第2章 Escape

【第26話】生還

 転移の碧い光が消えて私たちが立っていたのは、折れた石柱と崩壊した石壁に囲まれた、グラシアレス遺跡のどこか。


 赤く染まった空と雲、そして山々が正面に見えるという事は、ここは遺跡の西側、それも随分と外れた場所みたい。


 ダンジョンの出入口は東の門を潜ってすぐの場所だから、こちら側にくる人はほとんどいないはず。


 まあ、見られずにすむから、好都合なんだけどね。って、なんかコソコソしちゃってる自分が悲しい。何も悪い事してないのに。


「ここが、グラシアレス……か……」


 夕日に染まる遺跡を見渡して、リューンがぽつりと呟いたのが聞こえた。


 遠い目をして、どこか寂しそう。


 話し方も大人に戻ってるし。


「リューン……?」


「ああっごめんっ。千年も経つんだから、変わっても仕方ないよねっ」


 責めた訳じゃないのに、リューンは謝ってきた。


 思い出……たくさんあるんだろうな。


 今は、聞けないけど。


「いつまで見てたって、どうしようもないし、そろそろ行こうか」


 何かに区切りをつけたみたいに、リューンは私を見上げてにっこりと笑った。


「先ずはどうしよう? とりあえず、お姉ちゃんを騙したヤツらを全員殺しとく? ああ、探すのも面倒だから、都市ごと焼き払った方がいいかな? 魔王として」


 うん。その屈託のない笑顔、めちゃ怖いです。


「じ、冗談だよ、ね?」


「半分ね」


 半分本気だった……。


 私の心臓もつかな? いろんな意味で止まりそう。


「あのっ、もう少し穏やかにっていうか、ゆっくり休みたいっていうか……その、ほら……汚れちゃったし、お風呂に入りたいし、ベッドで眠りたいかなぁって……」


 それに、下着も服も着替えたいし、自分の部屋にも戻りたい。


 その事を話したら、リューンは難しい表情を浮かべて黙り込んでしまった。


「……ごめんリューン。やっぱりどこかで野宿しよ。川で水浴びでもいいし、着替えは我慢するから……」


 うん、やっぱり王都へ戻るのは無謀だよね。もしかすると、手配されてるかもしれないし。


「いや、随分体力を消耗したし、野宿はやめよう。それに、もうすぐ日も暮れて気温も下がるから、水浴びも止めた方がいいよ」


 腕を組んで眉根を寄せていたリューンは、不意に顔を上げ少し笑って首を振った。


「宿をとろう。行商人を装えば、隊商宿キャラバンサライに潜り込めると思うよ。お湯も使えるしね。今 夜一晩ゆっくり休んで、明日お姉ちゃんの部屋へ戻って荷物を回収しよう」


 ん? 隊商宿キャラバンサライ? 商人専用の宿って意味かなぁ? 貴族とかお金持ち専用の宿はあるけど……。


「ごめんなさい、聞いたことないんだけど……」


「え?」


 リューンは一瞬目を丸くしたあと、口元に指を添えて俯いた。


「そ、そうか……ああ、そうだな……もう時代が変わっているから……でも、宿はあるんでしょ?」


 顔を上げて、じっと私を見つめてくるリューンの姿は、なんか餌を待つ小動物みた。


 ただ、たしかに宿はあるけど……。


「あの、でも……大丈夫かな、宿とか泊って……」


「大丈夫だよ、田舎の小さな村じゃないんだから、みんながお姉ちゃんの事を知ってる訳じゃないでしょ?」


「あ……」


 たしかに、リューンの言う通りだ。


 聖女見習いなんて何十人もいるし、勇者候補のパーティーだって幾つもある。


 私は特に注目されていた訳じゃないから、顔も名前も一般の人にはほとんど知られていない。


「ただね、お姉ちゃん……」


 リューンは、帰還の間で手に入れたモーリアス金貨を一枚取り出し、ぴぃんっと指で弾いた。


「さすがに、この金貨を宿代には使えないよね……」


「あ、私っ、お金なら持ってるよ」


 神教会に入ったのは8歳の春。それから聖女の適正を認められて修行が始まった。


 15歳の時に、勇者候補で2歳上のジークとパーティーを組んで冒険者になった。聖女としての修行の合い間に、というより、勇者候補と一緒に行動して経験を積むのも修行の一環だったし。


 それからは、稼いだお金の半分はギルドに預けて、半分は持ち歩くようにしている。


 私たちはけっこう順調だったから、お金もそこそこ貯まってるの。だからね。


「けっこう高いトコでも泊まれるよ?」


? なるべく目立たないように、普通の宿にしようね」


 ん? あれ? 何か会話が噛み合ってないような……。


 まあいっか。


 グラシアレス遺跡を後にして、街道脇の草地に入ろうとした私の手を、リューンがきゅっと握って引っ張った。


「お姉ちゃん? どこ行くの?」


「あ……目立たないように、街道から見えない所を歩いた方がいいかなって……」


 リューンはぷるぷると首を振った。


「このまま街道を行く方が怪しまれないよ。旅の商人姉弟だって思われるんじゃないかな?」


 たしかに、私の身に着けてる『翠龍のローブ』と『涼風のブーツ』は、見かけにも品の良さがあって、裕福な商人で通るかも。リューンの格好も、黒い燕尾服に膝小僧の見えるハーフ丈のズボンとブーツ。


 姉弟に……うん、見えなくもないよね。ううんっ、見える! 絶対見えるっ!!


「それに、わざわざ街道を逸れて進むのって、追剥ぎか、追剥ぎに身ぐるみ剥がされた人かのどっちかだよ?」


「その例え話、リューンの頃からあったの?」


 街道を歩けないのは、やましい事のある人か、恥ずかしい事のある人のどちらか。年配の人が言ってるのを聞いたことがある。


 ようするに、真っ当な道を行きなさいって事みたい。


「うん。年寄の人が、よく言ってたよ」


 リューンは、眉根を寄せて大袈裟に肩を竦めた。


「え? リューンの頃も?」


「そう」


 何かおかしくなって、二人で顔を見合わせて吹き出した。


「でも、そだね。じゃあ、堂々と街道を行こっか」


「うん。その方が、疲れないし、汚れないよ」


 弾むように歩き始めたリューンを呼び止める。


「……あのね、リューン……」


「なに?」


 これは、ダンジョンでスペクターを倒した後から、ちょっとずつ考えてた事なんだけど……。


「ちゃんと、決着をつけたいの」

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