第28話 主人公は変わりたいようです

 王城にある客室の一つ。

 その静かな部屋の中で、メリアは一人、ベッドに横たわりながら自分の置かれている状況について整理していた。


 ことの始まりは、三日前のことだ。

 その日、いつものように学園での講義をすべて終えた時だった。

 レイネスから王城へ招かれたのだ。

 なんでも、王城の料理人が新作の菓子を作ったそうなので、それを振舞ってくれるのだという。


 メリアは迷った。

 新作の菓子には興味がある。

 王城の料理人ということは、ボルグ王国随一の料理人といっても過言ではないだろう。

 そんな人物の、それも新作の菓子が食べられるのだ。

 興味がないわけない。


 だが一方で、レイネスの誘いに乗ることそのものに、躊躇いを覚えていた。


 メリアとて、独り身の男性に遊びに誘われるということの裏にある意味が分からないほど、初心ではない。

 そしてそれ自体が、まやかしであるということも、薄々気が付いている。


 これが、同程度の爵位の家の者からの誘いであったのなら、将来のことを見据えたうえで、ここまで葛藤することもなかっただろう。

 だが、相手は高位貴族どころか、貴族の頂点である王族。

 それも、次期国王候補筆頭である、第一王子だ。

 躊躇うな、というほうが無理だろう。


 以前、アリシアに吐露したことがあったが、メリアにはレイネスと結ばれる、つまり未来の女王になる覚悟などない。

 であるならば、レイネスの誘いを断るべきであるということは分かっているが、そう素直に振舞えないことにも理由がある。


 メリアは生まれながらの貴族ではなく、元々は孤児だった。

 両親の顔は知らない。

 物心ついたころには孤児院にいたし、周りにいる子たちもみんな似たような境遇だったので、己の出自を気にしたこともなかった。


 昔の孤児院での生活は、今の暮らしと比較するまでもなく貧しいものだった。

 領主からの援助や、人々からの寄付金で運営されていた孤児院だったが、安定した生活を送るにはあまりにもお金が足りなかった。


 領主である侯爵が、孤児院への援助を渋っているという話を院長がこぼしたことがある。

 どうにかしたいとは思うものの、何のとりえもないただの孤児だったメリアには、その課題はあまりにも大きすぎた。


 肩身を寄せ合いながら、飢えと戦っていたある日、満面の笑みを浮かべた院長から、孤児院の新たな支援者が現れたという話を聞いた。

 その支援者こそが、アレスティア子爵である。


 アレスティア子爵が支援してくれるようになってからというもの、孤児院の生活は明らかに改善された。

 カビの生えたパンは食卓から消え、塩のスープにごろごろとした具材が追加されるようになった。

 空腹に悩まされずに寝床へ入ることができるようになったのは、このころからだった。


 そんな恩人であるアレスティア子爵は、貴族であるにもかかわらず、定期的に様子をうかがうために、自ら孤児院へと足を運んでいた。

 そしてそんなある日、アレスティア子爵はメリアの中に眠る魔法の才能を見出した。


 それは、メリアが孤児院の裏庭で年下の子たちの面倒を見ていた時だった。

 走り回っていた子のうちの一人が転んでしまい、膝を擦りむいたのだ。

 別に珍しいことではない。

 子供たちの面倒を見ていれば、よくあることだ。


 泣きじゃくるその子に近づいたメリアは、ゆっくりと起こすと、血のにじむ膝に向かって手をかざした。

 すると、温かな光が手からこぼれだし、みるみるうちに傷口を癒していった。

 これがメリアの得意とする癒しの魔法だ。


 メリアがこの力を自覚したのは、ほんの偶然だった。

 いつだったか、同じようにけがをした子の傷口を見たとき、ただなんとなく治せそうな気がしたのだ。

 感覚の命ずるままに手をかざしたところ、本当に傷が治ってしまった。

 そしてそれが魔法の力であるということを、院長に教わった。


 院長を含め周りに魔法を使用できる者がいなかったため、初めはみんな驚いたものだ。

 だが、誰かが傷ついたときにしか使用する機会のない魔法というものは、孤児院で生活するメリアにとって、子供のかすり傷を治すのに使う程度の、ちょっと便利なものでしかなかった。


 だからこそ、たまたま孤児院を訪れていたアレスティア子爵に癒しの魔法を使用しているところを見られたことによって、こんな世界に飛び込むことになるとは思いもしなかった。


 メリアの癒しの魔法を見たアレスティア子爵は、すぐさま院長に掛け合ってメリアを養女としてアレスティア家に迎え入れる提案をした。

 孤児から貴族になる。

 客観的に見れば、この上ない幸運なのだろう。

 一般的な孤児が、大人になることすら叶わずに亡くなってしまうケースは決して少なくない。

 そのことを誰よりも知っている院長は、アレスティア子爵の申し出を快く了承していた。


 だが、当事者であるメリアはあまり乗り気ではなかった。

 慣れ親しんだ孤児院を去ることになるのが寂しかったし、残された年下の子たちの面倒を誰が見るのかという不安もあった。

 だからその旨を伝えて断ろうとしたのだが、アレスティア子爵は好きな時に孤児院に来ることを許可してくれたうえに、孤児院にアレスティア子爵家からメイドを一人世話係として派遣してくれた。


 退路を断たれたメリアは、アレスティア子爵の申し出を受け入れざるをえなかった。

 子供らしく駄々をこねれば何かが変わったのかもしれないが、メリアが養女となることを心から喜んでいる院長を見たら、それもできなかった。

 今にして思えば、このころから流されやすい性格だったのだと思う。


 そしてそれは今でも変わっていない。

 レイネスに誘われるままに王城へとついていき、レイネスと婚約するのだという話を突然聞かされ、訳も分からぬままこうして客室に軟禁されている。

 レイネスの誘いを断った時に、アレスティア子爵に迷惑をかけるかもしれないと考えると、どうすることもできなかった。


 ……いや、違う。

 本当は分かっている。

 他人に気を使っている風に装って、実際は怖いだけだということを。

 自分で何かを決めてしまえば、その責任を取らなければいけなくなる。

 だが、誰かの選択に己を委ねてしまえば、その必要はない。

 何かが起こっても、人のせいにできるから。

 仕方なかったのだと、自分を慰めることができるから。


 自分を守るために、他人に責任を押し付ける。

 結局のところ、自分が可愛くて仕方ないのだ。

 誰かのためを思っているようで、自分のことしか考えていない。

 まっすぐに誰かを思うことなどできない。

 そう思っていた。


 だが、アリシアはそんな自分を愛しているといってくれた。

 いったい自分のどこにそんな魅力があるのか、まったくわからない。

 それでも、あの言葉が嘘ではなく、本心であるということは、痛いほどに伝わってきた。


 アリシアは自分に正直だ。

 自分の気持ちに嘘をつかない。

 同性であるメリアに対して愛を囁くなど、正気の沙汰とは思えない。

 けれど、アリシアはその行為を恥じるわけでもなく、堂々とやってのける。

 誰かの顔色ばかり窺っているメリアには、決してまねできないことだ。


 いつもまっすぐなアリシアの姿は、メリアにとって憧れだ。

 公爵令嬢であるアリシアは、根っからの貴族であるから、権力を盾に自分の主張を通す。

 だから、自分に正直でいられるのだと思っていた。


 しかし、それは大きな間違いだった。

 平民に落ちた後もアリシアは変わらなかった。

 むしろ、貴族というしがらみから解放されたことで、これまでよりのびのびとしている節まである。


 いつか、自分もアリシアのようになれるのだろうか。

 己の気持ちに嘘をつかなくて済むような人間に。


 ふと、アリシアの笑みが脳裏に浮かぶ。


 ……そうじゃないだろう。

 いつかでは駄目だ。

 それでは、これまでの自分となにも変わらないではないか。


 たとえそれが、だれかに迷惑をかけることになったとしても。

 メリアは変わらなくてはならない。

 友人として、あるいはほかの立場だとしても、あのまっすぐなアリシアの隣に立てるように。


 その時だった。


「メリア、話がある」


 扉の向こうからレイネスの声が聞こえた。

 自分が一歩を踏み出すのはここからだ。


 メリアは立ち上がると、ゆっくりと扉を開けた。



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