第170話 こっちも溜め込む
1
『あたしは修業をして強くなった』
『あたし、こういうの欲しかったんだ』
『うがー、やってやる。来年こそ一位だ』
『ふふん、あたしに怖いものなんてないからな』
幼い眞昼との思い出が、まるでホームビデオを眺めているかのように頭の中で再生される。
元気いっぱいで、時には男の子のように俺を振り回し、未夜や朝華のリーダー的存在だった眞昼。
いつの間にか雨はやんでしまったようだ。静かな夜の静寂に、鳥の声がホーホーと響く。
時計を見ると時刻は午前零時過ぎ。
あれから眞昼に何度も電話をかけたり、ラインを送ったが、返事は全くなかった。
「……眞昼」
*
翌日、土曜日。
昨夜はなかなか寝付けず、起きては寝てを繰り返したので、頭の奥にもやもやとした眠気と倦怠感が残っていた。
今日はあまりいい天気ではない。
鼠色の雲が空を覆い、少し蒸し蒸しとしている。九月も後半に入るが、まだ夏の余韻が残っていた。
昼過ぎまで店で働き、正午に朝華を迎えに駅まで行く。駅から近いこともあって、普段は歩きなのだが、龍石家に寄ろうと思ったので車を出した。
昨日の眞昼の告白はあまりに突然すぎたので、何も返すことができなかった。かといって、はっきりとした答えを今すぐに出すこともできないのだが、とにかく眞昼と会わないことには始まらない。
チャイムを鳴らすと、ややあって明日香が顔を覗かせた。
「あら、勇くん」
後ろの方から三匹の犬が小走りでやってくる。
「昨日はありがとうね。眞昼を送ってもらっちゃって」
「いえ、それで眞昼は?」
「ああ、部活よ。今日は朝から一日だって」
「あ、そうですか」
言ってから気づく。昨日、眞昼は部活があるのは午後からと言っていたはずだが……
そんな俺の疑問が伝わったのかは定かではないが、明日香は注釈を加えるように説明する。
「本当は午後からだったんだけど、一日練習になったんだって」
「そ、そうすか」
その後、軽い世間話をして龍石家を後にした。
結局眞昼には会えなかった。部活が終わるまで待つしかないか。龍石家からそのまま駅に向かい、送迎用エリアに車を停めた。
駅の北口のベンチに座って待っていると、朝華がやってきた。
「勇にぃ」
「お、おう、朝華」
「お待たせしました」
桃色のブラウスに胸元にあしらった黒いリボン、黒いロングスカートは膝下が透けており、妖艶な雰囲気を醸し出している。さらに、ブラウスは脇の下部分だけくり抜いたような構造になっている。
「まだ暑い日が続きますねぇ」
そう言って朝華が片手を上げて前髪に手櫛を入れると、綺麗な脇が露わになる。ちょうど俺の目の高さにさらけ出された白い脇。
俺は慌てて立ち上がる。
「さて、行くか」
「はい」
「飯食ったか?」
「いえ、まだです」
「じゃあ、何か食べてくか?」
「お店よりも、〈ムーンナイトテラス〉で食べたい気分です」
「そっか。分かった」
車に乗り込むと、朝華は俺の方を見て、
「勇にぃ、くまができてます。寝不足ですか?」
「ん、ああ。ちょっとな」
昨日のことはまだ誰にも言っていないが、朝華にだけは言えないな。朝華からの告白を受けた身で、しかもきっちりとした答えを出しているわけでもない(朝華はそれでもいいと思っているようだが)。
そんな中で、眞昼からも告白をされた、だなんて、朝華には口が裂けても言えない。
朝華と眞昼は昔からの、姉妹のような友人だが、全ての事情を知っている俺からしたら、今の二人は恋敵のようなもの。
もし、お互いがお互いの恋心を知り、俺を巡って二人の仲が険悪にでもなってしまったらと思うと、今から胃が痛む。
どちらも俺にとっては可愛い妹分。
「いけませんねぇ。しっかり睡眠を取らないと」
「あ、ああ」
「どこかで休憩でもしていきませんか?」
「休憩ってお前、店で寝るのは迷惑だろう」
「寝るのが目的の場所ならいいんじゃないですか? 例えば――」
朝華は唇に人差し指を当てて、ちゅっと音を鳴らし、横目で俺を見ながら、
「ホテルとか」
「はっ!?」
「ベッドもあるし、お風呂だってあります。休憩にはもってこいです」
「ば、馬鹿言うな」
「うふふ、冗談ですよ」
くすくすと笑う朝華。
こいつが言うと冗談でも冗談に聞こえない。
「ほら、行きましょう」
「ああ」
車を出し、〈ムーンナイトテラス〉へ帰る。
その時、俺はあることに気づいた。湘南の夜、朝華が俺に告白をしたことは、俺と朝華しか知らないし、昨晩眞昼が俺に告白をしたことも、俺と眞昼しか知らないのだ。
もし眞昼が俺のことで悩んだら、友人に相談をすることもあり得るかもしれない。古くからの友人である朝華に相談をするのは十分考えられるし、自然なことだ。もしそうなったとすれば、その時点で朝華は眞昼が俺に告白をしたことを知ってしまうだろう。その逆も然りだ。
今のところ、この歪な三角関係の全容を知っている当事者は俺だけ。そして、どういう答えを出すのかも、俺だけに責任がある。
胃に穴が開きそうだ。こんなの、いったいどうやって解決すればいいんだ。
朝華も眞昼の気持ちを拒むつもりはないが、どちらかを選べば、残った方を拒絶することになるのは当然のこと。そうなった場合、選ばれなかった方は心に深い傷を負って、今まで通り仲良くするのは難しい……というかできないだろう。
朝華も眞昼も俺にはもったいないぐらいの美少女で、女性としての魅力は比べられない。恋愛経験がゼロの俺に、二人からの求愛を同時に受け止めきれるわけがない。
どうすりゃいいんだ。
「そ、そういや、朝華」
「はい?」
「眞昼は今日一日部活があるそうだ」
それとなく眞昼の話題を振ってみるも、
「そうなんですか。でも夜には終わるでしょうから、みんなでご飯でも食べに行きましょう」
「お、おう。そうだな」
朝華の反応は普段と変わらない。眞昼の方から朝華に相談などはしていないようだ。たしかに、昨日の今日でまだ相談なんかはしないよな。
俺はほっと息をつく。
眞昼は今、何を考えているのだろう。とにかく一度会って話をしたいが、どんな顔をして眞昼に会えばいいのか、俺は不安でいっぱいだった。
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