【第35話】心

「やっぱり、まだ公にはされてないみたいだね、お姉ちゃんの事」


 教会の大聖堂を抜けて、執務室のある奥の建物に続く渡り廊下で、リューンは慎重に辺りを警戒しながら言った。


「うん……」


 執務棟の入り口でも、警護の衛僧兵の人に名前を告げたら普通に通してくれた。


 途中で何人か神官ともすれ違ったけど、誰も私に気に留めず、会釈を交わしただけだった。


 私たちにとっては都合が良かったけど、こう何もないのは逆に不気味。


「ここからだよ。そのアルマン司教って、本当に信用できるの?」


 もう何回目だろう、リューンがアルマン司教について尋ねるのは。


「大丈夫。アルマン様は公正なお方だから」


 そしてその度に、私も同じ事を答える。


「それにしても、随分豪華な造りの建物だね……」


「え? そう? 普通だよ」


 リューンは壁や天井を見渡してあからさまに眉をひそめたけど、教会の創りはどこも同じようなものだと思う。


「秩序の女神『ユウェンティール』は、いつからこんなに贅沢を好むようになったのかな?」


「そんなに、贅沢かな? 昔はこうじゃなかったの?」


 教義自体は千年前と変わらない。


 でも、言われてみれば、教会は王宮と似たような造りになってる。


 床の大理石はピカピカに磨いてあるし、壁は壮大な壁画やトレサリーで華やかに装飾されている。


 大きなバラ窓なんかは、たしかに豪華だ。


 考えてもみなかったけど、これってかなりお金掛かってるよね……。


「昔はそれこそどこの馬小屋かと思うくらい質素で、清潔だけどけっして華やかではなかったよ? まあ、千年も経てば、女神も変わるんだろうね」


 リューンはまるで皮肉のように笑った。


「それは……」


 リューンの言い方にはちょっとムッとしたけど、リューンは初代魔王。


 勇者と聖女に祝福を与える女神ユウェンティールは、はっきり言って敵だものね。そういう言い方になっても、仕方ないか。


 ……もし、私が聖女になっていたら……。


 そして、今とは違う形でリューンが復活していたら。


 私たちは手を取る事なく、剣を向け合っていたのかもしれない。


 世界に破壊と混沌をもたらす者。


 神に背く絶対悪。


 それが魔王という存在だって、ずっとそう教わってきたし、私もそれを信じていた。


 でも……。


「それとも、変わったのは人の心、かな?」


「……ごめんね……私には、分からない……」


 分かっているのは、私はリューンと契約して、魂を共有してるっていう事だけ。


 でも、今はそれで十分な気がする。


「答えはきっと、この先にあるよ」


 立ち止まった扉の前で、リューンは中を見据えるように指差した。


 アルマン司教の名前の彫られたプレートが付けられた扉を、こんこんっと二回ノックする。


「どうぞ」


 中から、少し鼻にかかった低い声が聞こえた。


「はい、失礼いたします。アルマン司教」


 ドアを開けて中に入ると、アルマン司教は驚いた顔で執務机の椅子から立ち上がった。


「君はっ……生きていたのか!?」


 アルマン司教のその言葉で、リューンは咄嗟に私の前に出て、腰のエミュレーンに手を掛ける。


「早く扉を閉めなさいっ」


 ほんの数秒、アルマン司教と睨みあったリューンは、ふっと目を逸らして後に下がり、ゆっくりと扉を閉めた。


「……まったく、とんでもない殺気を放つ少年だな。いったい何者かね? いや、それより今はエクレンシア、君の事だな」


 アルマン司教に勧められて、応接用のソファーに腰掛けたけど、リューンは脇に立ったまま座ろうとはしなかった。


 一言も喋らないのは、随分警戒しているからだと思う。


「なぜ戻った……」


「えぇ?」


 アルマン司教の第一声に、ちょっと意表を突かれて声が裏返る。


「生きていたのなら、なぜそのまま逃げなかった……」


 あ、そうか……。


「……では、知っていらっしゃるんですね……」


「ああ。全員ではないが、私を含めて司教以上の何人かには通達があった」


 アルマン司教は、眉間に皺を寄せて俯いた。


「アルマン様っ、私はっ……」


「分かっている。君をここまで指導したのは私だ。君にそんな大それたことができる筈がない……とにかく、詳しい事情を聞こう」


 脇に立つリューンに目をやったら、こくんっと頷いてようやくエミュレーンから手を離した。


 ◇◇◇◇◇


 それから。


 私の知ってる事と見た事、それからグラシアス遺跡のダンジョンでのジークたちの所業を、できるだけ詳しく説明した。


 もちろん、リューンの事は伏せておいた。


 初代魔王です、なんて本当の事を話したら、国がひっくり返るぐらいの大騒動になるのは確実だし。


 ただ、両親とはぐれた子供を保護した、とだけ告げた。


 アルマン司教は難しい顔で首を捻っていたけど、とりあえずそれ以上追及はしないでくれた。


「死んだ人間からスキルを奪う……ベレントにそんな能力が……だがそれなら、ベレントがここ最近で急激に頭角を現してきたのも頷ける」


「亡くなった直後の僅かな時間だけ、と言っているのを聞きました」


 そのためには、その人の死に立ち会う必要がある。


 たとえ他の誰かが、仮に私が殺したとしても、ジークはその場にいた事になる。


 それに、相手は勇者候補の実力者だ。


 同じく勇者候補のジークと、闘う術のない聖女見習いの私と。現実的に考えれば、どちらが手を下したのかの判断は、そう難しくはないと思う。


「それを、証明する事ができれば……」


「信じて……いただけるのですか?」


 アルマン司教は、私の目をじっと見つめた。


「正直、君の顔を見るまでは、私も疑っていたと思う。だがこうして直接君の顔を見て確信した……」


 そこで一旦言葉を切った司教は、いきなり深々と頭を下げた。


「疑ってすまない。私は大きな過ちを犯すところだった。私は誓う、君の無実を証明する事を」


「あ、頭を上げてくださいっ。私はっ、そ、そう言っていただけるだけで十分ですっ」


 慌ててしまったっ。


 だって、司教ともあろうお方が、たかが聖女見習いの私に、頭をさげて許しを請うなんてっ。


 顔を上げたアルマン司教は、にっこりと微笑んだ後、急に真顔になった。


「とにかく、ここにいるのは不味い。その少年と一緒に、当分の間はどこかに身を隠しておいた方がいいだろう……」


 絶対に見つからない場所なら、一つだけ思い当たる場所があるけど、あそこに戻るのは……。


 リューンを見つめたら、黙って首を横に振った。


 まあ、そうだよね。


 その時。


 ドンドン、っと激しいノックの音が響いて、こちらの返事も聞かず、乱暴に扉が開かれた。


「やはり報告は本当だったか! パーミット・エクレンシア。お前を勇者候補殺害の罪で捕縛する!」


「フェリクス大司教!?」


 数人の衛僧兵を連れた、でっぷりと太った金髪の大司教。


 それは私にとって、けっして希望の使者ではなかった。




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