第27話 悪役令嬢は出禁をくらうようです


「立ち入り禁止、ですか?」


 アレスティア子爵の話を聞いたアリシアは、さっそく王城へと足を運んだ。

 元公爵令嬢であり、元レイネスの婚約者でもあるアリシアは、これまで幾度も王城を訪れていた。

 当然ながら、門番をしている兵たちもアリシアのことは知っているわけだが、平民となってしまった以上、理由もなく通すわけにもいかない。

 そのことはアリシアも承知していた。

 そこで例に倣って、グストン商会の従業員として入れてもらうことにした。


 このところ、貴族を中心に広まっている、オーブントースターや、コンロといった、厨房で使用する魔道具。

 多くの貴族が使用しているものを、貴族の頂点に君臨している王族が取り入れないはずもない。


 すでに王城の厨房には、グストン商会製の魔道具がいくつも完備されている。

 そして、それらを導入した際には、グストン商会の従業員としてアリシアも立ち会っていた。

 商談を重ねる中で、料理人たちとも良好な関係を築けていると思う。


 今回はその魔道具を使用した感想を聞きたいという名目で入場する作戦だった。

 とっさに思い付いた要件であり、もちろんアポなどとっていないが、ここの料理人たちは料理へのこだわりこそあるものの、それ以外は気さくでいい人たちだ。

 突然の訪問に驚きはするだろうが、門前払いはされないはず。


 王城というものは、入ってさえしてしまえば、案外自由に行動することができる。

 当然ながら、王族の居住区や宝物庫など、限られた者しか入ることが許されない場所も存在するが、それ以外の場所であれば、見張りが付くというようなこともない。

 入城出来た段階で、身元の判明している者だから問題ないという判断なのだろう。


 実のところを言うと、メリアがいるだろう部屋の予想はついている。

 いくら広い王城とはいえ、無限に部屋があるわけではなく、また生活できる部屋というのは限られてくる。

 いくらレイネスとはいえ、王族の居住区に独断で部外者を連れ込む権限はないはずであり、かといって牢屋にメリアを入れているとも考えにくい。

 そうなると、残りの部屋の中で、人が生活できそうなのは、やはり客室であろう。

 客室のある区域は把握している。

 さすがに客室には見回りがいるはずなので、どうにか監視の目をかいくぐるか、素直にメリアの友人として会いに来たと見回りに話せば、存外部屋に案内してくれるかもしれない。

 さすがにメリアを連れ出すことはできないだろうが、少し話をするくらいのことはできるはずだ。


 きっとどうにかなる。

 そう思っていた。


 だが現実は、そううまくはいかなかった。

 門番に立ち入りを禁じられてしまったのだ。


「申し訳ございません。

 レイネス殿下より、いかなる理由であろうとグストン商会のアリシアは王城へ入れるな、とのご命令が出ておりまして」


 門番の言葉に、苦虫を噛み潰したような表情をするアリシア。


(先手を打たれましたか……)


 アリシアを小ばかにしたように笑うレイネスの顔が、ありありと思い浮かぶ。

 さすがに腐っても第一王子だけのことはある。

 どうやら一筋縄ではいかないらしい。


 このまま門番を押し通るなんてことはできるはずもなく、アリシアはひとまずグストン商会へと戻ることにした。


 ◇


「困りましたね……」


 アリシアは仕事机に座りながら頭を抱えていた。

 王城に入ることができなければ、メリアに会うことすらできない。

 このままでは、何が起きているのか全容を把握すらできないまま、レイネスとメリアの結婚が成立してしまう。

 そうなってしまえば、さすがに手出しできない。

 メリア付きのメイドになれるよう、転職を考えるしかなくなってしまう。


 貴族でなくなってしまった以上、アリシアの手元にあるカードは、グストン商会の従業員という身分だけだ。

 だが、そのカードが封じられてしまった。


 ただの平民が理由もなく王城へ入ることなどできない。

 そもそもレイネスから名指しで禁じられてしまった以上、入城する方法などないように思える。


 公爵令嬢として躾けられた魔法をフルに活用すれば、不法に侵入することもできるかもしれないが、それはアリシアの望むところではない。

 アリシアの最終目標はメリアと結ばれることだ。

 メリアとの生活。

 それは国から追われるような、殺伐としたものであってはならない。

 逃避行を選択するのは最後の最後。

 本当に行き詰ってしまった時だけだ。


 とはいえ、何かほかに正攻法で入城する案が思い浮かぶわけでもない。

 いったいどうしたものか。

 もう逃避行を選択するしかないのか。


 早くも己の中の決意がくじけそうになっていた時だった。


「アリシアさん、大丈夫ですか?

 体調が優れないようなら、今日はもうあがってください。

 私のほうから事情は説明しておきますので」


 アリシアが顔を上げると、そこには心配そうな表情でのぞきこむロバートの顔があった。


「あっ、いえ、すみません。

 体調が悪いわけではないんです」


 ロバートに心配をかけてしまった。

 そんなにひどい顔をしていたのだろうか。


 ……このまま一人で考えていても、突破口が見えるとは思えない。

 それならば、ロバートに相談してみるのもありなのではないだろうか。

 もしかしたら、アリシアが思い浮かばなかった方法を考えてくれるかもしれない。


「実は……」


 アリシアはロバートに事情を説明した。

 メリアとレイネスの婚約に疑問を抱いているということ。

 そしてことの真相を確認するために王城へと入りたいということと、しかしレイネスに立ち入りを禁じられているため入ることが難しいということ。


 話を聞いたロバートは少し考えるそぶりをした後、ゆっくりと言葉を紡いだ。


「事情は分かりました。

 ……確認したいことがあるのですが、いいですか?」


「どうぞ、聞いてください。

 私に答えられることなら、なんでも答えます」


 アリシアの瞳を覗き込んだロバートは、そのまっすぐな視線を不安げに揺らした。


「アリシアさんはお二人の婚約に反対なのですか?」


「……そうですね。

 もちろん、本人の気持ちを尊重したいとは思いますが、私個人の意見としては反対ということになります」


「それはなぜです?

 確かに身分差はあるように思いますが、容姿や器量を含めてお二人はお似合いのように思います。

 それなのに、いったいなぜ?」


 真剣な表情で尋ねてくるロバート。

 その顔はどこか余裕がなさそうにみえる。


 どうしてロバートがそこまで食いつくのかわからないが、協力してもらう以上、こちらも腹を割って話すのが礼儀というものだろう。


「私が二人の婚約に反対する理由。

 それは、私が愛しているからです」


 ロバートは大きく目を見開いた。


「愛している!?

 あの方を、ですか?」


「はい」


「……失礼ですが、アリシアさんはあまりいい感情を抱いていないのではないかと思っていました。

 もちろん、アリシアさんはしっかりした方ですから、表面上は平然と振舞っていますが、心の中ではよく思っていないのでは、と」


 確かに、ロバートがそう思うのも無理ない。

 アリシアとメリアの関係は、俗っぽくいえば、レイネスの元婚約者と浮気相手だ。

 普通に考えて、この二人が仲良くなることなどありえないだろう。

 いくら親しくしていたとしても、おそらくロバートの目には奇妙なものにしか映らなかったに違いない。


 実際に「マジラプ」では、アリシアがメリアをいじめていたわけで。

 本来ならこの世界でもそうなるはずだった。


 だが、今のアリシアは、アリシアであってアリシアではない。

 公爵令嬢として育てられてきた人格と、メリアを愛してやまない人格の混在。

 どうしてそんなことが起こったのかはわからない。

 だが、そのおかげで、アリシアとメリアが手を取り合うという、「マジラプ」ではありえなかった出来事が、こうして現実となった。


「ロバートさんがそうおっしゃるのも仕方ありません。

 私たちの関係は歪ですから。

 ですが、それでも私は愛しているのです」


「どうしてそこまでこだわるのですか。

 もう手の届かないところにいってしまったというのに、いったいどうして……」


 ロバートの顔が悲痛に歪む。

 溢れ出る己の感情を、抑え込もうとするように。

 それは、あまりにも痛々しくて。

 気が付いた時には、アリシアの手がロバートの頬に添えられていた。


「手は届きますよ」


「……えっ」


 掌に確かな温もりを感じる。

 作り物ではない、確かな温かさを。

 本来、この手はロバートに届くこともなかった。

 そのはずだった。

 だが今、こうして確かに触れることができる。


「ロバートさんはどうして、もう手が届かないと思うのですか?」


「それは……。

 アリシアさんはもう貴族じゃない。

 私と同じ平民です。

 平民が貴族と結ばれることなどありえない」


「あら、その程度のこと、手が届かない理由にはならないですよ」


「その程度って……。

 アリシアさんだってわかっているでしょう。

 この国において、身分というものがいかに絶対的であり、ゆるぎないものであるかということを」


 むっとしたようにロバートが言う。

 やはり、純粋にこの国で生まれ育った者にとって、身分というものはそれだけ絶対的なものなのだろう。

 だが、アリシアは、そうは思わない。


「そんな大層なものでしょうか。

 そうですね。

 例えば、の話ですが。

 公爵令嬢だった私と、ロバートさんが結ばれることはありえるでしょうか?」


「む、結ばれる!?」


 ロバートが目を見開く。


「そうです。

 公爵令嬢の私と、平民のロバートさんが結婚するのです」


「け、け、結婚!?

 私とアリシアさんが!?」


 動揺しているのか、声が上ずっている。

 そこまで過剰に反応しなくてもいいのに。


 大商会の会長の息子ともなれば、縁談の一つや二つくらいあるだろう。

 結婚というものに対して、まったく免疫がないわけでもあるまい。

 たかが例え話の結婚で、ここまで取り乱すとは。


 ロバートのこういった純情なところが、「マジラプ」において、メリアのハートを射止める要素になりえるのだろう。

 今はあまり接点のないメリアとロバートだが、これから先どうなるかはわからない。

 気を引き締めなければ。


「公爵令嬢と平民の結婚。

 ありえると思いますか?」


「……ありえません。

 あまりにも身分が違いすぎる」


 そう答えるロバートの表情は、どこか諦めの感情が滲んでいた。


「ですが、そんな私もロバートさんのおっしゃる通り、今ではただの平民にすぎません。

 ロバートさんの理屈ならば、逆に言えば、同じ平民なら問題なく結婚できるということでしょう?

 ほら、手が届いた」


「無茶苦茶です!

 貴族から平民になるなんて、そんなこと普通ありえません」


「でもこうして私が、平民としてロバートさんの前にいるわけで。

 決してありえない、不可能なことではありませんよ」


「ですが……」


 なおも食い下がろうとするロバート。

 貴族と平民が結ばれることはないという価値観の下で生きてきたのだ。

 そう簡単に受け入れられるものではないのかもしれない。


「ロバートさんのおっしゃることもわかります。

 身分の壁というものは、確かに高く、越えることのできないもののように感じてしまうでしょう。

 ですが、本当に心から結ばれたいと願うのなら、行儀よく壁を乗り越えようとしてはいけません。

 時には回り込み、時には壊して壁の向こうへと行くのです。

 なりふり構ってなんていられません。

 だって、そうでしょう。

 手を伸ばさなければ、掴めるものも掴めませんよ」


「アリシアさん……」


「……私はこれまで巨大な壁に、この思いを阻まれてきました」


 次元の壁。

 それは常人が努力で乗り越えるには、あまりにも大きな壁だった。

 メリアに対する、溢れ出る愛を抱いていたアリシアでさえ、その壁の向こう側へ行くことはあきらめてしまっていた。

 ディスプレイ越しに愛を囁くことだけで、我慢しようと自分を騙していた。


「ですがある時、偶然にもその壁を超えることができたのです」


 どうして「マジラプ」に酷似したこの世界で、アリシアとして目覚めたのかはわからない。

 だが、そんな疑問はささいなことだった。

 目の前に、愛すべきその人が現れたのだから。


「ですから、今更身分や性別の壁など、私にとってはたいした問題では……」


「ちょっと待ってください!」


「どうかしましたか?」


 アリシアは小首をかしげた。

 なにか気になるところでもあったのだろうか。


「……聞き間違いでしょうか。

 今、性別の壁とおっしゃったような」


「ええ、いいましたよ。

 残念ながら、私もメリアさんと同じ女性に生まれてきてしまいましたから」


「メリア様!?」


 ガタッ、と椅子を鳴らして、身を乗り出すロバート。

 ずっとメリアの話をしていたというのに、どうして今更そこに反応するのだろうか。


「私はメリアさんのことを愛しています。

 たとえ越えられない壁に阻まれようとも、この気持ちを忘れたことはありません」


「……レイネス殿下のことをお慕いしているのでは?」


「私は今も昔もメリアさん一筋ですよ」


 その言葉を聞いたロバートは、脱力したように座りなおした。


「殿下への思いを忘れられずにいるわけではなかったのか……」


 下を向いてぼそぼそとなにやら独り言をつぶやいていたロバートだったが、顔を上げた時には、どこか晴れやかな表情をしていた。


「こほん。

 話は戻りますが、つまりレイネス殿下の命令さえどうにかできればいいというわけですよね」


 心なしか、ロバートの声が弾んでいる気がする。

 なにかいいことでもあったのだろうか。

 同じ空間にいたというのに、まったく気が付かなかった。

 なぜか、少し悔しい気がする。


「簡単に言いますけど、それが一番難しいんですよ……。

 相手はこの国の第一王子。

 その命令を覆せる人なんて……」


「いらっしゃるじゃないですか、うちを贔屓にしてくださっている方が」


「えっ?」


 ロバートの顔は、いたずらを企む子供のように笑っていた。



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