第151話 クソガキはふわふわ
1
十二月。いよいよ冬の到来である。
無論、十二月に入った途端に気候が冬に切り替わるということはなく、秋の中頃から少しずつ気温は下がり続けていた。十一月の終わり頃にもなれば、日本はすっかり冬の様相を呈していたが、十二月という響きによって受ける印象は天と地ほどの差があった。
一年最後の一か月。
新たな年を迎える期待と、過ぎていく年に寂しさを感じる、不思議な一か月。
……という感傷はそれくらいにしておこう。
俺は肘を抱きながら震えていた。吹き付ける寒風はまるで刃で皮膚を撫でられているようだ。歩いてこれなのだから、この寒空の下を自転車で駆け下りた日には、俺の体はきっと寒すぎて凍ってしまうだろう。
「さ、さみぃ」
家が遠く感じる。
寒さに耐えながら歩いているので一歩一歩が小さく、結果としてほんの二十分程度の距離なのにとても長く感じてしまうのだ。
首に巻いたマフラーも、手を覆う手袋も、まるで効力を発揮していない。寒さを通り越してもはや痛い。それほどまでに今日は寒かった。
富士山は白い雪をかぶり、澄んだ青空には白銀の月がぼんやり見える。
歯をガチガチと鳴らし、白い息を吐きながら家に辿り着いた。
「あら、勇、おかえり」
「た、ただいま」
俺は店の方から帰宅する。すると、ほわほわとした温かい空気が俺を包み込む、冷え切っていた体に染みわたる。かじかんだ手に生気が戻り、凍り付いていた血流が復活する。
「ああー、生き返るぜ。ココアくれ」
カウンター席に座り、父に注文する。
「そんなに寒いかしら」
「母さんたちはずっと店の中にいるから分かんねーんだよ」
「ほら、勇」
やがてココアがでてきた。白いカップに並々と注がれたブラウン色の液体。立ち昇る湯気すら旨そうだ。
「ほぉ、うめぇ」
冷えた体を温めるにはココアが一番だ。体の内側からじわじわと温まってくる。
「きゃっ、寒っ」
母は半信半疑で外に出たが、外気に当たった途端、秒で店内に戻って来た。肩を震わせ、ストーブの前に直行する。
「さむさむさむさむさむ」
「だから言ったじゃねぇか」
「やだわもう、今日はお鍋にしようかしら」
噛みしめるようにココアを味わうと、俺は二階のこたつに陣取った。俺はもう梃でも動かないぞ。こんな日はこたつでぬくぬくしながらミステリの文庫を読むに限るぜ。
2
「勇にぃ」
「ダメだ」
「まだ何も言ってないじゃん」
未夜はほっぺたを膨らませる。
「いいからまずは座れって。こたつに入ってみかんでも食え」
「うん」
未夜は言われたとおりにこたつに潜り込む。今日は未夜一人だけのようだな。
よしよし。
ここで存分にこたつ様の包容力とぬくもりを楽しむがいい。こんなクソ寒い日に外で遊ぼうなどと提案されては俺の体が持たない。
みかんを二つほど食べたところで未夜は俺の方を向き、
「外行こ」
「ダメだ」
「なんでー」
「寒いだろ、家でゲームでもしようぜ」
「やだー、外行きたい」
このクソガキ……
「だから、さみぃだろうが」
「寒くないもん」
そう言って未夜は立ち上がる。
「あ?」
「ふわふわしてるから」
「ふわふわ?」
よく見ると、未夜の服装は暖かそうだ。ピンク色のボアコートは生地がもこもこで首元には白いマフラーが巻かれている。なるほど、たしかにこれはふわふわだ。
「このズボンもあったかいんだよ」
未夜はデニムの裾をまくる。すると、裏地もボア生地になっているではないか。
「全然寒くないから行こうよ」
「そりゃ、お前は寒くないだろうがなぁ」
「早く」
「えー」
「行こうよ」
「えー」
「はーやーくー」
未夜は必死な顔になって俺の手を引っ張る。
「……しょうがないな」
「よーし」
畜生。
またあの寒空の下に行かないといけないのか。
俺はコートを着込み、ポケットというポケットに懐炉を忍ばせる。靴下は二重に履き、ネックウォーマーで首をガードだ。できる限りの防寒対策を終えた俺は、最後にホットココアを飲み、外へ出た。
3
「さっぶっ」
先ほどよりもましだが、寒いは寒い。
それにしても静岡という県は夏は暑くて冬は寒い。早く東京に行きたいぜ。
「全然寒くなーい」
未夜はリズム感皆無のスキップをしながら進む。彼女の背中にはプリ〇ュアのリュックサックが背負われている。
「で、どこ行くんだ」
「公園で遊ぼ」
近所の公園はけっこうな賑わいだった。この寒さの中、子供たちはよくあんなにはしゃぎ回ることができるな。中には半袖半ズボンという命知らずの男の子もいるではないか。
「んー」
「どうした?」
未夜は少し不満そうな顔だった。
「狭いかも……」
「?」
「これやりたかったのに」
言って未夜は背中のリュックから小さな円盤――フリスビーを取り出した。プリ〇ュアのイラストが中央に描かれた赤いフリスビー。
「昨日買ってもらったの」
なるほど、これで遊びたかったのか。ここは広い公園ではあるが、子供たちが存外多く、フリスビーで遊ぶには少しばかりスペースが足りないのだ。
しかし場所がないなら仕方がない。
「じゃあ、帰る――」
「別のとこ行くよ」
「えー」
こうして俺たちは広い場所を求め、歩を進めた。
「あっ、勇にぃ。あそこ」
「あー?」
しばらく歩くと、右手に空き地が現れた。
ここは長らく放置されており、遊具やベンチもない、雑草まみれの空き地だ。そのため、ここを遊び場所に定める子供は多くなく、今日も人気は全くない。
まあ、ここなら広さも十分で貸し切り状態のため、フリスビーをするには最適か。
「よーし、やるぞ」
未夜はさっそくフリスビーを手に取り、投げる。
「えい」
赤い円盤が弧を描きながら俺の斜め前に落ちる。
「あれー」
「未夜、まっすぐ投げるんだよ」
フリスビーはできる限り地面と平行に投げるのだ。
「おりゃ」
俺の投げたフリスビーはまっすぐに未夜の下へ……
「あれ?」
俺から見て右の方へぐんぐん逸れていく。
な、なぜだ。
「くくく、勇にぃもまっすぐ飛ばないじゃん」
「う、うるせぇ」
おかしいな。
小学生の頃によくやったフリスビー当て鬼ごっこでは逃げていく相手の背中に当てまくり、『ハンター勇』の称号を手にしたこの有月勇が……
「えい」
「おりゃ」
「えい」
「おりゃ」
「えい――」
そうやってしばらく投げ合ったが、どちらもなかなか相手のところへまっすぐ飛ばすことができず、フリスビーは大きな弧を描きながら両者の間を行ったり来たりした。
4
フリスビーを始めて十五分ほどが経った。
激しい運動ではないものの、体を動かし続けているとだんだんぽかぽかとしてきた。かすかに汗ばみ、あれほど嫌った寒さも火照った体にちょうどいい涼のように感じられた。
その時だった。
「あっ、やべ」
俺の投げたフリスビーはその日一番の大カーブを描き、雑草の茂みの奥へと吸い込まれてしまった。
「どこ投げてんだ勇にぃ!」
「悪い悪い」
しかしここは周囲をブロック塀に囲まれた空き地だ。見つからないことはないだろう。俺たちは茂みの方へ向かう。その時、俺はあることに気づいた。
「あっ、未夜、待った」
「へ?」
「俺が行くから――」
「場所分かるからいい」
「そういう話じゃなくって」
俺の制止も聞かず、未夜は茂みの中へ入ってしまった。
「あちゃ」
「あったよー」
未夜が戻ってくる。その体に、たくさんのくっつきむしをまとって。
そう、ここに茂っていたのは俗にいうくっつきむしの一種、コセンダングサだった。放射状に広がった逆さとげの痩果は、衣服によくくっつき、特に今日未夜が着ているようなもこもこふわふわとした生地の服には最悪の相性だ。
「未夜、自分の体を見てみろ」
「え? うわあぁ」
せっかくのボアコートに、びっしりとくっついたくっつきむしたち。
「だから待ってろって言ったんだよ」
未夜は少し涙目になる。
「あーん、勇にぃ、取ってぇ」
手のひらで涙を拭い、未夜はこちらに寄ってくる。
「分かったよ。ほれ、まずは後ろ向いてろ」
俺はかがんで未夜の体にまとわりつくくっつきむしをむしる。生地を引っ張って服が伸びないように注意をしなければ。
「取れたー?」
「まだだよ」
「なんか首もチクチクする」
「マフラーにもついてんな」
未夜からマフラーを取り上げる。
「よしおっけー、次は上着の方だな」
こちらもどうしてか内側にまでくっつきむしがくっついていた。
「動くなって。ああもう未夜、ちょっと上着脱げ。取りにくい」
未夜から上着をはぎ取り、くっつきむし駆除に集中する。
袖の辺りが特に多いな。
「さ、寒い……くしゅん」
「あ? じゃあ、これ着てろ」
俺はコートを脱ぎ、未夜の体をくるむ。
「勇にぃ、寒くないの?」
「俺はむしろ熱いぜ。懐炉入れすぎたかな」
運動と多めの懐炉のおかげで、俺の体の火照りは最高潮に達していた。
十分ほど経ち、ようやく全てのくっつきむしを取り除くことに成功した。
「ふう、やっと終わった」
あれほど熱くなっていた体も十分じっとしていれば冷えてしまう。
「今日はもう帰るか」
「うん。私もちょっと寒い」
「うちでココアでも飲もうぜ」
「うん、ゲームもしよ」
「おう」
まだ四時半前だが、すでに西の空は夕焼け色だ。
そうして俺たちは空き地を出ようと振り返った。するとそこには信じられない光景が広がっていた。
「へ?」
「君、ちょっといいかな」
入り口付近にパトカーが止まり、俺たちの目の前に警察官が立っていたのだ。
*
――目撃者、
偶然通りかかったら、こう、空き地の隅の茂みのところに若い男と小学校低学年くらいの女の子がいたんです。
最初は兄妹かと思ったんですが、なんだか様子がおかしくて。
そこで何をしてるかと思えば、男が女の子の服を取り上げてですね、ぐっと顔を近づけてたんです。
はい、息も荒くて、興奮からか、体も震えているようでした。
女の子はひどく怯えているようで、うっすら泣いているようにも見えたんです。
何をしているのか、遠目ですがすぐに気づきました。あの男、ちっちゃな女の子の服の匂いを嗅いでたんです。
私、もうびっくりしちゃって。
変態じゃないですか。ロリコンって本当に気持ち悪いですよね。
そこから先は無意識の内でしたね。
すぐにスマホを手に取って、警察に通報しました、ええ。
ま、結果は勘違いでしたけど、何かがあってからじゃ遅いですから。
そう語る三山女史の顔には一仕事終えたという達成感と満足感が浮かんでいた。
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