第150話 カフェオレみたいな心模様
1
ネットの上を激しく飛び交うボール。
館内に満ちる、戦場のような熱気。
部員たちの気迫に満ちた声と、床とシューズの擦れる音が混じり合う。
ほどよい緊張が立ち込める中、第二体育館では女子バレーボール部の練習が行われている。
北高の女子バレー部は全国にも名を轟かせる強豪である。全国規模の大会に何度も出場を果たし、二年前のインターハイでは三位という輝かしい成績を収め、あたしも表彰台の上に立った。
今年も春高を目指すため、三年生はまだまだ引退しない。
「次、
「はーい」
監督の指示が飛び、部員たちが試合形式の練習の準備を始めた。
部員は二つのチームに分かれ、ゲームが始まった。両チームのメンバーチェンジは監督が全て担当する。レギュラー、補欠に関わらず数プレイごとに選手が入れ替わるため、戦況は目まぐるしく変化する。
「ふう」
「まっひー、監督が」
「ん? ああ」
交代の合図が出たので、あたしはコートから出る。すると待機していた香織が駆け寄ってきた。
「まっひー、気分悪いの?」
「え? いや別に……なんだよ急に」
「なんか今日、元気がない気がしたからさ」
「はぁ……そう?」
「うん、いつもの殺気というか、覇気がないもん」
「殺気って」
あたしをなんだと思ってるんだ。
ただまあ、たしかに自分でもベストの動きができているとは思えない。体が重いわけでもなく、体調が悪いわけでもないのに。
あたしが自分でそう思うくらいだから、周りのみんなにはきっと、はっきり分かっちゃうんだろうな。キャプテンがこんなんじゃいけないのに……
その原因は分かってる。
頭の中から離れない、あの夜のこと……
勇にぃに朝華が夜這いをかけたあの湘南最後の夜。
あの時のあたしの選択は本当にあれでよかったのだろうか。他に何か手はあったのではないか。そんな後悔の気持ちと、二人が一線を越えなくてよかった、という安堵の気持ち。
その二つの感情が頭の中で混ざり合い、常に意識の縁にいるのだ。
こんなこと、誰にも相談できないよ。
「なんでもないって」
香織は少し声を落として、
「もしかしてあれ? スカウトのこと?」
「へ?」
思わず背筋が伸びた。
熊本の実業団からスカウトを受けたことは、夏休み明けに監督からみんなに伝えられた。部員仲間たちは自分のことのように祝福してくれたが、あたしはそれを素直に受け取ることができないでいた。
スカウトに応じれば、勇にぃとは離れ離れになるから。
「ち、違うよ。ちょっと疲れてるだけだって」
「本当に?」
「本当だって」
「大丈夫、大丈夫。あたし、今日はお昼に三人前食べたから元気盛り盛りだもん」
「それはいつものことじゃ……」
「ちょっと水飲んでくる」
あたしは小走りで体育館の端に向かい、壁際に置かれていた水筒を手に取った。口をつけ、ぐっと傾ける。甘酸っぱいスポーツドリンクが疲れた体に浸透していく。
出入り口に立ち、外の風を浴びる。もう日は落ちていて、空には星が輝いていた。
「ふう」
仲間を不安にさせるキャプテンなんて、チームを率いる者として失格だよ。今が一番大事な時期なんだ。予選までもう二か月もないんだから。
あたしがちゃんとしないといけないんだ。
「ほらほら、声出てないよ」
あたしは手を叩き、声を張り上げる。
「はーい」
「はーい」
「はーい」
その日は夜の八時までがっつり練習をした。できる限り声を出し、率先して動くよう努めた。みんなを心配させないようにするのがキャプテンの使命だから。
勇にぃと朝華のこと、そしてスカウトのこと。
何が正解か分からない色んなもやもやが、あたしを覆っている気がした。
2
「うーん、どうしよっかなー」
俺の部屋のベッドの縁に腰かけながら、未夜はため息をついた。俺は運んできたおかわりのアイスカフェオレをテーブルの上に置いて、
「ほれ、持ってきたぞ」
「ありがとー」
「何を悩んでんだよ」
「いやぁ、そろそろあれじゃん?」
未夜はこちらを向く。眉根を寄せた分かりやすい困り顔だ。
「あれ?」
「眞昼の誕生日だよ」
「ああ、そうか」
もうそんな時期か。
眞昼の誕生日は九月九日。もうすぐである。
「プレゼント、何をあげようかなぁって」
「そうだなぁ」
俺はテーブルの前に座り込む。
「この前はリストバンドあげたからな」
「……十年前をこの前ってどういう感覚なの?」
「うるせい」
「で、何をあげるつもりさ」
「まだ決まってねぇよ。未夜は?」
「私もまだ決めてないや」
「あいつは大食いだからな。焼肉食べ放題の食事券とかバイキングなんかに連れてって……睨むな、冗談に決まってるだろ」
「勇にぃって変なセンスしてるからね。やりかねないなと思って」
未夜は息をついてカフェオレを一口飲む。
「眞昼は女の子なんだからね。ちゃんとしたものを選んであげてよ?」
「分かってるって」
しかし、年頃の女の子――しかも現役の女子高生――にプレゼントを贈るってのは、彼女いない歴=年齢の俺には非常にハードルが高い。未夜の時もかなり悩んだものだ。そういえば、眞昼が子供の時の誕生日プレゼントも悩んだ記憶があるな。
たしかあれを見つけたのは女の子向けの雑貨ショップに行って、その帰りだったっけ。
「朝華にもあとで聞いとこっと」
「あ、朝華!?」
無意識のうちに大きな声が出た。未夜はびくっと飛び上がり、
「いきなり大声出さないでよ」
「あ、わ、悪い。いや、朝華も来るのか……」
「そりゃ来るでしょ。幸い、九日は土曜日だし」
「そうか、そうだよな」
……どんな顔をして朝華と顔を合わせればいいのだろうか。
今からちょっと緊張してきたぞ。
「あっ、そうだ。話は変わるけどさ」
未夜は思い出したように言った。
「なんだ?」
「勇にぃと二人で作ったあの小説、ミス研の人たちにも読んでもらったんだけどさー」
「お、そうか」
自分の作品――未夜との共作ではあるが――を人に読んでもらうのはなんだかこそばゆい。しかし、嬉しさもある。不思議な高揚感が胸の内で生まれる。
「ど、どうだった?」
ミス研となれば高校の部活でもミステリ大好きな人間が集まるところだろうから、その目は厳しいはず。
「それがさ」
俯き、目を落とす未夜。
ま、まさかボロクソにこき下ろされてしまったのだろうか。
普段から執筆作業をしている未夜の筆力はともかく、完全な素人である俺の考案したメイントリックとロジックは目の肥えたミステリフリークには通用しなかったのかもしれない。不安を抱きながら、未夜の次の言葉を待つ。
「みんな褒めてた」
「なんだよっ」
「えへへ、ちょっとビビった?」
未夜は悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「このクソガキ」
未夜の柔らかいほっぺをぐいーっと左右に引っ張る。
「ほめんほめん」
「ったく」
「でも本当に好評だったよ」
「そりゃ嬉しいな」
「ミステリには厳しい会長もべた褒めだったもん」
「ははは」
なんだか照れ臭いぜ。
「勇ー!」
その時、階下から母の声が聞こえた。
「やべっ」
そういや俺はまだ仕事中だった。
「じゃあ、一旦戻る」
「うん」
未夜はこれから勉強をするらしい。
「あとなんか欲しいもんあるか?」
「んー、大丈夫……あっ、あとでまたおかわり持ってきて欲しい」
「おっけー。そこら辺のお菓子は勝手に食っていいからな」
俺は棚の上の菓子類を指さす。
「ありがと」
部屋に未夜を残し、俺は階段を駆け下りた。
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