【第44話】手をつないで! 私の小さな魔王さま!
「ほら見てリューンっ、あれがロールシュタット。私の生まれた町だよ」
数日後、ベルクール領を抜けて、私たちはようやく故郷の町に辿り着いた。
西にそびえる山々が、朝日に照らされて鮮やかな緑を映し出している。
何年振りかな。
朝、ベッドから起き出して、西の窓を開けてこの景色を眺めるのが好きだった。
その山の裾野に、青い屋根と白い壁の家が群がり、山の緑とのコントラストを作り出す。
煙突からの煙が上がっていないのは、みんなもう、朝の支度を終えて仕事に向かったからかな?
「綺麗で、いい所だね」
リューンが、その景色を眺めて目を細める。
「うん……」
こんな形で帰ってくるとは、思わなかったけど……。
「町に……入れるかな……」
リューンはなんとか考えてくれるって言ってくれたけど……。
「あんまり長い時間は無理だけど、姿見の魔法で顔を変える事はできるよ。まあ、僕のイメージになるけど、いい?」
「姿見!? それも闇魔法? うん、いいよっ。何でも!!」
釣り針の餌に飛びつく魚みたい。これじゃあっさり釣られちゃうよね。
だからジークたちにも騙されたっていうのに……。
もっとちゃんと考えなきゃダメよね。
「じゃあ、魔法を掛けるよ?」
「はぁい!」
や、ホントチョロいな私……。
旅をするにはどうかと思うけど、リューンがかわいいって言ってくれたから、途中の街でついつい買ってしまった。
その時一緒に買った手鏡を取り出して覗いてみる。
「わぁ……」
すっごい美人さんが映ってた。
星を散らしたようにきらきらと輝く金の髪。湖のように深い緑の瞳。すらりとした鼻筋に、小ぶりな唇。
間違いなく、私が見た中で、一番の美人さんだ。
えっと、リューンのイメージって言ったよね。
それって、リューンの身近だった人?
あ、そうか……あのペアカップの……。
とくんっと心臓が跳ねて、ちょっとだけ胸が締め付けられた。
「ありがとう、リューン。これでお父さんとお母さんに会えるよ」
「うん、どういたしまして。でも名前は不味いよね」
たしかにリューンの言う通り。私はもちろん、リューンも本当の弟の名前だからね。
リューンの案で、私が『ジェンティル』、リューンが『オルフェ』と名乗る事にした。「何か意味があるの?」と聞いたけどリューンは「ないしょ」って答えてくれなかった。ま、いっか。
大きな町ではないけど、ロールシュタットは国境の街っていう事で、そこそこ行き交う人も馬車も多い。といっても流通の中心は、ここから南に行ったヴェルエンだから、ここは山岳地帯で採れる物資を運ぶための専用路になっている。
「懐かしいなぁ……あんまり変わってないや……」
街並みは、私がこの町を出た頃とほとんど変わっていない。
建物の壁が多少煤けたように見えるだけだ。
道行く人たちも、あんまり私たちに目を止めたりしない。
それにどうやら、今回の事件は教会の不祥事って事で、あんまり喧伝はされてないみたい。
「これからすぐ、会いに行く?」
「うん……そうする。少し、付き合ってね」
両親はこの街で雑貨屋を営んでいるから、今の時間なら二人とも店にいるはず。
私は友達って事にして、少しだけ事情を話して、預かりものって言ってお金を渡す。
もし、お父さんたちが、私のせいでこの町にいられなくなっても、生活して行けるように。
東西を貫く本通りを右に折れて、街の北側へ。
やがて、こじんまりとした雑貨屋が見えてくる。
店の前で掃き掃除をしてるのは……。
「お母さ……ん」
少し痩せたのかな。でもお母さんは昔と変わらない、キビキビとした動きで箒を動かしている。
懐かしさと、安心感で涙が溢れそうになるのを、なんとか堪える。
「あの……こんにちは」
意を決して、私はお母さんに声を掛けた。
「はい? あら、どなたかしら?」
「私、パーミットの友人でジェンティルと言います。エクレンシアさん、ですよね?」
お母さんの顔色が変わった。
もう知ってるんだ。
「そうですけど……娘の友達が、何か?」
お母さんは完全に疑った顔をして、私から目を逸らした。
野次馬か何かだと思っているんだろう。
「パムから、ご両親に届けてくれと預かった物があって……少しの時間でいいんです、中でお話できませんか?」
お母さんと、こんなによそよそしく話すなんて、ちょっと寂しいな。
「……分かりました、中へどうぞ」
お母さんは暫く考えた後、私を店の中へ通してくれた。
「いらっしゃい。おやおや、随分と美人さんじゃないか。そちらは、弟さん?」
懐かしいお父さんの声。
相変わらず、商売上手な喋り方。
「はい、私はジェンティル、こっちは弟のオルフェです。初めまして」
「これは、ご丁寧に、こちらこそ初めまして。で、どうもただのお客ってわけじゃなさそうだけど?」
お母さんが私を通り越して、お父さんに耳打ちする。
「……そうか……パムの……」
お父さんは眉をひそめて、私を値踏みするように眺めてから、店の奥の部屋へ案内してくれた。
「どうやら、娘が迷惑を掛けたようだね。すまなかった」
お父さんはいきなりそう言って頭を下げた。
「迷惑なんてそんなっ! わ、私たち、親友だったんですっ! だから、頼まれた事をするくらい、何でもありません」
「親友……」
「はいっ」
顔を上げたお父さんは、にっこりと微笑んだ。
「君のような義理堅い友人がいたとは、娘もさぞや幸せだっただろうな……」
ホントは嘘。私にそんな友達はいなかった。そう思ってた人はみんな裏切った。
「それで、預かり物というのは? 実を言うと、娘の遺品は何一つ帰ってこなかったんだ……もちろん、遺体も……。この際、娘が捨てた塵でもありがたい……」
そっか、部屋の荷物は全部持ってきちゃったし、処刑された人の遺体は罪人墓地に纏めて捨てられる。
まあ、荷物は残ってたとしても、処分されただろうけど。
私は自分のマジックボックスから、一袋の金貨と、二枚のモーリアス金貨を取り出した。
「これ、パムがダンジョンの攻略で手に入れた物です」
これだけあれば、一生暮らしていける。
「……そう、ですか……いえ、わざわざありがとう」
お父さんもお母さんも、あからさまにがっかりしてる。
「あのっ、も、もう一つ……」
私はリューンに頼んで、本を一冊取り出してもらった。
表紙も変色して、所々すり切れた古い本。
何度も何度も読み返したせいで、手垢で茶色くなってる。
「こ、これ、は……」
私が差し出すと、お父さんは震える手で受け取った。
「パムが……一番大事にしていた本です」
「そうかこれを……まだ持っていたんだ……ほら、フィアナ……」
「ああ、本当に……」
それは、私の8歳の誕生日に両親が買ってくれた薬草の本。
弟が死んだのがショックだった私は、薬草の勉強がしたくてねだりにねだった。
「ありがとう……」
お父さんとお母さんは、その古びた本を、まるで生まれたばかりの赤ん坊を抱くように、お互いの両手でそっと優しく包んだ。
お父さんの背中が震えている。
お母さんはぽろぽろと涙を零している。
ああ、やっぱり私、愛されてたんだ。
私は涙をぐっと堪える。
泣いちゃだめっ。
「では、もう行きますね……」
「あ、ああ、そうかい。すまないね、たいしたお構いもできなくて」
「いえ……」
ゆっくり踵を返して、店を出ようとした私たちを、お父さんの声が止めた。
「ジェンティルさん。君は娘の親友だったと言ったね?」
「あ、はい……」
「……そうかい、ならいいんだ。いや、娘とは頻繁に手紙のやり取りをしていたんだが、一度も君の名を書いてきたことがなかったものでね」
しまった……。
「あ、そ、それは、そのっ。私が、あまり書かないでってお願いしたからっ、だからっ」
「……そうかい、うん、そうなんだろうね」
お父さんは何とか納得してくれた。くれたかな?
不審者とか思われたかな?
「そ、それでは、これで失礼します」
「ああそうだジェンティルさん。一つだけ、お願いしてもいいかな」
「は、はいっ。私にできる事でしたらっ」
お父さんは目を閉じて暫く俯いたあと、ゆっくりと目を開けて顔を上げる。
「もしも……もしも、娘の眠る場所に参る事があったら……」
「……はい」
それから、笑った。
「こう伝えてくれませんか……『いつでも帰っておいで』……と」
それは、私が旅立ったあの日、お父さんが掛けてくれた笑顔と言葉。
「は、はい……きっと……きっと……」
お父さんとお母さんの笑顔が、滲んでよく見えない。
私はリューンの手を引いて、店から飛び出した。
お父さんたちは、まだ私を信じてくれてる!
まだ、私を愛してくれてる!!
嬉しい! 嬉しい! 嬉しいっ!!
通り過ぎる街並みにも景色にも目をやる事もせず、リューンの手を引いたまま、私は町の西側の丘まで駆けた。
町を見下ろす丘に生える一本の樹。
十年前、私が植えた名前も知らない樹。
十年前に私と同じ背丈だった樹は、今も私と同じ背丈。
今度ここに来る時は、きっと私の背を追い越しているだろうな。
樹の横には小さな墓標。
この下に、2歳の弟が、あの日のまま眠っている。
「よくね、弟を連れてここで遊んだの。ここなら、町が見えるし、寂しくないかなぁって……」
「そうだね……」
「私、もう泣かないよ。自分の事では、泣かないって決めたの!」
「うん」
でも……。
一粒、涙が零れた。
「だから今だけ……今だけは……許して……」
「うん」
真上近くに上った日の光が、零れた涙を受け止めるように影を作り、優しく受け止めて吸い込んでゆく。
リューンは私の隣に立って、身じろぎもせずに空を見つめている。
ありがとう、リューン……。今は言葉は欲しくない。
いっぱい泣いた。
いっぱい泣いて、少し心が軽くなった。
これで、前に進んで行ける。
涙を拭って、眼下に広がる町を見下ろす。
ここは始まりの町。
そして旅立ちの町。
「私は……逃げるんじゃない……きっといつか帰ってくる」
「そうだな、きっと帰ってこよう。お前の名前を取り戻す為に」
「うん!」
西へそびえる山岳地帯を越えて、まだ見ぬ土地を目指す。
心の地図は、これから描き足していく。いつかここに帰るために。
私は負けない。もう何があっても。
私は一人じゃない。
そう、一人じゃない。
「リューンっ。手をつないで! 私の小さな魔王様!」
手をつないで!私の小さな魔王さま! 水辺野かわせみ @kawasemi-mizubeno
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