第215話 戦況を支配するのは……
1
土曜日の午前。私はいつものように〈ムーンナイトテラス〉に向かっていた。
眞昼が勇にぃのことを好きだってのにはびっくりしたけど、勇にぃの恋人になれるのは一人だけ。絶対に勇にぃは渡さない。
そしてこれは想像ではあるけれど、朝華も勇にぃのことが好きなんだと思う。今までの朝華の行動を冷静に振り返ってみれば――冷静になるまでもないけど――、露骨なまでに勇にぃにアタックをしていた。久々に勇にぃに会えた嬉しさから大胆な行動を取っていただけ、と本人は説明していたが、今となってはそんな言い訳は通用しないよね。
もしかしたら、と思ってたけど、やっぱりそうなんだろうな。本人に確認を取ったわけではないけれど、朝華も勇にぃを巡るライバルの一人に数えていいはず。
でも、勇にぃと私は一緒に死んでくれるって約束をしたぐらいの仲なんだから。
「お邪魔します」
「あら未夜ちゃん、いらっしゃい」
「いらっしゃいませ」
おばさんとおじさんに挨拶をし、勇にぃを探す。店内にはいないようだ。
「おばさん、カフェオレのアイスちょうだい。あと勇にぃは?」
「勇ならちょっと二階にいるよ。今日はあの子休みだからね」
「分かったー」
アイスカフェオレを受け取り、二階の勇にぃの部屋へ。
「おう、未夜か」
勇にぃはベッドの縁に座って読書をしていた。
グラスをテーブルの上に置き、私も勇にぃの横に座る。
「何読んでるの?」
「ミステリだよ」
「私も暇だし何か読もうかなー」
「勉強しに来たんじゃねぇのか」
「勉強もするよ」
私は少し勇にぃから離れ、距離を作る。そしてそのまま体を横に倒して勇にぃの膝に頭を乗せる。
「おいこら、何やってんだお前」
「えへへ」
「犬みてぇなことしてんじゃねぇ」
「いいじゃん。わんわん」
勇にぃは分かりやすく顔を赤くする。
「いつも勉強ばっかりで疲れてるの。ちょっとくらい休憩したっていいじゃん」
「だったら後ろの空いてるスペースに横になれっての。お前は昔からちょっかいばっかり出してくるなぁ」
「へへ」
そしてしばらく勉強をしながら時たま勇にぃにちょっかいをかけた。
「ねぇ、勇にぃ」
「んー?」
「あの約束憶えてるよね?」
*
「……」
約束ってなんだ?
来て早々何をいきなり聞いてくるんだこいつは。
この前借りた推理小説、早く返せってことか?
「え、えっと」
未夜のことだからどうせたいした用事じゃないはず……あっ!
俺はとんでもないことを思い出してしまった。
春先に俺が帰郷した時、未夜に気づかずにいたせいで名前当てゲームというわけの分からないゲームを仕掛けられたんだ。そしてその報酬として、未夜が俺の言うことを一つだけ、『なんでもいうことをきく』というのがあったんだった。
俺は自力で未夜の正体に辿り着き、その報酬を手にしたわけだが、まだ使ってなかった、というか完全に忘れてた。
未夜もそのことについて言ってこないし俺も忘れてたしでうやむやになっていたが、未夜はしっかり憶えていたのか。
困ったな。
女子高生相手に『なんでもいうこと』を聞かせるというのはなんかいかがわしい感じがする。
こいつは妹みたいな存在だし、そういう目では見てはいけないのだ。
「思い出した?」
「あ、ああ」
「ふふ、じゃあ私たちずっと一緒だよね?」
「え?」
「そういうことでしょ?」
何を言ってるんだこいつは。
「約束ってさ、未夜。あのゲームの報酬のことじゃないのか?」
「ゲーム?」
未夜は眉根を寄せる。やはり会話が噛み合っていなかったようだ。
「ほら、お前が仕掛けてきた名前当てゲームでさ、未夜の名前を当てることができたらなんでもいうこときくってやつ」
「あっ」
この様子だと未夜も忘れてたな。しまった。なら、うやむやにしとけばよかった。
「そういえば、そんなの、あったね……」
恥ずかしそうに未夜は顔を赤くする。
「……」
「……」
虚空に視線を投げ、未夜は押し黙ってしまう。俺も俺で、この件について深堀りすれば世間体的によろしくない事態になってしまうのではないか、という防衛本能が発動してしまった。
十年経っても妹みたいに接してくる未夜だ。いくらなんでもそんな未夜といかがわしいことになることはないと思うが……ないよな?
でも朝華と眞昼の前例があるし……
空気を変えねば。
「ところで、お前が言ってた約束ってのは?」
「あっ」
未夜はがばっと起き上がり、俺の背後に回る。そして俺の首に腕を回し、ホールドをキメた。
「ちょ、お前」
「お爺ちゃんのお葬式の時の約束だよ」
正直、力が弱すぎて全然キマってない。むしろ背中に胸を押し付けられてそちらの方に意識が集中してしまう。
「そ、葬式? 爺ちゃんって、蝶次郎さんか?」
「そう!」
「約束って……」
俺は当時のことを振り返る。
未夜の祖父である葉月蝶次郎さんは、俺が所属していたボーイスカウト団のカブスカウトの隊長だったが、未夜が三歳の時に亡くなってしまった。
「あっ」
そうだそうだ、思い出した。
あれは正確には葬式ではなくお通夜の時だった。
当時まだ三歳だった未夜は初めて人の死というものを経験し、人は死んだらどうなるのか、ということについて純粋な疑問と恐怖を抱いていたのだ。
そして未夜は俺にこんなお願いをしたのだ。
自分が死んだら、俺も一緒に死んで、と。
その幼いお願いに俺はいいよと安易に答えてしまったのだ。
「思い出したよ。そんなこともあったな」
「本当に思い出した?」
「ああ」
「勇にぃは私とずっと一緒にいてくれるんだよね?」
「そりゃ、可愛い妹分だからな」
「……」
未夜はホールドを解き、俺の横に座った。
「未夜?」
少し不満げに頬を膨らませている。
「勇にぃ」
「な、なんだ?」
「一応言っとくけど、なんでもいうこときくって言ったのさ」
「お、おう」
そっちに話が戻るのか。
「あれ、本気だからね」
「……は?」
「だから」
未夜は俺の横にぴとっとくっつく。
肌と肌が触れ合い、未夜の体温を感じた。
「えっと、未夜?」
未夜は何も喋らない。すっとこちらに向けた顔はどこか儚げで、その瞳は吸い込まれそうなほど美しかった。
「……」
「……」
何?
なんか変な空気になってないか?
未夜は妹みたいなものだし、眞昼や朝華たちとは違って俺のことはただのお兄ちゃんとして接してるはず。
名前当てゲームの時は正体が未夜だと知らなかったから、俺も少しデレてしまったところはあるが、あくまでこいつは未夜なのだ。
眞昼や朝華のように俺に好意を伝えているわけでもない未夜を意識するなんて、あってはならないことなのだ。そもそも、眞昼も朝華も本来ではそういう目で見てはいけない対象なのだが……
「勇にぃ」と未夜が甘ったるい声で呟いた瞬間、階段を上る音が大きく響いてきた。
ややあって、俺の部屋のドアが勢いよく開けられる。
「お邪魔します」
「お邪魔します」
現れたのは眞昼と朝華だった。
2
勇にぃの横に寄り添うようにして座っている未夜ちゃん。その距離感はただの仲のいい兄と妹、というふうではない。勇にぃの腕に自分の腕を絡め、足も密着させている。そして体重を勇にぃにかけるように体を傾けていた。
ふぅん、なるほど。
眞昼ちゃんの言う通り、なかなかいいポジションにいる。いつでも詰みに持っていける、という眞昼ちゃんの評は的を射ているのかもしれない。
ただしそれは未夜ちゃんが勇にぃを異性として意識させることができれば、の話。
「ふふ、勇にぃと未夜ちゃん、まるで恋人みたいなくっつき方をしてますね」
「うっ、おい未夜。もっと離れろって」
「ええ?」
私や眞昼ちゃんのアタックのせいで、勇にぃは今までよりさらに世間体を気にするようになっているだろうから、こうしてちょっとだけ警戒心を煽ってあげれば、未夜ちゃんに対してもガードを固めるだろう。
未夜ちゃんはそれを破ろうと勇にぃへアタックを仕掛けてガードを破ろうとする。
そしてそうさせないために眞昼ちゃんは頑張って未夜ちゃんを抑え込もうとする。
結果として眞昼ちゃんの勇にぃへのアタックは勢いを失い、私がいない平日の間は膠着状態ができる。
ただ、私の方も問題を抱えている。次に打つ手はもう決まっているが、そのとっかかりをどうするか、というところだ。
どう『持っていく』か。
そこが問題である。
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