第179話  恋愛初心者の受難

 1



「じゃあ、そろそろ帰ろっかな」


 午後七時過ぎ。未夜はぐっと背筋を伸ばす。


「送ってやるよ」

「ありがとー」


 未夜を家に送り届けて店に戻る。部屋に上がると、そこにはなんと眞昼がいた。


「あれ? 眞昼、来てたのか」


「勇にぃ、お邪魔してるよ」


 どうやら入れ違いになったらしい。


 眞昼は先ほどまで未夜が座っていたところに女の子座りをしていた。ジャージではなく制服姿である。


「部活帰りか?」


「うん。今日はちょっと早く終わったから」


「そうか。さっきまで未夜が来てたぞ」


「知ってる。おばさんから聞いた」


 誕生日プレゼントのペンダントが首元で輝いている。蛍光灯の光を受けて煌めく金のチェーンは大きく開かれた胸元に向かって収束し、先端のロケットの部分は深い谷間に飲み込まれていた。


「付けてくれてるんだな、それ」


「うん。でも、学校じゃ校則でこういうの付けられないから」


 眞昼は俺を見上げて、


「勇にぃの前でだけ、付ける」


 それだけ言ってすぐにまた視線を下げた。


 可愛いけど、いつもの眞昼のキャラクターじゃない。なんかおしとやかというか、こいつ、こんなに女っぽかったっけ?


 無論、眞昼は俺の目から見ても美少女だが、普段の彼女は男勝りで言うならばきっぷのいい美人といったタイプだ。それなのに今目の前にいる眞昼はまるで正反対。優しく抱きしめてあげたくなるようなしおらしさがある。


 ほんのり頬を朱に染め、太ももの上に手を重ねて置いている。


 なんだか調子が狂いそうだ。


「ま、眞昼。飯食ったか?」


「まだ」


「どこか食いに行くか」


「うん」


「蕎麦は昨日食ったから、中華でも食うか」


 眞昼を連れて、商店街の中華料理屋に入った。


 やたらぺたぺたするメニュー表、店内に満ちる油の香り、壁に貼り付けられたビールのポスターはかなり年季が入っている。街中華のこういう雰囲気は独特の味わいがあって良い。


「えっと、あたしは五目チャーハンで」


「そんだけでいいのか?」


「う、うん。お腹空いてないから」


「部活帰りなんだろ?」


 健啖家の眞昼にとって、チャーハン一皿だけというのは少なすぎる。しかも今日は部活で体力を消費してきたはずだ。昨日蕎麦屋に行った時はむちゃくちゃに食べていたのに……


「具合でも悪いのか?」


「そういうんじゃないって。いいの、これだけで」


「そっか」


 ダイエットでも始めたのだろうか。俺はチャーシューメンを注文した。



 *



 なんだろう、勇にぃと一緒にいるとそれだけで胸がいっぱいになる。食欲もあんまり湧かないし、あたし、どうしたんだろう。


 バレーで跳び回って、へとへとになるまで動いたのに全然お腹が空かないや。


 やがて料理が運ばれてきた。


 熱々のチャーハンを口に運ぶ。


「ふー、ふー、はむ」


 ご飯が口の中でパラパラとほぐれていく。


「美味いか?」


「うん」


「……」


「……」


 あれ、なんだろ。勇にぃを落とすために頑張らなきゃいけないのに、何か話そうと思っても頭が回らない。


 昨日未夜や朝華が一緒にいた時はいつも通りでいれたし、その後勇にぃに自分の覚悟を伝えた時だって、しっかりできてた。今朝、学校に行く途中に〈ムーンナイトテラス〉に寄った時も普通で入れた気がする。

 それなのに今になって完全に勇にぃと二人きりって状況になったら、頭がぽわぽわして胸がきゅってなって……


 あたし、絶対なんかおかしいよ。


 結局、会話はあまり弾まず店を出た。夜の商店街を二人で歩く。人通りはほとんどない。時折、道路を車が走るだけだ。


 肩を並べて歩いていたからか、ちょん、と指先が触れ合った。


「ひゃっ」


「え? おぉ、悪い。痛かったか?」


「ううん」


 手が触れ合うなんて、全然たいしたことじゃないのにドキドキが治まらない。流鏑馬祭りの時とかは普通に手を繋いだりしてたのに、何を恥ずかしがってんだよ、あたし……


 これじゃあ「いつまでも待ってる」なんて大見得を切った意味がないじゃん。何か、しなきゃ。朝華がいない今が最大のチャンスなんだ。でも、恥ずかしい。


「うぅ……ゆ、勇にぃ」


「ん?」


 あたしは勇にぃの手を取り、自分の胸で抱きしめた。


「は、はぁ!?」


 勇にぃのごつごつした手があたしの胸に沈んでいく。

 

「ま、眞昼っ、お前」


 ああ、これ以上は限界。


 あたしは勇にぃの手を離して、


「もう帰るね。おやすみ!」


 自分の家の方向に向かって走り出した。



 2



「ふふふ」


 緋百合女学院、学生寮の個室。


 私はベッドの縁に腰かけながら、ベッドサイドに飾った写真を眺める。小学校一年生の時、勇にぃが私の誕生日にくれた写真立て。そこに収められているのは、四人で写した写真。


 人生で一番楽しかった思い出の象徴。


 それにしても、親友が自分と同じ人を好きになるなんて運命はどこまでも数奇だ。眞昼ちゃん、部活一筋でバレーに青春を捧げるものだとばかり思っていたけれど、恋心を隠し持っていたなんて全然気づかなかった。


 あの凶悪な体を武器にされるとかなり不利になる。ただでさえ私は週に二日程度しか勇にぃと会えないのだから、その間に勇にぃに距離を詰められたら……


 何かしらの策を考えておく必要がある。


 ただでさえ未夜ちゃんの天然が危険なのに、眞昼ちゃんまで参戦したら、もう勇にぃを巡る戦いは泥沼になるだろう。はっきりと明言をしたわけじゃないけれど、私の勘ではきっと未夜ちゃんも……


 それはそれとして、来週の月曜日――十月二日はいよいよ勇にぃの誕生日。幸いその日は緋百合女学院の創立記念日で学校が休みになる。まあ、例え学校に行かなくてはいけなかったとしても、あらゆる手を使って休むつもりだったけれど。


 プレゼントはもう決めてある。


「ふふふ、勝つのは私」


 窓辺に寄って空を見上げると、綺麗な上弦の月が浮かんでいた。





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