そこにいるあなた。

佐々木 鴻

第一話

 ちょっとだけ、怖い話をしようと思う。


 いや、もしかしたらネットスラングとして「恐い」話しかも知れない。


 まぁ、文法としては、結局はどっちでも良いのだろうけど――






 今日も私は電車に乗る。


 理由は、まぁ、通学のためだ。


 それは酷く当たり前なことではあるけれど、私にとってはそれなりに――いや、結構大変なことなんだよね。


 まず私の家は街中にあるわけではなく、そして町中にあるわけですらなく、バスが一日数本しかない、片田舎と呼ぶことすら片腹痛いほどの田舎なんだ。


 もちろんコンビニなんてあるわけもなく、酒屋と称した食品店が一店舗あるだけ。その売っている食品も、若干消期限が怪しいものばかりではあるけれど。


 ともかく、そんな「ド」が付く田舎にある自宅から駅がある町へ行くためには、自転車で四〇分くらい掛けて行かなければならないわけで……。


 ああ、それから、語弊のないように重ねて言うけど、て、

 駅までは其処から更に一五分掛けて行かなければならないから、都合五五分――約一時間は掛かるんだよね。


 そしてその後は電車に乗るのだけど、それも順調にいかないのが田舎の常識。

 電車の本数も多くて一時間に一本だったりするし、各駅停車の電車は途中で一つの駅に二〇分くらい停車したりもする。


 都心で暮らす人達にとっては信じられないことなのだろうが、これは全て誇張なしの事実なんだよ。

 そしてそれが、自動車免許がなければ生活出来ないと言われる所以ゆえんで、更に言うなら一八歳以上で正常にそれが取得出来る人達の率は、驚異の100%だったりする(本当)。


 まぁそんな感じで、乗るまでに一苦労な電車に乗るために自転車で約一時間掛け、電車に揺られること四〇分、更に其処から徒歩三〇分という道のりを、大作映画一本分の時間を費やして毎日毎日毎日毎日通学しているわけだ。

 テレビのなんだか良く判らない、何が面白いのか全然理解出来ない番組のインタビューで、通勤に一時間も掛かると嘆いているサラリーマンを観たときに、ブラウン管テレビにテーブルをぶつけたくなったり、軽く殺意を覚えたり、それを放送しているテレビ局に宛名無しでカミソリレターを衝動的に送りたくなった私を、誰が責められようか。




 ――通学時間が怖ろしく長いとか、テレビ局に番組に殺意を覚えて怖ろしいとか、そういう話しではないよ。念のため。




 そんな大変な思いをして通学しているのは、なにも私だけではない。

 私のおねえちゃんや弟くんも、そして近所――といっても直線で100メートル離れているが――に住んでいるヤツも、別の高校だけどそれに近い感じで通学している。


 余談だけど、ヤツと言ったのは言い間違いじゃなくて、わざとだ。


 本人は仲が良いつもりだろうけど、借りパクを常習するわ悪戯いたずらなつもりの嫌がらせをするわで、とてもじゃないが仲良く出来ない。というかしたくない。

 更にコイツ、絶妙に要領が良くて、場合によっては私が悪いことになることも多々あるし、もっと言うとそれらをしているという自覚が全然なかった。

 小学中学と否応無く同じ学校だったために付き合わざるを得なかったけれど、高校は別だからやっと関係が切れて、そりゃあもう清々しいくらいに清々したよ。

 ……「清々すがすがしい」と「清々せいせいする」って同じ漢字だから、字面を見ると妙な感じだよね。漢字だけに。


 関係ないけど、コイツは「同じ高校に行こうね」と眼をキラキラさせて言っていた。言われたときの私の眼は、きっと死んでいたと思う。

 で、「××高校に行こうね」とキラキラ言われた私は、ソイツが願書を出してから暫くして、更に念には念を入れて願書締め切り当日の下校時間直前に提出したのである。


 ウチの田舎では滑り止めで私立を受験なんて出来るワケもなく、希望校一択の一発勝負だ。


 そして私が受験したのはアイツの希望校より偏差値の高いバリバリの進学校で、担任からは願書を二度見された上で正気を疑われた。


 まぁ、当然だよね。私の偏差値はその高校では合格判定Dだったから。


 でもね、こう言うと性格悪いと言われるけれど、私は狙ってその成績なんだよね。迂闊に成績がヤツより良くなっちゃうと、「勉強教えて」って家に押し掛けられるんだよ……。


 そもそもカンニングとかの不正を働いているワケでもないのに、テストの答案が正解以外は全部空欄で、数学に至っては難しい問題だけ回答して正解している時点で、気付かない教師も大概だと思うけれど。


 もっともそれに気付いた教師は不正を疑って、試験のときに私を最前列にした上で時間いっぱい監視していて、他のアホ達が堂々とカンニングしているのにも気付けなかったな。教えてやったら狼狽うろたえてたし。いい気味だ。


 まぁ、そんなことがあってからは、試験開始後一〇分で答案を書き上げて提出し、後は体育館でバスケットボールやフープと戯れていたなぁ。


 真面目にやれって何回も怒られて、真面目にしているよって言い返したら、生徒指導の教師に親が呼び出されて、不真面目で困ると言われた。


 だけどそのとき、運悪くお父さんが来ちゃったんだ。


 あ、運が悪いのは、その生徒指導の教師をはじめとする学校側が、ね。


 ウチのお父さんってば、相手が子供だろうが大人だろうが「ヤ」が付く危ない人だろうが何処ぞの社長さんだろうが、肩書きや年齢で態度を変えることが一切ない。

 そして良くも悪くも平等だし、物事の善悪にも厳しい、だけど人の話しはちゃんと聞く人だ。


 そんなお父さんが学校に呼び出され、能面みたいに表情を消しているのをどう感じたのか――きっと不出来な我が子に腹を立てているとでも思ったのだろう、その生徒指導の教師は矢鱈と張り切って意気揚々と私が不真面目だと語り出した。


 で、一通り聞いた後でドヤ顔をするその教師を、表情が消えている上に半眼で見下みくだしながら、一つひとつ分析していったんだ。


 ――成績も平均で遅刻欠席も一切ない。

 ――授業も真面目に受けている。

 ――服装も問題ない。

 ――勿論風紀を乱すことなんて一切ない。

 ――登下校でも寄り道なんて一切しない。

 ――宿題や提出物を忘れることもない。


 それらを羅列して、一度だけ溜息を吐いてから、お父さんは底冷えのする声で言ったんだよね。


 これの何処が不真面目だというのか――って。


 更に、余談だがって前置きしてから、生徒指導の教師が自分の同僚の、色々エッチなお色気系お姉さんとなんだかエッチな関係だって教頭に言ってた。その教師、確か妻子持ちだし息子もこの中学にいるんだけど。


 お父さんって実は、交友関係が狭いくせに妙に人脈が広いんだ。だから聞きたくもない情報がかなり入ってくるみたい。


 まぁそんな感じで、理路整然と、更にナイショの関係を暴露された生徒指導教師は、「どのツラげて生徒指導だ」ってトドメを刺されてたよ。


 あれは私でもちょっと怖かった。


 でもその前に、中学生の思春期な我が子の前でなんちゅうことを口走るんだ、とも思ったけど。


 その教師がどうなったか……それはどうでも良いから端折はしょるとして、とにかく願書締め切り間際であったし、私が絶対に変更しないと断固言い張ったもんだから、それはそのまま出願された。

 どうなっても知らないし責任取らないって、担任に捨て台詞みたいなこと言われたけどね。


 そしてその結果、見事に合格してやった。


 まぁ当然の結果だよね。狙って平均点を取っている人が、勉強出来ないわけがないから。

 でもうっかり首席合格しちゃって、新入生代表挨拶をさせられてしまったのはご愛敬だったけど。


 その高校には、二歳上のお姉ちゃんも通っている。お姉ちゃんは彫りが深くて結構整った容姿をしているのだが、視力が悪い所為で目付きが悪い。掛けているメガネも牛乳瓶の底みたいに厚かった。

 だけど、実は天才なんだよね。体力はあるし、力も強い。只、眼が悪くて見えないから、球技は壊滅的に出来ないけれど。


 そんな成績優秀で球技以外のスポーツは卒なくこなす姉を持つと、大抵その下にいる私は比べられて――というのがお約束なのだが、両親はそんな下らないことは一切しなく、逆に受験で根を詰めて私に「無理をしなくても良いんだよ」と言ってくれた。無理してなかったのは、見れば判ると思うんだけど。


 良くも悪くも両親は、子供達に過度な期待をしないし「勉強しろ」とは言わない。

 それも親としてはどうなんだろうと思うのだが、でもそうする理由に「ヤツと一緒の高校は絶対にイヤだ」と言ったら、ものっそい良い顔でサムズアップしていた。ちゃんとそのへんの理由は判っていたらしい。


 挙句、「送り迎えするから塾とか予備校行くか」とか言われたり。


 まぁそんなことをしなくても、身近に優秀な家庭教師お姉様がいるから、無駄金を使うくらいなら大学のために取っておけと異口同音で言われ、両親は若干不貞腐れたようにしていたけど。


 そんな子供に対してはどっちが子供か判らない両親だけど、私は嫌いじゃない。というか好きだ。


 一緒に買い物に行ったり旅行に行ったりするのも楽しいし、自分の下着をお父さんの下着と一緒に洗濯するのも一切抵抗がない。お互いの服は元よりパンツも畳んだりするし。

 それ以前に分ける必要あるのかな。水道代や洗剤だってバカにならないし、なにより時間の無駄だよね。


 ……それはともかく、電車通学の話し。


 基本的に、私は人混みが好きじゃない。


 まぁ好きな人って、まず居ないよね。人混みに紛れて悪さをするとかの特殊性癖を持っているならいざ知らず。


 でも私の「好きじゃない」は、きっと他と違う。


 私の眼には、一般的な人の眼に映る人々の数よりも多く、人が映るから――。


 駅に着いて、駐輪場に自転車を置いて鍵を掛ける。私が置く場所は、決まって最前列の左から二番目。


 理由は、単にいつも絶対にいているから。


 いつもしゃがみ込んでその二番目を見詰めているお兄さんがいるけれど、それは全力で無視。一体なにがしたいんだろうとは思うけど。


 駅の改札を通るのは、いつも何故かいている右端の自動改札機。

 其処に定期入れに入っているSuicaを乗せて、切符切り片手に駅員らしいおじいさんのことも、全力で無視して気付かないフリをして通り過ぎる。


 そして跨線橋こせんきょうを駆け上がり、階段の途中のだけのおばあちゃんや、黄色い線のミニスカートのお姉さんとか、只ひたすら階段を母子も、一切気付かないことにする。


 うっかりその人達と眼を合わせたら、凄く面倒なことになるから。


 具体的には、付いて来ちゃう。


 ……いやこの場合は、憑いて来ちゃうって言った方が正しいのかな。


 とにかく、私はそういうのが面倒臭いから、それら一切に気付かないことに決めたのだ。


 それでも、時々うっかり憑いて来ちゃうのがいるけれど、でもそういう人達はウチには絶対にはいれない。


 ウチのお父さんとお姉ちゃんは、どうやらそういう人達に嫌われる体質らしく、具体的には光? オーラ? まぁとにかくそれが強いらしくて、そういう人達が近付けないらしい。


 正直に言っちゃえば、勉強が出来るとかそういうのより、そっちの方が羨ましいと思う。なにしろ私は、そういう人らホイホイだから。


 そんな見えちゃう私は、他の人達よりもたくさん人が居るように感じるわけだ。見えちゃうわけだし。


 それから、よく怪奇現象の特番やお化け屋敷とかで血だらけの幽霊が出るとか、火傷の痕が残っているのとかがあるけど、あれ、はっきり言ってウソだ。


 そもそもそういう人達は、そうなった原因はどうあれ普通の人達と同じ姿をしているし、格好なんかするわけがない。


 ちょっと考えれば判ると思うけど、身体入れ物が壊れたって中身まで壊れるわけはない。

 それに、常識的に考えてみても、血だらけとか火傷まみれとか、色々はみ出しちゃっている姿でいたいと思う?

 そもそもな話し、そうなった瞬間を覚えている人なんていないよね。元気なときの姿の方が長いだろうし、そもそもなにが楽しくて、そんな姿になったままでいなくちゃならないんだーってなるわけだし。


 悪霊とかならそんな姿だろうって? あのねぇ、悪霊がそんな判り易い姿なんてしてるわけないでしょ。

 常識で考えれば判るだろうけど、詐欺師がそれっぽい格好してる? 逃走中の犯罪者がそれっぽくしてる? そんなわけないでしょ。どちらかといえば、当たり前に皆と同じ格好するよね。


 あとこれは一部にしか通じない笑い話しだけど、お化け屋敷にそういう人達が見学に来てた。

 そして特殊メイクや人形を見て、凄く感心していたよ。


 この話しをして爆笑したっていうのは、ウチのお父さんとお姉ちゃんと弟くんなんだけど。そりゃあもう窒息するくらい笑っていたよ。

 あ、お母さんは笑わなかったな。怖いとかじゃなくて、私と同じだから。


 ……いや、私よりお母さんの方が凄いかも。この前なんて、を舌打ちしながらいたし。


 ある意味で、この夫にしてこの妻ありって夫婦だよね、ウチの両親は。


 で、そんなホイホイな私は、外へ出れば一瞬でホイホイしちゃうワケで。


 まぁ対処方法として、お父さんが常に持ち歩いている200ミリリットルのペットボトルに入れている荒塩を分けて貰っている。

 お父さんがいつも持っていることで、例の「そういう人達に嫌われる成分(?)」が塩に移るらしい。大変重宝しています。ありがとうお父さん。


 こんなことで感謝されてもって、微妙な顔をされるだけなんだけどね。


 だけど、重宝しているのは本当だ。うっかり憑いて来ちゃったとしても、それを一摘み肩とかに振り掛ければ、「ギャー」とか「キャー」とか「タスケテー」とか「オジサンノニホヒ……ハァハァデュフフ」とか言いながら何処かに行って(逝って)くれるから。――最後のはちょっと無かった方向で……。お父さん、臭くないからね!


 そんなこんなでプラットホームに着いて、一斉に私へと目を向ける、の視線を完全無視して電車を待っていると、同じく電車を待っているお姉ちゃんがいた。

 お姉ちゃんは私より一〇分くらい先に出るんだけど、何故か二〇分弱ほど早く着いている。なんでそんなに早いのか訊くと、「淑女のたしなみ」とかイマイチ理解出来ないことを言っちゃうんだよね。お姉ちゃんてば、もう高三なのに中二病なのかな? 嫌いじゃないけど。


 まぁ、気付いていないと思っているみたいだけど、お姉ちゃんは私のためにちょっとだけ露払いしてくれているらしい。

 お姉ちゃんが修学旅行に行ったときに、駅が百鬼夜行状態でちょっと引いちゃったし。

 このときはお父さんの塩が大活躍したんだ。それが見えない人達からは変人みたいに見られたけど……。


 いつものようにプラットホームにいるお姉ちゃんの傍に行くと、いつも通りに横目でちらりと一瞥され、それから溜息を吐かれる。


 そして――お姉さんの全身が、閃光弾フラッシュ・グレネードみたいに光った。

 すると私の後ろから「ウギャー」とか「ギャース」とか「メガ、メガー」とか「ジョシコウセイノピカリニツツマレテタマランハァハァ」とか、やっぱり一般人には聞こえない声がする。勿論その光とか声は、私にしか視えたり聞こえたりしないけど。


 ああ、私に判らないように憑いて来ようとしてたのがいたのね……。お疲れ様。他の人はどうやっても視えないだろうけど。


 でもお姉ちゃんだって視えない筈なんだけど、いつもなんで判るんだろう? とても不思議。

 訊いても「女子高生には秘密がいっぱいなのよ」とかイケメンなドヤ顔をされるだけだし。まぁその仕草は、とても様になっているんだけど。

 いや本当に様になっているし格好良いんだよ。でも、ちょっと学校では止めて欲しいと思う。おかしなファンが付きそうだから。


 あとそれから、カテゴリーとして私もそう女子高生なのを判ってるのかな?


 そのことに関して、いつも通りだから考えないようにしよう。やれやれと肩を竦め、怪訝な表情のお姉ちゃんへ謎のドヤ顔を返し、私はプラットホームに入って来る電車へ目を向けた。


 ――と。


 視界のすみに、ベンチの傍で直立不動な男の人がいるのが判った。


 こう見えて――どう見えるかは謎だけど、とにかく私は案外視野が広い。視力も正確に計ったら裸眼の片目で2.5くらいある。そう、お姉ちゃんに「片目寄越せ」って言われるくらい目が良いし、視界にいる人達のことは、大体の位置は判る。バスケ部の顧問が一番ポイント・ガードをしないかと勧誘に来るくらい。


 だけど、その男の人が其処にいるのに気付いたのは、たった今だ。


 まぁ私が背を向けているときに来たのだろうという可能性もないわけじゃないけど。


 お姉さんに話し掛けるフリをして、其方をうかがうけど、その人はなにをするでもなくその場に立っているだけだった。


 周囲へ眼を遣るでもなく、時間を気にするのでもなく、ましてスマホを見るわけでもなく、只その場にいるだけだった。


 そんな若干挙動不審になっている私を横目で一瞥し、お姉さんは伏見がちに溜息をもう一度吐いて、私の腰に手を回して電車に誘導した。


 なにも言わなくても察してくれるなんて。ああ、なんてイケメンなお姉ちゃんなんだろう――んん? なんかお腹揉まれてる?


「ねぇ、ウエストにお肉付いた?」


 ――お姉ちゃん?

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