第23話 悪役令嬢は仕事に精を出すようです

「うーん……!」


 大きく伸びをしてから、ベッドを抜け出す。

 台所へ向かい、桶に張った冷たい水で顔を洗うと、ぼんやりとした意識が覚醒してくる。


 ポストから新聞を回収しに外へ出ると、朝霧に包まれた王都の街並みが目に入る。

 まだ静けさに覆われたその景色は、幻想的で、少しばかり寂しい。

 アリシアは、肌寒さに思わず腕をさすった。


 家の中に入ると、魔道ケトルに水を汲み、魔力を流す。

 それと並行して、スライスしたパンをオーブントースターへと入れる。


 トーストが出来上がるまで、魔道コンロの火にフライパンをかけ、ベーコンと卵を焼いていく。

 出来上がったものをお皿に移し、小麦色のトーストを取り出して、たっぷりのジャムを載せる。

 最後に沸かしたお湯で紅茶を入れれば、簡単な朝食の完成だ。


 芳ばしい香りを楽しみながら、トーストを口に運ぶ。

 すると、サクッとした歯ごたえとともに、ジャムの甘みが口いっぱいに広がった。

 湯気の立ち上る紅茶を流し込めば、口内に残る余分な甘さがリセットされ、改めてトーストの味を楽しむことができる。

 シンプルながらも、おいしい朝食で体の芯から温まると、ささやかな幸福感に包まれるようだ。


 カップを置くと、今朝届いたばかりの新聞に目を通す。

 貴族社会を離れた身ではあるが、やはり国の情勢は気になる。

 メリアとの幸せな暮らしを迎える前に、知らないところで戦争を始められでもしたらたまったものではない。

 情報は力であり、命だ。

 事前に対策さえできれば、どんな困難であろうと乗り越えることができるはずだ。


 朝食が終わると食器を片付け、手早くグストン商会の制服へと着替える。

 公爵令嬢だった頃はメイドに梳かしてもらっていた髪も、今では自分でセットできるようになっていた。


「いってきます!」


 誰もいない家にそう告げると、アリシアは職場へと向かった。


 アリシアが普段働いているのは、商品開発部門の中にある、魔道具開発課である。

 魔道具開発課では、これまで兵器としてしか使用されてこなかった魔道具の新たな使い道を考え、日常品として魔道具を開発している。

 アリシアを雇うに当たって、新しく設立された魔道具開発課。

 わざわざ新しく立ち上げたのだ。

 グストン商会としても、魔道具の新たな可能性に、思うところがあったのだろう。

 雇ってもらった以上、アリシアとしても期待には応えたいと思う。


「おはようございます、皆さん」


「アリシアさん!

 おはようございます」


 同僚に挨拶をし、自分の席へとつく。

 アリシアの仕事は主に二つ。

 一つは新しい魔道具の発案と開発。

 そしてもう一つは、新商品の売込みだ。


 グストン商会で新商品の売込みを行うのは、基本的に営業課の職員である。

 しかしながら、新たな魔道具という、これまでの商品に無い専門性、そしてアリシア本人の強い希望により、魔道具の新商品に限り、一部営業を任されているのである。


 もちろん、魔道具の営業を希望したのは、学園へ赴き、メリアに会うためだ。

 最近では、休日に予定を合わせてメリアと会う日もあるが、それでも毎日会っていた学園の生徒であった頃に比べると、頻度は落ちてしまう。


 一分、一秒でも長くメリアとの時間を過ごすためならば、自然と仕事にも力が入るというものだ。


 アリシアの家にある魔道ケトルや、魔道コンロも新しく開発した魔道具である。

 やけに炊事関係の魔道具が多い気がするが、これには訳がある。

 せっかく魔道具を開発しても、学園に需要のないものでは意味がない。

 そうなると、オーブントースターという実績のある、調理場で活用できる魔道具開発がはかどるのだ。

 学園側としても、オーブントースターの有用性は認めているようで、その開発元であるグストン商会の新商品ならば、と快く営業を受け入れてくれている。


 学園の調理場の設備が、グストン商会の魔道具で埋まる日もそう遠くなさそうだ。


 ◇


「お疲れ様」


「ロバートさん!

 お帰りなさい」


 日が暮れ、就業時間が迫るころになると、いつものようにロバートがやってきた。

 ロバートは学園の終わるこの時間になると、毎日欠かすことなく魔道具開発課に顔を出していた。


「帰り道で綺麗な花が売っているのを見かけてね。

 よかったら飾って」


「まあ!

 ありがとうございます!」


 アリシアは丁寧に包装された花束をそっと受け取る。


(さすが、グストン商会の跡取り。

 職員思いのいい商会長になるのでしょうね)


 などと暢気なことを考えているのはアリシアだけであり、他の職員はというと、空気を読んでそっと二人から離れるのが日常だ。

 商会長の息子が毎日顔を出すなど、普通ではない。

 それも度々手土産を持参して、だ。

 アリシアに会いに来ているのは、誰の目から見ても明らかだった。


 職員の間では、二人は既に婚約しているのだと専らの噂だが、そんな噂があることなどアリシアは知らない。

 皆が二人だけの空間を作るために、ロバートが来る度に席を立つことに対しても、「商会長の息子相手に緊張しているのね」、くらいにしか思っていない。


 メリアしか瞳に映っていないアリシアが、ロバートの健気なアプローチになど気が付くはずもなかった。


 ◇


「ただいま」


 誰もいない家の中に、静かに声が響く。

 帰宅したアリシアは、帰りがけに買った屋台のもので簡単に夕食を済ませると、シャワーを浴び、早々にベッドへと入った。


 そして、今後のことに思考を巡らせる。


 今の生活には満足している。

 暮らしに不自由はないし、職場の人は皆優しい。


 だが、足りない。

 今の生活には、圧倒的にメリアが足りない。


 いつの日か、メリアに「いってらっしゃい」といってもらえるように。

「お帰りなさい」といってもらえるように。


 そんな未来をつかみ取るために、明日も頑張ろう。


 その決意は、まどろみの中へと溶けていった。



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