第209話  覚醒

 1



「眞昼ー、お昼食べよー」


「お、おう」


 翌日学校で未夜に会ったが、その様子はいつもと変わらなかった。


「それで今日の朝、未空がね――」


 普段と同じようなとりとめのない会話をしながら食堂で昼食を摂る。まるで、昨夜のあたしの話をすっかり忘れているか、それとも最初からそんな話は聞いていなかったとでもいうように。


 拍子抜けしちゃったよ。


 未夜ってけっこう嫉妬深い性格してるから、てっきり勇にぃを巡る戦いに参戦してくるかと思ってた。未夜だって勇にぃのことは好きなはず。


 ま、未夜の方からアクションがない限り、こっちからあえて話題に挙げることもないか。


 あたしが今考えるべきことは、勇にぃと二人きりの時間を作ること。今日の部活帰りにまた〈ムーンナイトテラス〉に寄ろうっと。


 が勝負だ。


 土日になったらまた神奈川から朝華が帰ってくる。箱根旅行の失敗を朝華はきっと重く受け止めている。あたしを抑えるために未夜を引きずり込むくらいだ。これまで以上に過激に勇にぃへアタックを仕掛けてくるに決まってるだろうから、あたしにとって今週が正念場なのである。


 昼食後、中庭で夕陽ちゃんといつもの作戦会議をしようと思ったのだが、あいにく今日は文化祭の仕事があって忙しいらしく、作戦会議はなかった。


 文化祭。


 そろそろそんな時期か。


 十一月には文化祭と体育祭、そして春高の予選がある。結構忙しくなりそうだ。


 ちなみに北高の文化祭と体育祭はあたしたちが入学するよりずっと昔は六月にやっていたらしいが、いつからか秋の行事になったという。たぶん勇にぃの世代だと六月にやってたんじゃないかな。



 *



「ふぅ、くたびれたぜ」


 時刻は午後四時半。


 飲食業というのは不思議なもので、休憩を取る暇がないほどめちゃくちゃ忙しい日があれば、あまりお客さんが来ない日もある。


 今日は前者。


 まるで夏休みの再来とでもいうように、お客さんがひっきりなしに訪れ、ようやく落ち着いたのである。


「勇。お客さんしばらく来なさそうだし、休憩行っていいわよ」


 母もすっかりくたびれたようで、くつろぎモードでカウンターに座ってお茶を飲んでいた。


「おう」


 どうせ未夜か眞昼が来るだろうし――眞昼は部活があるので遅くなるが――コーヒーとお茶菓子の準備でもしとくか。


 そしてキッチンに向かいかけたところで呼び鈴が鳴った。入口の方を見ると未夜だった。


「いらっしゃい、未夜ちゃん」

「いらっしゃいませ」


 父と母の声が重なる。


「お邪魔します」


「おう、未夜」


「勇にぃ、カフェオレ、ホットでね」


「はいよ」


「あれ、今日は空いてるね」


「いや、さっきまでめちゃくちゃ忙しかったんだって」


「ふーん」


「信じてないな」


「そんなことないって」


「今は空いてるから好きな席で勉強していいぜ」


「んー、勇にぃの部屋でもいい? そこが一番落ち着くから」


「いいぞ」


 未夜は階段を上って俺の部屋へ向かう。注文のカフェオレと自分用のココアを作ってから俺も二階へ上がった。


「お待たせ。ほい、カフェオレ」


 未夜はテーブルに勉強道具を広げて熱心に勉強していた。


「ありがと」


「勇にぃも休憩?」


「ああ」


 俺は未夜の横に腰を下ろす。


「今日はマジで忙しくてくたくただぜ」


「本当に忙しかったんだ。はぁ、あったかい」


 カフェオレを飲みながら未夜は嬉しそうに言う。


「今日は寒かったねぇ」


「そうだなぁ」


 秋も深まりを見せ始め、冷たい風が吹くようになった。


「この部屋寒いよー」と言って未夜は俺の手を取る。しっとりすべすべで、ぷにぷにとした感触だ。


「勇にぃの手あったかいね」


「そうか? 寒けりゃ下に戻ろうぜ?」


「ふふ、ここでいい」


 しばらく俺の手をさすさすした未夜は、そのまま俺の腕に自分の腕を絡めて密着してきた。


「お、おい未夜」


「勇にぃ、あったかい」


「何やってんだお前」


「子供の頃とか、寒い日はよくくっついてたじゃん」


「それは昔の話だろ」


 こいつは相変わらず無邪気な距離感で接してくるが、眞昼や朝華みたいに恋慕の情でないだけましか。むしろ、子供のころと変わらない感覚で接することができるのはむしろ安らぐ気さえする――


「――って!」


 密着しすぎて俺の二の腕に未夜の胸が当たってしまっている。未夜は気づいていないのか、のほほんとした様子である。未夜の甘い香りと体温、そして胸の柔らかさが俺を襲う。


 特に、そのたっぷりボリューミーな爆弾の柔らかさに、思わず箱根の日のことを思い出してしまう。眞昼の胸に手を押し付けられた時のあの感覚が蘇りかけたので、俺はプロレスラーたちの熱い闘いを思い浮かべて昂ぶりを相殺した。


 俺の馬鹿!


 いくらなんでも、未夜に変な気を起こすのはさすがに許されないぞ。


 眞昼や朝華に劣情を催すのとはわけが違うんだ。あの二人は俺に気持ちを向けているが、未夜は昔から知ってるお兄ちゃんとして俺を見ているだけなのだから。


 しかし、これは拷問に近いな。


「ねぇ、勇にぃ」


 ようやく未夜が離れ、俺の二の腕は悪魔的な柔らかさから解放された。


「勇にぃのはココア?」


「あぁ、最近ココアに凝っててな」


「一口ちょうだい?」


「あ?」


 別にいいけど、間接キスとか意識してしまった俺が情けない。未夜は全く意識している素振りすらないのに。彼女は俺のカップを取り、口をつける。


「美味しい!」


 そしてそのまま二口目に。


「おい、一口っつったろ! 半分以上減ってんじゃねぇか!」


「えへへ」


「ったく」


 こいつは本当にクソガキのままだな。


「あ、そうだ。勇にぃ。くたくたって言ってたし、肩揉んであげる」


 そう言って未夜は俺の背後に。


「えい」


 未夜の手が肩に触れたと思ったら、背中に柔らかな圧を二つ感じた。


「――!」


「どう? 気持ちいい?」


 未夜は胸が当たっていることに気づいていないようだ。


「あ、ああ」


「えい、えい」


 肩を揉むたびにいちいち前のめりになるので、胸がそのたびに胸が押し付けられる。


「……」


「えい、えい」


 せっかく肩を揉んでもらったけれど、緊張で体が強張り、余計に肩が凝った気がした。



 2



「ふう。遅くなっちゃった」


 今日はちょっと練習が長引いたけど、まだ時間はある。あたしは大急ぎで〈ムーンナイトテラス〉に向かった。


「眞昼ちゃん、今日は食べてかなくていいの?」


「うん。時間が遅くなっちゃったし、コーラだけで」


 コーラを注文し、二階へ上がる。


 そこには――


「あっ、眞昼、お疲れ~」


 未夜と勇にぃがベッドの縁に座ってゲームをしていた。


「おー、眞昼。お疲れ」


「あぁ、負けたぁ」


 未夜のキャラが場外へ吹っ飛ばされていく。


「もう、勇にぃめ。今のはアイテムのおかげだからね」


 ゲームに負けた腹いせか、未夜は勇にぃをくすぐり始める。


「おま、馬鹿、やめ、うはははは。ま、眞昼、飯は食ってくか? くはははは」


「いや、遅いから家で食べるよ」


 未夜がいるとなると、今日も勇にぃと二人きりにはなれなさそうだな。


 うん、でも大丈夫。


 今日は火曜日だし、まだ土日までまだあと三日ある。


 大丈夫、大丈夫。


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