【第29話】お風呂は……

「はっ、入らないからねっっ!」


「え? 入らないの?」


「いや、お風呂は入るよっ」


「そうだよね。だから入ろ?」


、じゃなくてっ! 一人で入るって言ってるの!」


 リューンはまるで湯気が上るみたいに真っ赤な顔で、くるんと背を向けた。


「でも、お風呂の使い方とか、分からないでしょう?」


「わ、わかるよっ、教えてくれればっ」


「え……背中流して、髪を洗ってあげたい……」


「自分でできるからっ。さっき言ったよね、子どもじゃないって!」


 やば、必死なリューンってばかわいすぎでしょっ!


「でも、子どもでいいって言ったよ?」


「いっ……いや、言ったけど……それはそれっ、これはこれ!!」


 ダメか……子どもの髪を洗ってあげるのって、憧れてたんだけどな……。


 今日は諦めるけど、いつか必ず……。


「お姉ちゃん、目が変だよ……」


 振り向いたリューンが、変な生き物を見るような表情を浮かべてる。


 うん、ごめんね。お姉ちゃんもね、薄々感じてるの。私って変じゃないかなぁって。


「入らないからね」


 落ち着いた声できっぱりと言った。


 決意は固いみたい。


「……分かったよ……だったら、せめて見張っててくれる?」


「うん……って、え? 見張るの? えっと何を? どこで?」


 リューンはキョトンとした顔で、部屋を見渡す。


「あの、ちゃんと説明するから、聞いてくれる?」


「あ、うん」


 誤魔化すのはダメね、ホントの事を話さなきゃ。


 ううん、別にリューンの髪を洗ってあげたいのは本気なんだけど。


「あのね、お風呂って、明かりがランプしかないでしょ?」


「うん、そうだったね」


「もう日が暮れたから、暗いよね」


「まあ、それは……」


 よしよし、なんとかここまでは納得してくれたかな?


「それでね……一人になるの……怖いって、言ったじゃない?」


「そうだったね、だから僕一緒にいるんだけど……」


 ここからは、ちょっと恥ずかしいけど、正直に打ち明けよう。


「お風呂って、密室になるじゃない?」


「……なるの、かな?」


「それでね、髪洗う時って、目を瞑るでしょ?」


「うん、開けてたらお湯が目に入って痛いよね」


「……怖いの……」


「え?」


「怖いし、心細いの……。ジークたちやミーノータウロスに襲われたせいかな?それともスペクターに色々心を弄られたせいかな? 一人になるのが不安なの。子どもみたいだけど、怖くて、一人になりたくないの……」


 あれ? 話してるだけなのに、涙が溢れちゃってる。何で?


 頭がくらくらして、足の力が抜けて、そんままベッドに座り込んじゃった。



 本気で情けないよ……こんなじゃなかったのに、私ずっとこのままなのかな?


「たぶん、スペクターの幻惑の影響が残ってるんだと思う。大丈夫だよ、そのうち平気になるし、僕がずっと傍にいる」


 リューンは隣に座ってそっと私の手をとり、両手で優しく包んでくれた。


「お姉ちゃん、ちゃんと見張っておくから、安心して」


「うん。ごめんね、リューン。お風呂に入ったら、夕飯食べにいこうね」


 リューンが軽く頷くのを見て、ゆっくりとベッドから立ち上がる。


 お風呂場のドアを開けて中に入るけど、やっぱりちょっと薄暗い。


「いつもはね、このくらいで怖いなんて思わないんだよ……」


 洗面所兼脱衣所とお風呂を仕切るカーテンを引こうとしたら、背後でがちゃりとドアの閉まる音が響いた。


「え? ちょっと、リューンっ。見張っててくれるって言ったじゃないっ」


「大丈夫、ちゃんとドアの前で見張ってるよ」


 違うよっ。それじゃ、私お風呂場に一人だよっ。


 内側からドアを開けたら、リューンは驚いた顔で私を見つめた。


「あ、あの……お姉ちゃん?」


 私たぶん、また泣きそうな顔してると思う。


「リューンこっち」


 お風呂を指差したら、思った通りリューンの顔色が変わった。


「お、お姉ちゃん? 僕、一緒には入らないって言ったよね……」


 それは憶えてるから、こくんっと頷いてみせる。たしかにリューンはそう言った。


「お風呂には一緒に入らなくていいの。でも、お風呂場には入って。見えるトコにいてっ」


「え?」


「……」


 もう言葉が出ない。


 リューンの服の袖をぎゅっと掴んで、じっと見つめた。


「……」


「お姉ちゃん……そんな、縋るような目をしても……」


「だめ?」


 心臓がどきどきして、息が浅くなる。


 またあの時の光景が頭の中を過る。


 ジークとセラフィーナの凍り付くような笑い顔。


 何の感情も見えない真っ黒なミーノータウロスの目。


 スペクターが見せた幻覚。


 思い出さなくていいのにっ。


「だめじゃないよ。ごめんね気付かなくて……お姉ちゃんを一人にはしない。ちゃんと、傍にいる」


 リューンはちょっと戸惑いながらも、今度はお風呂場までついて来てくれた。


「こっちむいてるから、ゆっくり入ってね」


 当然のように、リューンは私に背を向ける。


「うん、ありがとリューン」


 脱いだ服を脱衣籠に入れて、仕切りのカーテンを少しだけ閉める。お風呂場のタイルがひんやりとしてて気持ちいい。


 備え付けの石鹸で躰を洗ったあと、髪を洗おうと思ったんだけど……。


 やっぱり目を瞑るのがちょっと怖い……。


「ねえ、リューン……」


「何?」


「髪、洗って」


「ええ!?」


「リューンが髪洗ってくれたら、私、安心できる」


 本気でお願いしたら、リューンは渋々だけど了承してくれた。


 あれ? 最初から命令すれば良かった?


 結局その後。


 リューンをして一緒に入りましたっ。


 リューンってば髪の洗い方とっても上手なの!


 もうね、なんか蕩けそう。


 これは初めてじゃないね、きっと。


 あ、もちろん、リューンの髪も洗ってあげました♪


 あとは……ひ・み・つ。



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