【第15話】壊れちゃう

「きゃああっ」


 突然床が消えて、すうっと内蔵が浮き上がるような感覚に襲われる。


 落ちるっ、落ちる! 目の前は靄が掛かったみたいに真っ黒で何にも見えないけど、落ちてるのは分かる。


 いきなり足が地について、そのままドサっと、床に投げ出された。


 でも思ったほど痛くはない。けっこうな高さから落ちたんだと思うけど、なぜだろう?


「ここ、どこ……?」


 あのフロアの下の階だろうか、それともまた魔法陣でとばされたのかな。


 いつの間にか見えるようになっていた目で辺りを見渡したら、明かりもないのにぼんやりと明るい。


 でも……何かおかしい。


 床は大理石みたいにつるつるして建物っぽいけど、壁がまったく見えないし、柱らしき物も、もちろん天井も見当たらない。


 でも、薄暗いせいじゃない。


 床は、というか、空間自体が遥か彼方まで広がって、地平線まで続いている。上を見ると、霞がかかった中に、ホタルのような小さな光が点滅を繰り返し、ゆらゆらと飛び交っている。


「なんだろう、ここ……」


 ダンジョンの中だとは思うけど、どんなフロアなのかがまったく分からない。


「とにかくっ」


 ゆっくりと慎重に立ち上がって、身体を確認した。


 うん、どこにも怪我はないし、痛いところもない。ちゃんと手足も動かせる。


「どっちに行けばいいのかな……」


 どっちを見ても、まったく景色は変わらない。


 奇妙で広大な空間に、ポツンとたった一人。


 正直、こわい。


「で、でもっ、戻らなきゃ」


 上の階にはリューンが気を失ったまま、残されてるんだ。私がなんとかしなきゃ!


 震える心をなんとか鼓舞して、とりあえず歩き出そうとした時。


 肉と骨を断つ鈍い音が聞こえたと同時に、大量の血の匂いが鼻をついた。


「な、なに?」


 振り向こうとした瞬間、遅れてやってきた激しい痛みが腕に走る。


「いやあああああ」


 思わず悲鳴をあげてしまった。


 右腕が肘の先からなくなって、血を吹き出している。


「腕、私の腕っ。い、痛いっっ、なんで!? なにこれっ、な、なにが起こったの!?」


 ダメ、このままじゃ、出血で死んじゃう! 


 再生魔法の使えない私は、とりあえず血を止める為治癒魔法を唱える。


「えっ? うそっ」


 でも、魔法が発動しない。


 何が起こっているのか確認しようと振り返った私が見たのは、斧や曲刀を持ったミーノータウロスの群れ。二十頭はいるかも。


 そして、すぐ目の前には、大きな戦斧を振り上げた一頭。


「や、やめっ」


 やめてって言おうとしたけど、残忍なミーノータウロスが聞いてくれる筈がない。


 躱しきれずに、今度は左腕を肩から切り落とされた。


「ぎぃやああああああああ!!」


 ボトリ、と床に落ちた私の左腕を、ミーノータウロスが掴んで拾った。


「いや……な、なに……を……!?」


 予想はしてたけど、実際に目にすると、背筋が凍って全身が震える。


 ミーノータウロスは、掴んだ私の腕を引き千切るように食べ始めた。


 逃げなきゃ。逃げなきゃっ。逃げなきゃ!


 ミーノータウロスに背を向けて、全力で駆け出す。


 なぜだか出血が止まってるけど、どうでもいいっ、もうそんな事気にしてられない。


 とにかく、走らなきゃ!!


 でも、何歩目か走ったところで、バランスを崩して派手に転んでしまった。


 違う、バランスを崩したんじゃないっ。


「あ、あああ、足がっ、足がっあああ」


 右足の膝から下が消えていた。


 どうしよう、これじゃ走れないっ、これじゃ立てないよっ。


 ミーノータウロスの足音がすぐ傍までやってくる。


 這う事もできない私は、半身を起こして、残った左足だけで必死にずり下がる。


「やめて、もうやめてっ、もう逃げない、もう逃げないからっっ、痛いのはイヤ、いやぁ、お願い、もうやめてっやめてええええ!!」


 必死に懇願した。


 涙も、涎も、鼻水も垂れ流して、聖女としてのプライドも捨てて。


 でも、ミーノータウロスは振り上げた斧を止めてくれなかった。


 ドンっと床に振り下ろされた斧は、私の残った左足を膝から切断した。


「ひぎぃぃぃぃぃ!!!」


 痛いっ、痛い痛い、いたいいたいいたいいたいいいいいい!!


 もうやだ、痛いのやだ、いたいのやだぁ。なんで? やめてってお願いしたのに。逃げないって言ったのに。


 ミーノータウロスたちは、切り落とした私の脚を、奪い合いながら食べてる。


 食べてる……わ、わたしの、あし……。


 ばきっ、ぼきっと骨まで噛み砕いて……涎を垂らしながらおいしそうに咀嚼してる……。


 ……私の中で、何かが崩れた……。


 もう、無理……。


「……ねえ、返してよぉ……それ、わたしの、足だよぅ」


 ミーノータウロスが……斧を放り投げた……。


 うん、そうだよね、わたしを、殺す気なんて、ないんだもんね。


 あ、みんな集まってきた。


 あははは、服、引き剥がれちゃった。そっかぁいらないよね、服ぅ。


 だって、だって、きゃはははは、これから……これからぁぁ……。


「だれ……だれがいちばん? みんないっしょでも、いいよぉ……えへ、えへえへえへへへへ……」


〝しっかりしろ、パム!!〟


「だあれぇ、わたししっかり、してるよぉ」


〝私だ、リューンだ!〟


「りゅーん? だれだっけぇ……いっしょに、まざるぅ? いいよ、どこでもつかってぇ……」


〝ちっ、駄目か……お姉ちゃん! 僕だよっ、リューンだよ!〟


「おねえちゃん? だれが? わたしぃ?」


〝しっかりして! お姉ちゃん!!〟


「お、え、え……?」


〝お姉ちゃんっっ!!!〟


「りゅーん、りゅーン……リューン……リューン? リューン!? リューン……って、リューンなのっ!!」


〝良かった、戻れたね〟


「え? 戻れたって、どういう事?」


 まだ私の周りには、ミーノータウロスがうじゃうじゃいる。


「それはスペクターが見せてる幻覚! 恐怖を追い出して! 目を開けて!!」


頭の中に響いたリューンの声が、沈みかけた私の心を引き戻してくれた。



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