【第32話】抱き枕、腕枕

「いや、何じゃないよ? 何で床で寝るの?」


 リューンは身体を起こして、キョトンとした顔で不思議そうに首を捻ってる。


「僕は床で寝るって言ったよね? 添い寝はしないって……」


「え、まってリューン」


 さも当然、みたいな言い方だけど、あのあとちゃんと話したよね。


 床で寝ちゃダメだって言ったら、リューンも納得してくれた筈だよね。


「子供でいいって言ったじゃない」


「それはそれ、これはこれだよ。それに一緒に寝るとは言ってないし」


 リューンは大袈裟な仕草で肩を竦めて首を振った。


 たしかに……言われてみれば、なんか、そうだったかも。


 でもでも、それとこれとは話が別っ。絶対、別!


「リューンだって疲れてるでしょ。ちゃんとベッドで寝ないと」


「僕は大丈夫。昨夜も床で寝たし」


 うん、それはそうなんだけど。


「でも、それってダンジョンだったわけだし、他に寝る所もなかったから仕方ないけど、ここは宿だよ?」


 リューンは目を細めてにっこりと微笑んだ。


「うん、だからお姉ちゃんはしっかりベッドで寝て。じゃあお休みお姉ちゃん」


 一方的にそう言うと、リューンはこちらに背を向けて床に敷いた上着に寝転んだ。


 もうこれ以上話しは聞きません。


 何となくだけど、リューンの背中がそう言ってるように見える。


「……リューン……」


 私、ちょっと怒ったかも。


 なんでそんなに頑固なんだろ。


 もうっ、こうなったら……。


「うん、分かった」


 ベッドから降りて、椅子の背もたれに掛けたメイド服を手に取る。


 リューンは私の方を見ないから、かまわずその隣にメイド服を広げる。


「じゃあお休みなさい、リューン」


 服の上に横になって、リューンに背中を向けた。


「ちょっと、お姉ちゃん何してるの!?」


 リューンの声がちょっと焦ってるみたいだけど、返事はしてあげない。


「何でお姉ちゃんが床で寝るの!?」


 リューンは起き上がって私の肩に手をかける。


「だって、リューンだけ床に寝かせられないもの」


「ちょっ、だ、ダメだよそんなっ」


「ダメじゃないよ。リューンが床で寝るなら、私も床で寝るのっ」


 もう決めたからね。梃子でも動かないからねっ。


「風邪ひくよ……」


「リューンもね」


「主であるお姉ちゃんと、同衾はできない……」


「関係ないよ、主とか従者とかそんなの」


リューンは戸惑ってるのか、暫くの間があった。


「頑固、だね……」


 背中で大きな溜息が聞こえた。


「リューンだって……」


 そこはお互い様だよ。私だって譲れないものは譲れないんだからっ。


「……命令すれば、簡単でしょ……」


「したくないよ……命令なんか……」


 契約があっても、魂を共有してても、私の命令なんかで動いてほしくないな……。


 ああ、でも。命令したね。


「……弟に……なってくれるんでしょ……」


「……うん、そうだったね……」


 背後でリューンが立ち上がる気配がした。


 それから……。


「ひゃあっ!?」


 思わず変な声が漏れちゃった。


 だって、いきなり、何の前触れもなくっ、お姫様抱っこされちゃったんだよ!


「仕方ないね、


 ぽふんっと、優しくベッドに落とされて、広げた毛布を掛けられる。


 それからリューンは、床に広げた二人の服を拾い上げ、埃を払って椅子の背もたれに掛けた。


 そのあたりはけっこう几帳面な魔王様。


 毛布を首元まで引き寄せながら横目で見てたら、リューンは私の方に顔を向けず、ベッドの端に腰掛けて少しだけ戸惑った様子で、ころんっと横になった。


「もうちょっとこっちにおいで。毛布一枚しかないし、そんなに端っこじゃ落っこちちゃうよ……」


「……」


 背中はこちらに向けたままだけど、今度は素直に少しだけ間を詰める。


「じゃあ、今度こそお休み。お姉ちゃん」


「うん、お休みリューン」


 ベッドで寝るのも千年ぶりだよね? いい夢見られるといいね。


 明日の事は、明日目が覚めてから考えよう。


 そう思いつつ、すぐに夢の中に落ちていった。


◇◇◇◇◇


「ん……」


 窓から差し込んでくる日の光が、閉じた瞼を優しく刺激する。


 小鳥の囀りが、もう起きる時間だよと告げているみたい。


 でもまだ起きたくないなぁ。


 何だろう、この心地よい温もりに包まれてるような安心感。


 ん?


 包まれてる?


 じゃなくて、包んでるよねこれ?


「温かくっていい気持ち……」


 思わず声が漏れてしまうくらいの幸福感。


 ああ、ずっとこうしていたい……。


「お、お姉……ちゃん……」


 胸元で何かかわいい声がする。


 あれ? 胸元?


「リューン……!?」


 目を開けたら、がっしりとリューンをホールドしてました。


 って、いつの間に!?


 私っ、無意識のうちにリューンを抱き枕にしてたっ!?


「お姉ちゃん……起きたなら、放して……」


「え? あっ、ご、ごめんなさいっっ」


 手を離したら、リューンはがばっと起き上がった。


 そんなぁ、もうちょっと余韻にぃ。


 幸せな時間はあっという間に終わりを告げました。


「あの、リューン……私、いつから、そのぅ……」


 顔を背けるリューンに恐る恐る聞いてみる。


「寝息が聞こえてきてすぐ、だよ……」


 まって、それって一晩中って事だよね!?


 リューンの温もりに引き寄せられたの!?


 明かりに寄ってくる虫か私はっ……。


「ご、ごめんね……。もしかして、眠れなかった?」


「そんな事はないけど……お姉ちゃんって、いつも誰かに抱きついて寝てるの?」


「ち、違うよっっ! そんな事ないからっ!!」


 誰かと一緒に寝るなんて、小さい頃に親と一緒に寝て以来だからっ。


 ジークとだって何にもないんだからねっっ!


 起き上がってリューンの背中を見つめたら、不意に昔の事を思い出した。


 そうだ……あれはまだ弟が生きてた頃の事。


 おねえちゃん、ってようやく言えるようになって、私の後をちょこちょこ追いかけてたリューン。


 今でもはっきり覚えてる。


 まん丸でぱっちりしたつぶらな瞳。


 ふわふわの綿毛みたいな髪。


 ちょこんとしたお鼻に、拙い言葉でよく喋るお口。


 すべすべのほっぺをぷにぷにすると、〝おねえちゃんも〟って言って、私の頬を短い指でつんつんしてた。


 2歳になって暫くした頃かな。


〝おねえちゃん、みてっ。にしゃい、できたっ〟


 ちっちゃな手で、人差し指と中指を立てて、嬉しそうに私に向けた天使の笑顔。


 まさかその夜に、高熱を出して、意識が戻らないまま独りぼっちで逝っちゃうなんて思いもしなかった……。


「……昔ね……小さな弟に……腕枕、してあげてたの……」


 私の腕の中で、すうすうと寝息をたてる無垢な寝顔は、たぶん永久に忘れられない。


「……ホントのの事?」


 振り向いたリューンに、ゆっくりと頷く。


「ごめんね……僕、嫌な事を聞いちゃった……」


 リューンは膝立ちになって、そっと私を抱きしめてくれた。


「僕は、ホントのリューンにはなれない……でも、ちゃんと、お姉ちゃんの弟でいるよ……お姉ちゃんが……望むかぎり、いつまでも……」


 涙が溢れた。


 やっぱり、優しすぎるよ……。


 魔王様……。


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