第153話 小心者
1
「ふう」
食後のお茶を飲みながら、眞昼は息をついた。お腹をさすり、再びお茶に口をつける。
それにしてもよく食うやつだ。それほど部活で疲れたということなのだろうが、軽く三人前はたいらげている気がする。食べ放題でよかったぜ。
「よし、そろそろ行くか」
「うん、ご馳走様」
「おう」
会計を済ませて店の外に出ると、気持ちのいい夜風が出ていた。空には薄く輝く月が浮かび、ちらちらと星が瞬いている。
昼間は残暑が厳しいが、夜になればすっかり気温は下がり、秋の爽やかな空気を感じることができる。北に目を向けると、夜の闇の中にうっすらと富士山の輪郭が見て取れた。
「やだもう」
「ははは」
駐車場を歩いていると、若いカップルとすれ違った。
「もう、お兄ちゃんてば」と女の方が言うのを耳にして、兄妹だったのか、と認識を改める。
「勇にぃ、どうしたの?」
「あ、いや、なんでもない」
「?」
俺と眞昼もカップルに見えてしまっているのだろうか。
朝華の一件以降、こいつらに対して変な意識をしつつある俺がいた。朝華の想いが恋愛感情であるということに気づかなかったことが、俺の自意識を過敏にしているのかもしれない。
まさかこいつも俺のことを……なんてな。ちょっとナルシが過ぎるぞ、俺。
眞昼に限ってそんなことはないだろう。
こいつはバレーに情熱を燃やす元気娘だ。たしかに距離感がおかしいこともあるにはあるけれど、こいつは俺のことを兄貴分みたいに思ってるだけだ。クソガキ時代のやんちゃぶりを考えれば、不思議なことではない。
「やべ、もう八時半だ」
夕陽の送り迎えをしに店を出てから一度も帰ってないことを思い出す。まずいぞ、まるで俺がサボってるみたい――事実サボっているのだが――に思われる。スマホを見ると、母からの着信履歴が鬼のように残っていた。
「急ぐぞ」
「え? うん」
眞昼を家に送り届けてから店に戻ると、案の定、母が青筋を作って待っていた。
「勇くーん、なんで夕陽ちゃんを送るだけなのにこんな時間までかかるのかなぁ」
口調こそ優しいが目と声が笑っていない。
「いや、その……」
「連絡も寄こさないでどこで油売ってたの!」
母の雷がぴしゃりと落ちた。
2
昼休み。
食堂で未夜と昼食を食べる。今日も部活が遅くまであるから、ここでしっかり栄養を補給しておかなくては。
「えっ、昨日勇にぃと焼肉行ってきたの?」
唐揚げを箸でつまんだまま未夜はフリーズする。
「うん」
「ずるいー」
未夜は駄々をこねる子供のように頭を振り、唐揚げが皿の上に落ちる。
「私も行きたかったー」
「今度は未夜も誘うからさ」
「絶対だよ。あっ、それはそうと眞昼、誕生日の日はさすがに休みだよね? みんなでパーティーするんだから」
「いや、土曜日は、たしか午前練があったかな」
春高の予選まで二か月を切っているのだ。丸一日オフの日はほとんどないと言っていい。
「まあ、夜がフリーなら大丈夫だね」
「そうだな」
「朝華も帰ってくるって言ってたし、今年は勇にぃもいるし、いい年だ」
朝華……
そうだ、朝華も帰ってくるんだ。当たり前のことだ。あたしたちの誕生日の日は三人で集まってたんだし、今年の未夜の誕生日も顔を出していた。
そして、今年は勇にぃもいる。十年ぶりに勇にぃがあたしの誕生日を祝ってくれる。左手首に暖かいものを感じる。年季の入った黒いリストバンド。子供の時から使い続けている、あたしの宝物。
でも。
朝華が勇にぃと……会う。
あの二人はまだ付き合ってないだろうけど、また会うことで二人の関係に変化が起きたら……
その時、あたしの胸の奥で小さな痛みが湧き起こった。
「眞昼? どうしたの? お腹痛いの?」
未夜は心配そうにこちらを覗き込む。
「へ? ああ、いや……ちょっとお腹いっぱいになっちゃって」
「まだかつ丼二杯しか食べてないじゃん」
「今日はもういいや」
「珍しいねぇ」
「そういう日もあんだよ」
食事を終え、あたしは未夜と別れて職員室へ向かった。
顧問の先生の所へまっすぐ歩く。
「すいませーん、ちょっといいですか?」
「おお、龍石」
いろいろ悩んだけれど、やっぱりスカウトの話は断ろう。
もちろん実業団でプレイするのは魅力的だし、バレーに青春を捧げた身としては、自分の実力が認められたことは嬉しかった。
でも元々の希望進路は保育の短大だったんだし、何より勇にぃと離れて暮らすのは嫌だ。もう二度と離れ離れにはなりたくないから。
「あの、スカウトのことなんですけど――」
あたしが切り出すと、先生はぱぁっと顔を明るくして、
「そうそう、それなんだが、また新しいところからもスカウトの話が来ててな」
「へ?」
想いもよらない話にあたしは虚を突かれた。
「北海道の札幌メローネってチームなんだが、知ってるか?」
あ、新しいスカウト?
北海道??
「い、いえ、知らないっす」
「それと、テレビの取材の依頼も来てる。まだ大会が始まってもないのに大注目じゃないか」
変な汗が脇の下を伝う。なんかあたしの知らないところでどんどん話が進んでいる気がする。
「えと、あの」
先生は立ち上がり、あたしの背中を叩く。
「やったじゃないか、北高の誇りだよ」
「取材って、テレビすか?」
「今そう言ったろ。それと新聞社の取材の申し込みも来てるぞ」
「は、はぁ」
「まあ、テレビの方はお前というより、女バレ全体の取材なんだがな」
取材って、テレビに映るってこと!?
「キャプテンなんだから、しっかり受け答えするんだぞ」
結局、断る話はできなかった。
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