【第34話】乙女の決断

 お茶を飲みながら、薬草についてちょっと話したあと、着替えを済ませて、聖教会へ赴く準備をする。


 服は聖女見習いの正式な白の法衣。


 私服で一般の人に混じって忍び込むより、この方が疑われずに教会の奥まで入れると思う。


 って、いうのはもちろんリューンのアドバイスなんだけどね。


「お姉ちゃんがダンジョンの最下層に落ちて、今日は二日目でしょ。まだたいした対策は取られていないと思う。それに、聖女見習いが勇者候補殺しなんて不名誉な事件、大々的に公表はしないんじゃないかな? 少なくとも、お姉ちゃんがもう死んでるっていう前提なら」


「じゃあ、生きてるのが分かったら……」


 リューンは目を閉じて首を振った。


 どうなるのか、予測はできないって事、だよね。


「本当に行くの?」


 じっと見つめてそう尋ねるリューンの顔には、何の感情も映ってないように見えるけど、きっと冷静なんかじゃない。


「もう……その事は話したよね……」


「そうだね……ごめん……でも、もしお姉ちゃんに何かあったら、僕はどんな事をしてもお姉ちゃんを助ける」


 リューンの目が怖いくらいに静かな光を放つ。


「忘れないで、僕は魔王だ。お姉ちゃんの命以外、ゴミ屑程度にしか思ってない。年寄だろうと女だろうと子どもだろうと、お姉ちゃんを救う為なら、何千人でも何万人でも殺すよ」


 リューンの言葉と同時に、まるで全身が凍り付くような、異様な感覚に襲われる。


 これは、殺気?


 心臓が締め付けられて息が吸えない。


 膝ががくがくと震えて、立っているのも難しい。


 動こうとするけど、身体か硬直してぴくりとも動けない。


 激しい眩暈がして、ぐるぐると世界が回る。


 これは、本気だ。


「……リューン……その目……やだ……怖いよ」


 涙が溢れて止まらない。


 やっとの思いでそれだけは声にできたけど、舌が痺れてあとの言葉も出てこない。


「ごっ、ごめんなさいっ!! お姉ちゃんっ、大丈夫!? 僕、そ、そんなつもりじゃないんだ!!」


 意識が遠のきかけて膝から崩れ落ちた私を、リューンはふわりと受け止めて抱きしめてくれた。


「お姉ちゃんを怖がらせる気はなかったんだっ! ごめんね、ごめんねっ」


「殺さないで……誰も殺さないで……」


 身体の感覚もない。現実感もない。


 霧に浮かんでるような感覚の中で、うわごとのように繰り返す。


「分かったっ、約束するからっ! だから、許して!! もうそんな顔しないで!!!」


 必死に謝るリューンの顔は、さっきと全然違って凄く悲しそうで、その顔を見てたらだんだん意識もはっきりしてきた。


 私、そんな酷い顔してたのかな?


「誰も……誰も、殺さない、から……だから、僕を、嫌わない、で……お願い、お姉ちゃん……」


 途切れ途切れで掠れるリューンの言葉は、ひたすらに縋りつく本当の子どものように弱々しくて、私の心から瞬くうちに恐怖が去り、庇護欲に塗り替えられてゆく。


「リューン……」


 こんなに動揺したリューンは初めて見た。


 冷静だと思っていたけど、そうじゃなくて感情を表に出さないだけなんだ。


 本当は、抑えきれないぐらいの激情が眠っているのかもしれない。


 きっと、何かとても悲しい事があったんだろうな。


「嫌わないよ……絶対、嫌わないから。だから、一番いい方法、考えよ?」


 リューンは小刻みに震えながら、何度も何度も頷いた。


 ◇◇◇◇◇


 二人とも落ち着くまでに、しばらくかかった。


「リューンはどうする? 一緒に来る? それとも別行動にする?」


 リューンは腕を組んで、ちょっとの間考える素振りを見せた。


「一緒に行くよ。その方がたぶん状況を把握し易いと思う。それに、傍にいればすぐ行動に移せるし」


「せ、戦闘は……ダメだよっ?」


 ちょっと不安になってそう言ったけど、リューンは優しい笑顔でこくんっと頷いた。


「約束するよ、戦闘はしないし、誰も絶対殺さない。お姉ちゃんと逃げるだけなら、方法はあるから心配しないで」


「まってリューンっ。私は……」


 続けようとしたら、リューンがすっと指を立てて私に向かって伸ばした。


「分かってるよ、無実を証明するんでしょ? でもね、それはかなり難しいと思う。だから僕は、誰も傷つけずに、お姉ちゃんを逃がす方法を考える」


 リューンの言う事は分かるけど、素直に納得はできないの。


 私、甘すぎるのかな……。


「お姉ちゃん、大事なのは生き残る事だよ。生きて、そして諦めない事。絶対にチャンスは来るから、今は考えられるだけ、やれるだけの最善を尽くそう。ね?」


 ああっ来たぁっ、天使の笑顔っっ。


 ずるい、それ今ズルいっ!


「うん……そうだね」


 あれ? 頭では納得できないのに、心ですっかり納得しちゃってるっ?


 チョロい。チョロいぞ私ぃっ。


 まてまて、ちょっと落ち着こう。


 リューンの言ってる事は、たぶん理にかなってる。


 無実を証明する事ができなければ、どう考えても死刑は免れないだろうな。


 それじゃあ、ダンジョンを必死に生き残った意味、ないよね。


 それに……死にたくはないよ。


「……そうだね……最悪、逃げる事、考えよう……」


 お父さん、お母さん、ごめんね。




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