方まで掛けてダラダラと課題を仕上げ、和服の子供が詰まらなさそうな顔をしているから知らん顔で頭を撫でてやったりしながら、空腹に耐えつつお婆ちゃんとお母さんが夕食の準備をしているのを横目でチラチラ眺め、この時期恒例の怪奇特集を観て家族で大笑いする。
お姉ちゃんとか弟くんなんか、その映像をどうやって作ったのかっていう考察を始めちゃったりしていた。
あ、弟くんは、本人は断固否定しているけど視えるし光も出せるし――ていう、お父さんとお母さんの良いトコ取りなハイブリッドだったりする。
それにしても……お姉ちゃんも弟くんも天才とか、どんな家族なんだろうね。私だけだよ凡才は。はぁ、困ったもんだ。
「自覚がないって罪よね」
――お姉ちゃん……。
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